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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『洞熊学校を卒業した三人』18。

2012-11-27 06:24:17 | 宮沢賢治
そしてほっと息をついてしばらくそらを向いて腹をこすってから、又少し糸をはいた。そした網が一まはり大きくなった。

☆即ち、講(はなし)は複(二つ)あり、幽(死者の世界)の章(文章)の詞(言葉)は、妄(空想)であるが逸/隠れた題(テーマ)である。

『城』1107。

2012-11-27 06:03:14 | カフカ覚書
「おかけなさいな」と、ベッドのへりをさして、「でも、ほかの人たちは、みんな出ていってちょうだい!」
 助手たちのほかに、女中たちも、いつのまにかはいりこんでいたのである。

(腰を)かける/Setzen・・・定住する。
 ほかの/andern→ende/死。
 女中/Magde→Macht/権力。
 はいりこむ/eingedrangt→Ahn drangen/先祖、ひしめく。

☆「定住なさいな」と、縁の切れた土地をさして言った。「死は向こうへ去るように!」
 頭脳(知覚)たちのほかに権力ある先祖がひしめいていたのである。

ゆっくり歩く。

2012-11-26 06:34:57 | 日常
 何をするにも大雑把でがさつである。

 先日もコンビニの出入り口に置かれた傘立てを、リュックの紐に引っ掛けて《ドシャーン》という音をさせてひっくり返してしまった。(なんで?・・・リュックの紐は切れてしまったかしら?)と、呆然。
 その間に美術館の人が跳んできて傘立ての方は直してくれた。(ああ、良かった。リュックは何でもなかったわ)と自分の事ばかりを・・・ああ、美術館のK先生にお礼も言いそびれてしまって(その節はありがとうございました)なんてとんでもない頃言うのもおかしいし・・・つくづくドジなわたし。

 一事が万事こんなふうだけど、唯一気をつけていることは転倒。(人生では転びっぱなしかもしれないけど物理的変化はない)
この重さで転倒したら、骨折は免れない。これ以上の身体的不具合を重ねてはならないという強い思い込みがある。
 ゆっくり歩く(ゆっくりしか歩けない?)というか、だらだら歩いている。


 やることは大雑把だけど、歩みはのろい。

 これでいいのだと、やむなく自分に言い聞かせている。でも昨日の資源回収、わたしは見てしまった、Kさんの勇姿を。
 両手に古新聞の束を下げて回収場所へ急ぐ後姿・・・とても90才を越えた人とは・・・絶句!


《ゆっくり歩く》なんて年寄りじみた考えに恥じ入ってしまった。

 どうすればいいの?・・・自問自答している。

『洞熊学校を卒業した三人』17。

2012-11-26 06:26:25 | 宮沢賢治
 あぶの子どもは「ごめんなさい。ごめんなさい。」と哀れな声で泣いたけれども、蜘蛛は何も云はずに頭から羽からあしまで、みんな食ってしまった。

☆詞(言葉)の愛(大切にする)が衝(重要)である。
 究(きわめる)智(物事を考える能力)を修(おさめる、学ぶ)ことを持(受け持つ)薀/奥義であり、祷(神仏に祈る)話しの自記である。

『城』1106。

2012-11-26 06:11:26 | カフカ覚書
「どうしてこなくてはならなかったのですかね」と、Kはおだやかに言った。「お呼びになったわけではありませんからね」
「わたしをこんなに長いこと待たせておくなんて、ひどいわ」と、お内儀は、病人独特のわがままをまる出しにした。

 呼ぶ/refen→ruhen/休止する、眠る。
 長いこと/lange→Rang/階級、地位。
 病気である/krenken→kranken/侮辱、傷つける。

☆「どうして来なくてはならなかったのですか」と、Kは穏やかに言った。「眠っていたわけではありませんからね」
 「わたしをこんなに階級を監視させておくべきではないわ」お内儀(監視)は、ひどく喧しく侮辱した。

朝井閑右衛門(画家のアトリエ)

2012-11-25 06:59:19 | 美術ノート
 増築部分であるアトリエには大小幾つものイーゼルがあって、いつでもどの作品にも目を向けられるという風だった。製作途中の作品は、それぞれがご自身の分身である。そこには比較検討修整発見を研鑽しながら「了」とするまでの内包された時間の熟成があったに違いない。ゆえに厚塗りという一種独特の作風に至ったものと思われる。
「一年もかかったもの(作品)もありました。色を重ねていくのです」とご息女。

 華やかな花瓶に盛られた薔薇の豪華絢爛・・・究極の美とは何かを問うような重厚かつ大胆な光彩を放つ彩色。至上の幸福を追求してやまない・・・ドン・キホーテの理想を追う空論の中の滑稽・・・人とはそういうものに過ぎないのだろうかという自問。

 閑右衛門の熱い情熱、深い闇(苦悩)。
 若い頃には大きな作品(500号)を描いたという。横須賀にアトリエを移した頃からは家屋の中に普通に納まる大きさになったけれど、アトリエや身体的条件というよりも、体制に向かうという姿勢を捨てたからだと思う。国や組織への失望・・・一連の『電線風景』には、黒く重く異常なまでに太い電線が描かれている。つまりは情報(束縛)の張り巡らされた状況下に小さく風に吹かれる草木のように翻弄される電線の下の人々の重圧(見えないが)をこそ描きたかったのだと推測する。


 鎌倉のアトリエに転居した頃には、混沌から大いなる肯定・・・至福への追求、自然への回帰、桃源郷への願望をあたかも一種の信仰のように平静黙視し、絢爛たる薔薇の豪華に心酔していったのではないかと思う。(電線風景や薔薇など、シリーズには強固(豪華)な額縁で縁取られているが、作品をより豪華にするというよりは風景や至極の美にも見えない圧力があるのだという沈黙の告発を感じてしまう。ゆえに、天上世界を描いては強固な額縁は外されているのではという推測が成り立つのではないか)

 閑右衛門は描く対象の向こうの空気(世界)までをも凝視していた静かなる観察者である。


 アトリエの空気に酔いながら、子供のように古きよき時代の玩具に目を細めた画家を思い浮かべていたわたし。

(現代は、あの電線風景を描いた頃よりはるかに電波は飛び交っている。見えない重圧は平和なだけに多くの人を不景気という苦境に陥れている。閑右衛門画伯、天上からに苦笑いをしているかもしれない)

『洞熊学校を卒業した三人』16。

2012-11-25 06:50:16 | 宮沢賢治
 蜘蛛はまるできちがひのやうに、枝のかげから駆け出してむんずとあぶに食ひついた。

 蜘蛛はチ・シュと読んで、千、衆。
 枝はシと読んで、死。
 駆け出してはク・スイと読んで、苦、推。
 食ひつくはジキと読んで、自記。

☆千(たくさん)の衆(人々)の死の苦しみを推しはかる自記である。

『城』1105。

2012-11-25 06:26:48 | カフカ覚書
こうしてベッドに寝ていると、ちゃんと衣服をつけて起きているときよりもずっと若く見えたが、頭にかぶった、こまかいレース編みのナイト・キャップーそれは、小さすぎて、髪の毛のうえに不安定にのっかっていたけれどもーが、やつれた顔をあわれっぽく見せていた。

 ナイト・キャップ/nachthaubchen→nachen haubchen/小舟、覆い。
 レース編み/Spitzenge→Spritus weben/精神、作り。
 髪の毛/Friseur→Fristen/猶予する、命をつなぐ。

☆こうして縁が切れてみると、死はまだ新しく見えた。小舟に覆いをかけてつつんだ華奢な精神のつくり(想像)は、ごまかし(偽り)であり、氏族は命をつなぐのに震えていた。そして死の信念をともに担っていた。

画家のアトリエ。

2012-11-24 06:25:23 | 日常
 昨日は横須賀美術館の沓沢先生の引率の元、画家朝井閑右衛門の田浦のアトリエ跡を訪ねた。電線風景など、一連の作品の位置関係を検証・・・。
(今はこうだけどかつては確かに・・ああ、描かれたのはあの樹木ですね・・・)などと、アトリエがあった近辺の景色を作品に照らし合わせながらの探索。

 その後、小雨降るなか鎌倉に向かい、昼食後は江ノ電で一駅目より徒歩・・・。田浦から転居後のお住まいであるその家は当時の面影を残したままの風情。板塀、門をくぐると、まるで、小さな林・・・敷石を踏みしめて玄関・・・玄関らしきものがない。低く落した瓦屋根の下の濡れ縁がこの家の入口になっている(らしい)。極めて広く開放的ではあるけれど、この家の主人からは客人の動向が逐一お見通しという造りである。
 しかも濡れ縁の内側には加工された柱ではなく自然の樹木が設えてあり、ほかにも在り得ない位置にもう一本ガラス戸を遮って床から天井までに自然木が・・・。
「ガラス戸は全て端(戸袋)に収まるようになっています。父は(自分の意向を通すのに)よく大工さんと喧嘩していました。」とは、ご息女のお話。
 座敷からは全開したガラス戸により遮るものなく庭の光景が室内に配した自然木と一体になって見えるという構築。大きな透明ガラスがはめ込まれているので、雨風酷寒の折は閉めてあっても開放的ではある。低く垂れたようにさえ見える瓦屋根は隣家などの景色を遮断するためのようで、座ればズバリ林野の景色であり、家の内部さえも林野の一部と化した造り(景色)であるのには少なからず驚いてしまった。強いこだわりは作品ばかりでなく日常の生活空間にまで及んでいたらしい。

 家屋(屋敷)全体は、右半分は西洋風、左は和風・・・和洋折衷ではなく和洋折半といった感じ。アトリエはもちろん洋風であり高い北窓からの大きな採光ゆえに屋根は片屋根である。梁は二本、やはり長い自然木が通っているのも圧巻。
 アトリエ内には数え切れないほどのアンティーク人形、小さなものから大きなものまで・・・豪華なメリーゴーランド(半径一メートル強、当初は動いて楽曲も奏でられた由)もあり、馬に乗った人の着衣も毛糸や生地での手作り。異国の布地の収集、鉄製のアンティークの自動車の数々。
「あらっ」
「えっ、すごい!」
 眩暈とため息・・・描きかけの画布・・・画家の吐息が聞こえてきそうなアトリエ。


 一方の和室には重厚な和箪笥、彩色の墨画、奥座敷には茶室の設えもあり、客人にはお抹茶なども自ら振舞われた粋人とのこと。各二部屋に並べられた大きめなお膳は一人膳でもあり、連ねて応用の利くもの。人を招くことも厭わなかったのかもしれない。
 横須賀美術館関連の見物人ということで、歓待され、お茶やお菓子のおもてなし。(こちらは恐縮の至り)


 もっともっと感想はあるけれど、とにもかくにも嬉しいツアー(イベント)でした。

『洞熊学校を卒業した三人』15。

2012-11-24 06:12:48 | 宮沢賢治
 夜あけごろ、遠くから小さなこどものあぶがくうんとうなってやって来て網につきあたった。けれどもあんまりひもじいときかけた網なので、糸に少しもねばりがなくて、子どものあぶはすご糸を切って飛んで行かうとした。

☆世の縁(つながり)が消える鬼(死者の魂)については、盲(道理や知識にくらい)。
 妄(うそ)の死を象(目に見える形)に思/考えるが、死の説(はなし)を秘(かくす)構(しくみ)になっている。