続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

吉川宏志(私的解釈)花水木の道

2022-01-30 06:09:35 | 吉川宏志

 花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった

 『あれ』という指示代名詞、読み手には不明な時空である。花水木の道という線状の任意の点は作者にも読み手にも遠く、作者にとっては過去であり、読み手にとっては未知の場所である。
 だから、(あれより長くても短くても)という距離・時空は感覚的な指示にすぎず、特定は不可能に違いない。逆に言うと(長くても短くても)は同義である。

 つまり、愛を告げようと一心に思いを巡らし歩いていたけれど、先走る思いに比して現実の言葉は内に秘められたままで告げることがかなわなかった、という。

 
 二人で肩を並べ歩いた思いの募る緊迫の時間、あれは花水木の道だったという鮮明な記憶、秘めたのか隠したのか・・・ついに言葉にできなかった重い時間が、その距離にあったことは間違いない。
 (長くても短くても)という表現は、どこか気持ちがつまずくような高揚感があり、言いだせなかった時に対する《愛着の思い》が溢れている。


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