故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.56 「旧庄屋佐藤家」のお話。  

2014年02月25日 | 日記

≪庄屋≫とは辞書によると「江戸時代の村落の長。地方(じかた)三役の最上位。年貢納入責任を持ち、村の自治一般をつかさどった。」また、別の辞書には「江戸時代、郡代、代官の命を受け、村政を担当した村の長」とも書かれている。私は今回来日された黒龍江大学、延辺大学の学生に対し≪庄屋≫の入口で最初にこの説明をした。


この日訪れた場所は新潟市西蒲区福井地区にある≪旧庄屋佐藤家≫。新潟県でも有名な温泉地である「岩室温泉」に隣接し、江戸後期の茅葺き屋根の民家である。北国街道の脇にあり、近くには≪蛍≫が生息する水のきれいな「矢垂川」が流れている。佐藤家の部屋に入ると暖かい囲炉裏(いろり)があり、そこにこの地区で生まれた80歳の斉藤さんが座っておられた。


斉藤さんは有名な写真家であり、≪旧庄屋佐藤家≫保存会事務局長の要職にある。また≪囲炉裏の火焚きじいさん≫でもある斉藤さんからこの地区の歴史や文化のご説明を聞きながら、男子学生は大豆の乾いた枝を燃料に「釜」でご飯を炊いた。女子学生は炊きたてのご飯を握り、味噌をつけて囲炉裏で「焼きオニギリ」づくりを体験をした。


自然に囲まれた≪旧庄屋佐藤家≫を見学し、大都会から来た中国の学生たちは昔の新潟の農家の生活の一端を理解することができたようだ。


「旧庄屋佐藤家」の入口。

頂戴した≪囲炉裏の火焚きじいさん≫である斉藤さんの名刺。

「旧庄屋佐藤家」の前で学生と一緒に記念写真。

「旧庄屋佐藤家」     囲炉裏(いろり)を囲み、80歳の斉藤さんの説明が始まった。

「旧庄屋佐藤家」      地元で作られた「饅頭」と「ゆべし」が配られた。

「旧庄屋佐藤家」の外に出て、説明をされる斉藤さん。

「旧庄屋佐藤家」は北国街道の脇にあり、近くには≪蛍≫が生息する水のきれいな「矢垂川」が流れている。

「旧庄屋佐藤家」     蛍が生息している川の脇に設置されていた説明看板。

「旧庄屋佐藤家」付近にある「水と土の芸術祭」の参加作品の看板。

「旧庄屋佐藤家」          「水と土の芸術祭」の参加作品。

「旧庄屋佐藤家」          「水と土の芸術祭」の参加作品。

「旧庄屋佐藤家」          「水と土の芸術祭」の参加作品の中。

「旧庄屋佐藤家」     この中国大学生研修旅行の主催者の中川さん。

「旧庄屋佐藤家」

「旧庄屋佐藤家」

「旧庄屋佐藤家」      男子学生は大豆の乾いた枝を燃料に「釜」でご飯を炊いた。

「旧庄屋佐藤家」

「旧庄屋佐藤家」       「焼きオニギリ」と野菜の煮込み。

女子学生は炊きたてのご飯を握り、味噌をつけて囲炉裏で「焼きオニギリ」づくりを体験をした。

「旧庄屋佐藤家」

「旧庄屋佐藤家」

「旧庄屋佐藤家」

「旧庄屋佐藤家」          美味しかった「焼きオニギリ」。

「旧庄屋佐藤家」      学生たちを見送る斉藤さん。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿