特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

二つのコップ

2005-01-30 18:19:10 | 韓国留学記
 晴れ。最低気温-9.1度。風も強く厳寒。

 家にガラスのコップが二つある。コップにはそれぞれ“Happy”、“Think”と書かれている。
 これは以前この部屋に住んでいた人が残していったコップだ。捨てるにはもったいないので、そのまま私が使っている。私がもっぱら使うのは“Happy”と書かれたコップだ。

 私は96年に“抑うつ状態”と診断されて、通院治療を続けて来た。会社勤めをしていた時は症状が悪化して、二度の休職も経験した。ソウルへ留学に来てからも、八ヶ月ほど日本に一時帰国して治療に専念したこともある。その間、大学院を休学した。今はほぼ完治したが、抗うつ薬だけは毎日欠かせない。

 今朝も朝食後、いつものようにコップにぬるま湯を入れて薬を口に放り込んだ。薬を飲んだあと、何気なくコップを見た。するとコップに書かれている“Happy”の文字が水による屈折でとても大きく見えたのだ。

 何も入っていないコップに書かれた文字は、書かれた大きさそのままだ。それが水が注がれることによって大きくなる(見える)のだ。

 日々様々なことが起こる。嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、辛いこと・・・。私たちは自分に対する試練(悲しみ、苦しみ、辛さ、絶望)というコップにばかり水を満たしているのではないだろうか?そして逆に、祝福(幸せ、喜び、楽しさ、希望)というコップに水を注ぐのを忘れてしまってはいないだろうか。

 “試練”というコップにばかり水を満たしてしまい、更に水を注ごうとするがために、自らその試練をより一層大きなものにしてしまってはいないだろうか?

 “祝福”というコップに水を注ぎ忘れ、その祝福の大きさに気付かずにいるのではないだろうか?

 あなたの心の中にもガラスのコップが二つある。コップにはそれぞれ“試練”、“祝福”と書かれている。

 あなたはどちらのコップに水が満たされていますか?

 今日も教会で礼拝に与った。『オンヌリ教会』では毎月末の主日(日曜日)に洗礼式がある。今日は九名の方が受洗された。洗礼式を見るたび自分の信仰生活を省みる私である。
 日本語礼拝ではネパール国内におけるキリスト教の現状について、牧師先生からビデオによる報告があった。キリスト教徒が様々な迫害を受けても自分の信仰を固く守ろうとする人々の姿に感銘を受けた。

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