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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

それぞれ・・・。

2013-04-22 06:54:04 | 日常
 サークルの合同展で一年に一度顔を合わせる人たちとはすでに顔馴染み以上の親近感、友人と言っても過言でないほどの親密度を感じている。

 みんなそれぞれの時間をそれぞれに使ってそれぞれの年の重ね方をしていることがよく分かる。

 三日(一日はさぼって大楠山に)の期間、ずっと会場にいるのは少々辛くもあるけれど、長い時間をかけてゆっくり人と語らう時間が持てることをむしろ楽しんでいる自分に気づく。

 それぞれの人生の(?)余暇をいかに有効利用しているかに関心があるし、その熱心の度合いで、その人の表情も作られていくということもよく理解できる。ちょっとステキだなと心を動かされる人には、やはりそれなりの日常に秘密がある。
「あの先生は・・・、あちらの先生は・・・」多方面の師に就いて教えを乞うている。
 教えるより教えてもらうほうが利が大きいかもしれないし、何より立場が気楽という感じで、あちこち飛び歩いて一週間を忙しく過ごしている人のタフさ加減にも感服。

 どこへでも出かける、山でも川でも、海外でも場所を厭わず、好奇心に満ちた表情で感想を話してくれる。
「あの橋を渡ったところに何々があって~云々」事細かに情景を追想して話す人を見ていると、自分の閉じこもった生活がひどく貧相に思えて恥ずかしくなってしまう。


(世界はわたしが思うよりも広くてステキなのかもしれない)


 閉じこもっていちゃあダメだよ、会話がそれを促す。それぞれの人のそれぞれの生き方に触発されて、心の中はやわらかく変化している、さぁ、今のうちに・・・。今しかないかもしれない!

『セロ弾きのゴーシュ』65。

2013-04-22 06:46:45 | 宮沢賢治
「では教えてやろう。狸汁といふのはな。おまへのやうな狸をな、キャベジや塩とまぜてくたくたに煮ておれさまの食ふやうにしたものだ。」と云ひました。すると狸の子はまたふしぎさうに

☆経(不変の真理を説いた書物)の理(物事の筋道)に従い、裏(物事の反対側)を援(たすけ)赦(罪や過ちを許す)。
 自記の薀(奥義)は理(物事の筋道、宇宙の根本原理)による旨(考え)である。

『城』1249。

2013-04-22 06:15:32 | カフカ覚書
「それじゃ」と、教師は、おもむろに言った。「二、三日まえに教会のところでお話をした他国のかたは、あなただったのですか、測量師さん」
「そうです」とだけ、Kは答えた。彼にすれば、あのとき寄るべない孤独のなかで耐えしのんだことを、いままたこの自分の部屋で甘受しなくてはならないいわれはなかったのだ。

 おもむろに/langsam→Rank/陰謀を企む。
 甘受する/gefallen→fallen/終る、死ぬ、中止する。

☆「それじゃ」と言い、「二、三理解したのは、明らかにがらくたな話をした外国の人(現世から来た人)は、あなただったのですか。測量師さん(土地のないことに気付いた人)」と企むかのように言った。
 彼にすれば、荒涼としたばかで耐え忍んだことを、ここで自身のテーマとして中止するわけにはいかなかったのだ。