いよいよ第26回公演の本格的な稽古が始まりました。
劇団芝居屋は言うまでもなく現代の世話物としての「覗かれる人生芝居」の創造を目標に活動している劇団です。
「覗かれる」という受け身の表現を何故使ったかといえば、ここに劇団芝居屋の芝居創りと他劇団のそれとの違いの一線を画す理由があります。
劇団芝居屋の役者は芝居の中で「見せる」ことではなく「生きる事」を要求されます。
また、観客に向かうのではなく、人間と対峙する事を求められます。
「して見せる」ことではなく「する」事に集中するのです。
私は長年従来の観客に向かい、観客に見せる芝居作りの中で育ってきました。
そして、その時間の中で芝居作りの常識というものに疑問を持ったのです、その芝居的常識と言うものがどの位役者の表現の幅を狭めているか、その自由さを拘束しているかという事に。
ですから観客に「こう見て貰いたい」という意識を排除して、その場を生きる人間としてあるがままを「覗いて」もらうという事を目指した訳です。
それを実現する為には役者は虚構の現実の中に生きる人間としての自分役創りを、具体的にしていかなければなりません。
それは稽古場に何を持って来るかにかかってます。
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