
3 四月・移転四ヶ月前・朝・十五度・その2
良子が帰ってきました。
すると先ほどの顛末は毛ほども見せずいつもの紫苑の客を演じる二人です。

良子 「ねえ、もう始まったわよ」
功一 「何が?」
良子 「ホラ、丸万市場に行く手前三階建ての雑居ビルがあるでしょう」
功一 「ああ、小田万ビルな」
良子 「知ってるの」
功一 「ああ、コロナ前は店終わったらよく行ってたスナックがあってな。それがどうした」
良子 「解体工事が始まったらしいよ。養生して足場の組み立てしてた」
功一 「ええ、あそこが!・・・ああ、区画整理内だもんな。そうか始まったか」
良子 「ほら、あそこ横丁の入り口でしょう、あんなところで工事始まっちゃったら客足に影響するよね」
功一 「ああ、それでだ」
良子 「なにさ」
功一 「いや、ゆんべやけに客足が落ちたからよ」
良子 「あら、功さんとこも」
良子 「やだ、会長のとこも。ウチもそうなのよ。やっぱり影響あるんだね」
そこへ金蔵と淳が連れ立って入って来ます。

金蔵 「おはよう」
淳 「オハヨス」
良子「おはようございます。あら、どうしたの」
金蔵 「散歩してたらバッタリさ」
功一 「社長、オハヨウさん」
金蔵 「功一、例の件もう少し待ってくれや」
功一 「ヘイ、首を長くしてお待ちしてます」
功一にとっては金蔵が探している移転先が気になって仕方がありません。
また海路にとっては淳のトレーニングが気になります。
それぞれ気にする所は別々です。

海路と淳は試合を目の前に寸暇を惜しんだトレーニングです。

金蔵 「公園から道で何か変わった事はなかったか」
淳 「変わった事すか?・・そうすね、公園からこっち側、結構空き地が多くなってますね」
金蔵 「ミドリのフェンスで囲まれたのな」
淳 「そうす」
金蔵 「都市計画道路、特定整備路線って看板があったろ」
淳 「ええ、確かそんなのが・・」
功一 「向こうは進みが早いな」
金蔵 「あっちの方はこっちと違ってもともと家が少ねえとこだから話が早いんだ」
話がそっちに向きますと功一はもう我慢が出来ません。

功一 「なあ、社長。俺としちゃ北口に空きがあるんじゃねえかと目星付けてんだがな」
金蔵 「ああ、その通りだ。俺もな向こうの界隈を考えてるんだ。移転じゃなく立ち退きだからな、少なくとも七曲りに残ったみんなをバラバラにはしたくねえと思ってるのさ」
功一 「そりゃいいな。そうなると俺も心強いや」
良子 「はい、お待ち。でも北口って再開発できれいな飲食街ができてるんでしょう」
金蔵 「コロナ前はな。まあ、人の不幸を喜ぶ様で何なんだが、この四年のコロナ禍で北口もこっちと同じ歯抜け状態でシャッター通りになってるんだ。入れ物は選り取り見取りって状態だが、こっちの条件と適うかどうかが問題なんだ」
良子 「適うも適わないも問題は補償額だね」
話しているうちに夢は膨らみます。

功一 「うまく行けば北口に七曲り通りなんて名前つけてよ、ここの店がずらっと並んだらおもしれえだろうな」
良子 「ああいいね、それ」
金蔵 「それが理想だな」
海路とも話を共有しようと思いますが様子がおかしい。
功一にとっては頭痛の件がありますから気が気じゃありません。

功一 「会長、顔色が悪いぜ、大丈夫かい」
海路 「ああ、なんか調子がな・・」
金蔵 「おい、海ちゃん。家帰って休んだ方がいいな」
海路 「ああ、そうさせてもらうよ」
功一 「おい、大丈夫かい」
海路 「ああ、す、すまない。じゃお先に(チケットをカウンターに)」
金蔵 「お大事に」
良子 「ありがとうさん」
帰りかける海路ですが功一を呼んで内緒話。

功一 「なんだい」
海路 「・・・あ、あのな、功ちゃん、いや、鳥功の大将。・・な、七曲がりで一緒にやってた仲として折り入って・・・お願いがあるんだが・・聞いてくれねえか」
功一「・・・エッ・・ああ、いいが・・」
海路 「じ、実は淳の事・・なんだが」
功一 「・・・言ってみなよ」
海路 「悪いが・・このまま鳥功に居させて貰えねえだろうか」
功一 「オイオイ、その話はさっき済んだじゃねえか」
海路 「・・・えっ、そ、そうかい?」
功一 「そうだったろうがよ。そんで俺が淳を仕込んでやるって事になったじゃねえか」
海路 「・・そ・・そうだったかな」
功一 「おいおい、会長さん。しっかりしろよ」
海路 「・・・そ、そうかい、そそ、そんならいいんだ。すまなかったな。・・じゃ」
功一 「・・ああ」
金蔵 「どうしたんだよ」
功一 「会長がボケちゃった」
良子 「どうしたのさ」
功一 「いやさ、さっき話したばかりの事を忘れちゃって同じこと言うからさ」
その様子を見ていた金蔵にはその原因がはっきり分かったのです。
海路の後援会の会長をしていた金蔵の目には・・・

金蔵 「そうか。やっぱり出てきたのかな」

功一 「何が」
金蔵 「いや、なんでもねえ」
この場にいた人間にとってなんとも腑に落ちないものになりました。
次に続く
撮影鏡田伸幸
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