続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『ヘーゲルの休日』

2015-08-07 08:06:23 | 美術ノート
『ヘーゲルの休日』
 広げた雨傘の上にコップの水、ただそれっきり。

 背景がないのは時空の限定を特定できないからだと思う。例えば現代、例えば超未来、たとえば原始…。


 地球における水の存在、生命に不可欠な水、生物は水から誕生したと言われている。
 地球の億年の歴史を支え続けている水は未来永劫、地球が存在する限り循環し続けるだろうと思われる。

 たかがコップの中の水、されどコップの中の水である。


 コップの中の水、原始から億年の時空を経てコップの中に全く奇遇にも収まっている水。水の三態を考えるまでもなく変幻に姿を変化させる物体。蒸発・降水を繰り返しながら山に潜み、海を満たす水。
 土に隠れ、身体に忍び込み、凍結の大陸を生む水という存在。

 雨傘は地球かもしれない。流れ落ちる水、数パーセントは雨傘の中に沁み込むかもしれない。
 水は、大気へと蒸発していく。しかし再び地球(傘)のもとへ流れ込んでくるが、これより外部へ放出されることは有り得ない。水はあくまで地球を離れない。
 地球を覆う水(コップの水)は雨傘(地球)の内部に浸透する。また地球の水(山・川・海)はコップ(地球を覆う大気)の中へと循環する。
 コップ(小宇宙である地球)の中の水は雨傘(地球)の上にあり、熱の移動を繰り返し、浸食・運搬・堆積など、地球科学の根底の礎になっている。


 雨傘の上に乗せたコップの水はやがて倒れ、流れ出すに違いない。水(液体)の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・傘を持つ人の手に委ねられる水と地球のバランス。温暖化や異常気象のもたらすもの・・・未来永劫、存在しつづけるであろう水は、決して安定を約束されたものではない。

 「わが地球の水はこのようなものである」マグリット先生、否、ヘーゲル先生はかく言い、かく愉しんだのではないか。
 マグリットは、「初めと終わり、永遠と絶対」という究極の論理を常に念頭に置いている。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿