序破急

片足棺桶に突っ込みながら劇団芝居屋を主宰している爺です。
主に芝居、時々暮らしの中の出来事を書きます。

あの道で

2016-11-10 15:47:41 | 日記・エッセイ・コラム



私、現在大森に住んでいますが、以前は結婚以来品川のJR京浜東北線沿いの家に43年程暮らしていました。

私の住居から最寄り駅の大井町駅までは、線路沿いの土手道を歩いて10分弱くらいの距離なんですが、その道は通勤に買い物に毎日の様に歩きました。

43年の年月は土手道に植えられた桜の苗木の生長からも見て取れます。

ヒョロッと頼りなげだった桜の苗木も今は堂々たる巨木となり、桜の見頃の時期は絢爛豪華な満開を見せています。

ええ、43年という月日は其れほどの変化を作り上げる時間です。

私がこの道を通りだしたのは25歳の時からでした。

私は勿論劇団に所属して芝居の道に邁進していましたが、それだけで喰える筈もなく稽古前までアルバイトの毎日でした。

幸い稽古時間は午後と言うことで、稽古の間に合うように魚河岸で早朝の仕事をしていました。

すると生活に規則性が生まれ、この土手道を通う時間が決まり始めました。

新しい生活に順応して周りが見れるようになったのはどの位経った頃だったでしょうか。

土手道も通い慣れだした頃から、毎日の様にすれ違う人への関心が高まり始めました。

その中でも私が仕事を終え帰宅する11時頃、この土手道で毎日の様にすれ違う洒落たハンチングをかぶった鶴の様に痩身の老人(もしかしたら私の今の歳だったかも)が気になり始めたのです。

この人は踊るような足つきで、片手にステッキ、もう片方の手にフランスパンの袋を提げて歩いて来ます。

いつしか私はこの方に挨拶をする様になりました。

始めは小さく頭を下げてみました。

すると老人はステッキを小さく持ち上げ答礼してくれたのです。

以来、会う毎に声をかけ挨拶しました、老人は何時もの通りステッキを上げる答礼。

声を掛け合う仲にはなりませんでした。

ただ、その時間にすれ違い挨拶を交わす、それだけでした。

そんなことが三年程続きました。

当然会わない日も、会えない日もありました。

それでも気になりだした時、遠くから踊るような痩身の老人が見えた時など、なぜかホッとしたものです。

そしていつの日だったかフッツリとその人とは会わなくなりました。

私は亡くなったのだと思いました。

道は違えど私が生活を始めた道で、今私がその老人の場所にいるのだと改めて思います。

誰かが若いときの私の様に気にしてくれているのかもしれません。

何か思い出に残る服装にでもしましょうかね。








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