何をするにも大雑把でがさつである。
先日もコンビニの出入り口に置かれた傘立てを、リュックの紐に引っ掛けて《ドシャーン》という音をさせてひっくり返してしまった。(なんで?・・・リュックの紐は切れてしまったかしら?)と、呆然。
その間に美術館の人が跳んできて傘立ての方は直してくれた。(ああ、良かった。リュックは何でもなかったわ)と自分の事ばかりを・・・ああ、美術館のK先生にお礼も言いそびれてしまって(その節はありがとうございました)なんてとんでもない頃言うのもおかしいし・・・つくづくドジなわたし。
一事が万事こんなふうだけど、唯一気をつけていることは転倒。(人生では転びっぱなしかもしれないけど物理的変化はない)
この重さで転倒したら、骨折は免れない。これ以上の身体的不具合を重ねてはならないという強い思い込みがある。
ゆっくり歩く(ゆっくりしか歩けない?)というか、だらだら歩いている。
やることは大雑把だけど、歩みはのろい。
これでいいのだと、やむなく自分に言い聞かせている。でも昨日の資源回収、わたしは見てしまった、Kさんの勇姿を。
両手に古新聞の束を下げて回収場所へ急ぐ後姿・・・とても90才を越えた人とは・・・絶句!
《ゆっくり歩く》なんて年寄りじみた考えに恥じ入ってしまった。
どうすればいいの?・・・自問自答している。