故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.39 「天寿園」のお話。  

2014年02月08日 | 日記

「新潟市水族館」を見学した後、私たちは「天寿園」へと向かった。新潟市に住んでいて中国を感じさせる場所のひとつに本格的な中国庭園を鑑賞できるこの「天寿園」がある。最初に入口付近に車を止めて≪遊楽橋≫を眺めてみた。この≪遊楽橋≫のたもとには中国・黒龍江省ハルビン市の≪市の花≫である「ライラック(中国名⇒丁香)」が植えられていた。


この≪花≫も≪遊楽橋≫の材料も新潟市とハルビン市との友好都市提携20周年を記念して、ハルビン市から寄贈されたもの。また「天寿園」の入口前の道路は「ライラック通り」と名付けられているという。次に「天寿園」に入ると≪人は生まれながらにして自然から与えられた寿命があり、これを天寿といいます。「天寿園」はこの世にある人々に生きる喜びを与えてくれるところ≫という意味とのこと。


当時の中国国家副主席の王震先生が命名された、という説明看板が立てられていた。「天寿園」は中国人による設計・施工で資材も全て中国から運び込んだ本格的な中国庭園で、極彩色の建物や芸術的な岩、滝などを楽しむことができる。園内にある「瞑想館」では新潟県亀田郷土地改良区と中国・黒龍江省との農業技術交流の歴史を中心とした「日中交流のあゆみ」展が開催されていた。


「天寿園」は昔は入場料が大人1人「800円」であったが、嬉しいことに現在は「無料」となっている。手入れの行き届いた庭であるが、来場者もほとんどなく、新潟市内の穴場的観光地でもある。教え子の朱さんも故郷の中国を思い出してくれたようだ。


「天寿園」

「天寿園」の入口。     遊楽橋から天寿園の入口が見える。

「天寿園」         当時の中国国家副主席の王震先生が「天寿園と」命名された。

「天寿園」

「天寿園」     大島先生と教え子の朱さん。

「天寿園」    教え子の朱さん。

「天寿園」       美しい日本庭園。

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

中国庭園「天寿園」の入口。

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」     福が来るようにと逆さまになっている石。

「天寿園」     こちらの福と刻まれた石は逆さまになっていない。

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」をバックに記念写真に収まる大島先生(左)と朱さん(右)。

「天寿園」



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