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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『洞熊学校を卒業した三人』5。

2012-11-14 06:37:34 | 宮沢賢治
一年生のときは、なめくぢと狸がしじゅう遅刻して罰を食ったために、蜘蛛が一番になった。なめくぢと狸とは泣いて口惜しがった。

☆宇宙への念(思い)の章(文章)、理(道理)を告げる、末(ささいな)自記である。
 知(心に感じる)手(方法)で、逸/隠れた挽(人の死を悼む)。
 理(道理)を究/つきつめる講(はなし)で、析/明らかにする。

『城』1094。

2012-11-14 06:03:53 | カフカ覚書
 Kは、立ちあがって、「それでは、失礼させていただくとしましょう」
 ミッツィは、「ええ」と、良人に答えて、すでに軟膏の用意をしながら、「すきま風がひどいですものね」

 軟膏/salbe→salve/礼砲。
 失礼させていただく/empfehlen→emporen/扇動する。

☆Kは、立ちあがる(決起)と「わたしが扇動しましょう」
 「ええ」とミッツィ(中道派)は言い、すでに祝砲の支度をし「頑張りましょう」

サークル活動。

2012-11-13 06:50:07 | 日常
「七宝焼き」のサークルは昭和の時代からだから、もう二十年はとっくに超えている。

 アクセサリー作りも愉しみというより、似たような物ばかり作るのでほとんど興味を喪失している。けれど、月に一度メンバーとランチを共にし、おしゃべりに花を咲かせることが楽しみになっている。

 年月の営み・・・小学生の親だったのにいつの間にか、孫の話に・・・。
 一緒に年を重ねているという仲間意識・・・少々の凸凹も気にならなくなり、一色に染まっていく妙。希望と諦念がさざめくように胸を打つ年代。それぞれがそれぞれの支障を抱えているけれど、メンバーに会うことで、お互いの状況を確認。

 肩が凝って・・・膝が痛くて・・・(内緒だけど手術をしたの)・・・骨折捻挫・・・支障はゆっくり同年代のメンバーたちの健康を蝕んでいく。

《まだまだ・・・まだまだ》暗黙の励まし。


 負けられない思いは自分自身に向いている。自分の不具合は自分で解決するしか方法がないから、メンバーの情報に耳を傾けながら自分自身の処方を模索していく。


 耳飾りも首輪も指輪も・・・ほとんど付けることもない生活。(うっとおしいから)
 それでも、イヤリングやネックレス等を身に付けて、元気に楽しい老いをエンジョイしないと、本当の老いがあの世へと背を押すかもしれない。一期一会・・・今日の日を大事にしたい。

 サークル活動は退屈な日常のアクセントである。この日を無事に迎えるために健康に留意しているかもしれないのだから。

『城』1093。

2012-11-13 05:33:15 | カフカ覚書
夫人は、あいかわらず良人に寄りそって腰をかけ、夢みごこちでクラムの手紙をもてあそびながら、折り紙の舟などをこしらえていたが、Kは、あわててそれをとりあげた。「脚のやつが、またひどく痛んできたよ。湿布をとりかえなくちゃならんね」

 夢/traum→trauer/悲しみ。
 小舟/schiffchen→schlafchen/まどろみ、仮睡。
 驚いて/schrochken→schroffen/拒否的に、そっけなく。
 ひどく/sehr→Seher/予言者。
 湿布/Umschlag・・・急変、一変。

☆あいかわらずまだ住んでいることに苦しめられていたが、悲しみを解決するクラム(氏族)の電光の精神とともに先祖はまどろみの中にいた。Kはそっけなく(拒否的)に受け入れた。「再び予言者の苦痛を受け止め、改革一変をしなければならない」

雨降り。

2012-11-12 06:01:37 | 日常
 朝から薄暗い曇天。干した洗濯物も早々に取り込んでいるうち、しとしとと雨。

 雨降りの日曜日・・・。
 もうずっと長いことこの界隈には子供の声がしない。日曜日なら朝から日暮れまでにぎやかに声がして遊んでいた子供たちの姿もない。(雨だというのに・・・)と、外で遊ぶ息子にため息をついたのは遠い昔。

 時は現実を幻に変える。あれは夢だったんだろうか・・・いやいや、ほんとうに家には育ち盛りの息子がいて食事時には同じような顔が二つ並んだのだという記憶が過ぎる。


 倹約ばかりしていて、豊かな思い出を残してあげられなかったこと(ごめんね)

 ディズニーランドのお土産を手渡されて・・・(ああ、息子たちは普通の生活を楽しんでいるんだな)と思う。育ちがあんまり貧困だと、育てる側に回っても何をしたらいいかも分からず、総てが後手に回ってしまう。

「これ何?」と箱を指差したら「写真」という答え。
 袴姿の孫と息子夫婦・・・「七五三の・・」「えっ、ごめんね。男の子は五才だけだと思っていたから・・・」
「・・・」絶句。

 ごめんね・・・謝ることばかりのお祖母ちゃん。
 外は雨、心もしんみり・・・。

『洞熊学校を卒業した三人』3。

2012-11-12 05:49:15 | 宮沢賢治
 一年生のときは、うさぎと亀のかけくらのことで、も一つは大きいものがいちばん立派だといふことでした。

 一年生はイチ・ネン・ショウと読んで、一(Uni→Univers/宇宙)、念、章。
 亀はキと読んで、記。
 一つはイツと読んで、逸。
 大きいはダイと読んで、題。
 立派はリュウ・ハと読んで、理由、把。

☆宇宙への念(思い)を章(文章)に記す。
 逸/隠れた題(テーマ)は理由(物事がなぜそうかという根拠や筋道)を把/つかむことである。

『城』1092。

2012-11-12 05:33:21 | カフカ覚書
「いや、了解しかねます」と、Kは言った。「わたしが城から求めるのは、施しものではなく、わたしの権利です」
「ミッツィ」と、村長は夫人に言った。

 施しもの/Gnadengeschenke→Gnadensuch/恩赦の請願。
 夫人/Frau→Frei/自由。

☆「いえ、違います」と、Kは言った。「わたしが終末(ほんとうの死)に求めるのは恩赦の請願ではなく、正義です」
 「中道派」と村長(死への入門)は夫人(自由)に言った。

孫の到来。

2012-11-11 06:34:08 | 日常
「側まで来てるからちょっと寄るね」と息子から電話があった。


「どこへ行ってきた帰り?」と聞くと、「いや、家に来ただけ」という。夕刻四時少し前、ということは相模原を二時ごろ・・・つまり昼食後(横須賀へ行ってみるか)くらいのノリでやって来たのかもしれない。

 旦那の親なんてものは煩わしいものであって、絆というよりは義理に近い感情なのではないか。
《淋しいな》と思う反面、息子の家族が明るく幸せであればそれで十分だと割り切っている。何もしてあげられない、自分たちの事で精一杯の頼りない親であれば、それ以上望むらくもない。


 日帰りできる距離ではあるけれど、行こうと思い立ってすぐに行かれる距離ではない。
 三日後に保育園の祖父母会ある。
 衣笠駅までバス、駅から横須賀線で大船駅までいき、それから東海道線で藤沢駅へ、それから小田急で相模大野駅・・・それから保育園までバス・・・混乱するような行程。
 往復である。
 簡単に「今日は遊びに来ましたよ」と顔を出せる距離でないところに居を構えている息子夫婦。せめてもう少し近場なら、お手伝いも可能なのに・・・と、思う。


 それでも孫の顔を見るとそんな思惑もいっぺんに吹き飛んでしまう。遠くに住んでいて、わたし達に日常の負担を掛けないというのは息子夫婦の思いやりなのだと理解し、わたし達の方こそ迷惑を掛けないよう健康管理に留意していくべきかもしれない。

 無条件に可愛い孫に接し、ひたすら癒された昨日のわたし。総ての事に是非は付きまとうもの、それで良しとすべきだと自身に言い聞かせている。

『洞熊学校を卒業した三人』2。

2012-11-11 06:12:02 | 宮沢賢治
 赤い手の長い蜘蛛と、銀いろのなめくぢと、顔を洗ったことのないが狸が、いっしょに洞熊学校にはひりました。洞熊先生の教へることは三つでした。

 赤いはシャクと読んで、釈。
 手はシュと読んで、衆。
 長いはチョウと読んで、丁(十干の第四→die 死)は死の暗示。
 銀いろはギンと読んで、吟。
 顔はface→faith/信仰。
 洗うはセンと読んで、宣。
 狸はリと読んで、理。
 洞熊学校はドウ・ユウ・ガク・コウと読んで、等、幽、楽、講。
 教へるはキョウと読んで、経。
 三つはサンと読んで、Sun(太陽)。

☆釈(意味を解き明かす)のは、衆(人々)の死であり、知(心に感じる)主なことを吟じる。
 信仰を宣(広く知らせる)理(物事の筋道)を導(案内する)幽(あの世)の楽しい講(話)である。(あるいは愕/おどろくような話かもしれない)
 等(平等)である幽(あの世)を宣(広く知らせる)。
 衝(かなめ)は経(常に変わらない)太陽である。