サークルの合同展で一年に一度顔を合わせる人たちとはすでに顔馴染み以上の親近感、友人と言っても過言でないほどの親密度を感じている。
みんなそれぞれの時間をそれぞれに使ってそれぞれの年の重ね方をしていることがよく分かる。
三日(一日はさぼって大楠山に)の期間、ずっと会場にいるのは少々辛くもあるけれど、長い時間をかけてゆっくり人と語らう時間が持てることをむしろ楽しんでいる自分に気づく。
それぞれの人生の(?)余暇をいかに有効利用しているかに関心があるし、その熱心の度合いで、その人の表情も作られていくということもよく理解できる。ちょっとステキだなと心を動かされる人には、やはりそれなりの日常に秘密がある。
「あの先生は・・・、あちらの先生は・・・」多方面の師に就いて教えを乞うている。
教えるより教えてもらうほうが利が大きいかもしれないし、何より立場が気楽という感じで、あちこち飛び歩いて一週間を忙しく過ごしている人のタフさ加減にも感服。
どこへでも出かける、山でも川でも、海外でも場所を厭わず、好奇心に満ちた表情で感想を話してくれる。
「あの橋を渡ったところに何々があって~云々」事細かに情景を追想して話す人を見ていると、自分の閉じこもった生活がひどく貧相に思えて恥ずかしくなってしまう。
(世界はわたしが思うよりも広くてステキなのかもしれない)
閉じこもっていちゃあダメだよ、会話がそれを促す。それぞれの人のそれぞれの生き方に触発されて、心の中はやわらかく変化している、さぁ、今のうちに・・・。今しかないかもしれない!
みんなそれぞれの時間をそれぞれに使ってそれぞれの年の重ね方をしていることがよく分かる。
三日(一日はさぼって大楠山に)の期間、ずっと会場にいるのは少々辛くもあるけれど、長い時間をかけてゆっくり人と語らう時間が持てることをむしろ楽しんでいる自分に気づく。
それぞれの人生の(?)余暇をいかに有効利用しているかに関心があるし、その熱心の度合いで、その人の表情も作られていくということもよく理解できる。ちょっとステキだなと心を動かされる人には、やはりそれなりの日常に秘密がある。
「あの先生は・・・、あちらの先生は・・・」多方面の師に就いて教えを乞うている。
教えるより教えてもらうほうが利が大きいかもしれないし、何より立場が気楽という感じで、あちこち飛び歩いて一週間を忙しく過ごしている人のタフさ加減にも感服。
どこへでも出かける、山でも川でも、海外でも場所を厭わず、好奇心に満ちた表情で感想を話してくれる。
「あの橋を渡ったところに何々があって~云々」事細かに情景を追想して話す人を見ていると、自分の閉じこもった生活がひどく貧相に思えて恥ずかしくなってしまう。
(世界はわたしが思うよりも広くてステキなのかもしれない)
閉じこもっていちゃあダメだよ、会話がそれを促す。それぞれの人のそれぞれの生き方に触発されて、心の中はやわらかく変化している、さぁ、今のうちに・・・。今しかないかもしれない!