お隣りと言っても、間にマンションが建ち、多少遠くになった感のあるお隣。それでも回覧板は廻ってくるので少なくとも月イチでは顔を合わせるお付き合い。
スーパーに買い物に行く途中、向こうからカートを引いた人がやって来る(誰かしら・・・)と、信号を待ちながらそれとなく見ていたけど分からない。(向こうもこちらを見ているけど・・・)
信号が変わり渡ろうとしたら
「こんにちわ」と声が・・・(えっ、知合いだったの?)
思わず、「やだ、済ましているから誰だか分かんなかったわ」と言ったら
「見えないのよ」と、お隣りさん。
(「わたしも見えないの」と言いかけて、信号に押されるように距離が離れ、言葉にならなかった。
本当に・・・。お互い、人が歩いているのは分かる。婦人だということも分かる、同じような年頃だと言うこともわかる・・・でも(もしや間違えては)の恐れから手を振ったりの行動には戸惑いがある。
視力低下は、老眼で文字が見えなくなっただけではなく、遠方のものさえ判別が難しくなってしまった。(がっかり)
でも、わたしは思う。糖尿病から網膜剥離、当時最新のレーザー手術をしたにも関わらず、盲目になってしまった母のことを思えば今の状態をありがたいとさえ思う。
見えない母に代わって、わたしがインシュリン注射を打つ朝の恐怖(プレッシャー)を思えば、見え難いなんてことは、何でもないこと。
65才で亡くなった母を思えば、66才を生きるわたしは、もうおまけの人生だと達観している(向きもある)。
スーパーに買い物に行く途中、向こうからカートを引いた人がやって来る(誰かしら・・・)と、信号を待ちながらそれとなく見ていたけど分からない。(向こうもこちらを見ているけど・・・)
信号が変わり渡ろうとしたら
「こんにちわ」と声が・・・(えっ、知合いだったの?)
思わず、「やだ、済ましているから誰だか分かんなかったわ」と言ったら
「見えないのよ」と、お隣りさん。
(「わたしも見えないの」と言いかけて、信号に押されるように距離が離れ、言葉にならなかった。
本当に・・・。お互い、人が歩いているのは分かる。婦人だということも分かる、同じような年頃だと言うこともわかる・・・でも(もしや間違えては)の恐れから手を振ったりの行動には戸惑いがある。
視力低下は、老眼で文字が見えなくなっただけではなく、遠方のものさえ判別が難しくなってしまった。(がっかり)
でも、わたしは思う。糖尿病から網膜剥離、当時最新のレーザー手術をしたにも関わらず、盲目になってしまった母のことを思えば今の状態をありがたいとさえ思う。
見えない母に代わって、わたしがインシュリン注射を打つ朝の恐怖(プレッシャー)を思えば、見え難いなんてことは、何でもないこと。
65才で亡くなった母を思えば、66才を生きるわたしは、もうおまけの人生だと達観している(向きもある)。