晴れ。最低気温15.3度。最高気温25度。
韓国の国民は生まれたときから、誰でも13ケタの住民登録番号を持っている。
6ケタの生年月日と性別そして出生届地域のコードとこれを検証する7ケタの番号からなる。そして満十七歳になると“住民登録証”と呼ばれるキャッシュカードほどの大きさの身分証明書が発給される。全ての身分確認はこの登録証を持って行われる。
韓国に居住する外国人も例外ではない。九十日以上韓国に滞在する場合はその地域を管轄する出入国管理事務所で外国人登録を行わなければならない。登録手続きを終えると、一週間ほどで“外国人登録証”が発行される。
私はメインバンクの通帳を二冊持っている。
一冊は延世(ヨンセ)大学にいる時に作った通帳。もう一冊は大学院に進学した際、新たに作ったものだ。
延世(ヨンセ)大学でもそうだが、韓国の大学の学生証の多くは銀行のキャッシュカードと地下鉄やバスを利用する際のデポジット・カードとしての役割を併せ持っている。従って、学生証を作成する際には大学が指定する銀行の預金通帳を作らなければならない。私の場合はそれが偶然にも同じ銀行だったわけである。
以前、貯金通帳の繰越に行って来た話しはここに書いた。
その時繰越したのは大学院で作った通帳だった。私は、通帳の表紙にそれぞれ大学名を記入して、二冊の通帳を間違えないようにしている。
繰越しの際に古い通帳と、外国人登録証を窓口の職員に渡した。
表紙に大学名が書いてあったので窓口の女性は「学生さんですか?」と私に訊いて来た。でも、“外国人登録証”の生年月日を見たのだろう、すぐに「違うでしょう?」と言ってきた。
私個人としては、勉強するのに“年齢は関係ない”と思うのだが、それは世間の常識ではなかなか通用しないのが現状だ。
そういう時は単に「大学で日本語を教えています」と答えることにしている。ここにも書いてあるが、私の“本職”は大学で日本語を教えることである。でも、それはあくまで“本業”である「外国語としての韓国語教育」を勉強する上で、非常に役に立つからだ。
とにかく、韓国で暮らしているとこういうプライベートな質問に日本以上に出くわす。
「日本のどこ出身ですか?」
「何歳ですか?」
「結婚していますか?」(未婚だと答えると)「特上カルビさんは独身主義者なんですか?」と奇異な目で見られてしまう(所帯を持っていたら、韓国で自由に勉強してられません。男たるもの、大切な家族を養わねばならないのです!)。
「じゃ、彼女はいますか?」
「お仕事は何ですか?」
「どこにお住まいですか?」
「下宿ですか?ワンルームですか?アパートですか?」
「日本の女性と、韓国の女性どちらが綺麗ですか?」なんていう愚問に至っては、正直答えたくもないのだが、社交辞令で「もちろん韓国の女性ですよ」と答えておくことにしている(これ以上日韓関係を悪化させたくない)。
またもや、話しが大きく逸れてしまった。
「大学で日本語を教えています」という一言は、韓国では思った以上のインパクトを相手に与える。
元々、先生という職業を敬う考え方が根強い韓国にあって、小学校から大学に至るまで、“先生”をやっているというだけで、尊敬の眼差しで見られてしまう。特に「大学で教えている」と言っただけで、非常勤講師だろうが、専任講師だろうが、助手であろうが、すべて“教授(キョースニム=교수님)”と呼ばれてしまうのだ。“先生”と解かった瞬間から、急に相手の私に対する態度が変わるのが面白い。特に私の場合、教壇に立つとき以外はシャツにジーンズという格好が多いから余計だ。
それはそれで、呼ばれたほうの気分は決して悪くは無いが、日本の飲み屋街での呼び込みの“常套句”である「社長!一杯いかですか?」の“社長”と呼ばれているような気もして“複雑”ではある。そんな私もスポーツクラブに行けば立派な「教授(キョースニム)」扱いである。
それにしても、教授を含め、先生という職業は「サービス業」であるということを、教える立場になって初めて痛感した。それこそ「ホスピタリティー(Hispitality)」の精神が無かったら、とても務まらない。学生時代は「先生って何て楽なんだろう・・・」と考えていたが、それは大きな間違いだった。
もちろん、この世の中に“楽な仕事”など一つたりとも存在しない。
しかし、自分で勉強し理解するのと、人に理解してもらえるようにモノを教えるのは全く別物である。教える側は常に教わる側の何倍もの勉強をしなければならない。日々新しい教授法や研究結果が発表される。それらを漏らさずチェックしておく必要がある。特に語学教師の場合は“時事問題”、特に最新の“流行”や“キーワード”、“キーパーソン”などについて詳しくなければならない。何故なら学習者たちと話しを合わせるためには、必要不可欠知識だからだ。特に学生は概して教師よりもその辺りの知識は詳しい場合が多いからだ。教師が「何も知らない」と言ってしまっては学習者から信頼を失ってしまう。
日々の授業にしてもそうだ。
小学校の先生は別にして、自分が教えている科目が不得意だったという先生はあまりいないだろう。自分が好きな科目だからこそ、その科目の先生になったのだと思う。しかし学習者はその科目が好きだとは限らない。逆に嫌いだとか、苦手にしている人のほうが多い場合もある。そんな時も、心の中では(何でこんなことも解かってくれないのぉ~)と思いながらも、笑顔を絶やさず、決して感情的にならず、辛抱強く、しかも学習者の興味を惹きながら講義を進めてゆく。この時、大事なのは学習者に「自分にでも出来るんだ!」という自信を持たせることだ。一度自信が付けば、自ら積極的に勉強してくれるようになる。
試験にしても同じだ。
作成者にとっては難易度の設定でとにかく頭を悩ます。硬軟取り混ぜて、出題したものの、学習者の平均点が思ったより低かったりすると「自分の教え方がまずかったのではないか」と反省することしきりである。試験は今まで教えた内容を、学習者がどれ位理解できているのか教師が確認する“手段”であって、“学生の成績を付ける”のが一番の目的ではないのだ。採点も少しでも良い点数をあげようと、一つ一つ丁寧に見ていく。学習者が明らかに間違えて覚えている箇所には“コメント”を入れる。また、難しい問題にもかかわらず正解した学習者には“思いっきり賞賛のコメント”を書いてあげることにより、全体の学習意欲を高めてあげる努力をする。
一時間の授業をするのに、その準備のため(教案やプリント作成など)に四~五時間かけるのは普通である。一日に三コマ以上の講義を抱えていたりすると、本当に「好きでなければ務まらない」と思う。
何事もそうであるが、傍(はた)から見るのと、実際やって見るのとでは大違いである。
こんな私がまがりなりにも“先生”を目指そうと思ったのは大学時代に、韓国語を教えて下さった心から尊敬する恩師との出逢いがあったからだ。今、先生はお忙しい研究活動の傍(かたわ)ら教育テレビのハングル講座の監修を担当されている。先生との出逢いがなければ、今私はソウルにいないだろう。
写真は先生が編まれた『ぷち韓国語』(左)と『Viva中級韓国語』(右)。ともに朝日出版社刊。
韓国の国民は生まれたときから、誰でも13ケタの住民登録番号を持っている。
6ケタの生年月日と性別そして出生届地域のコードとこれを検証する7ケタの番号からなる。そして満十七歳になると“住民登録証”と呼ばれるキャッシュカードほどの大きさの身分証明書が発給される。全ての身分確認はこの登録証を持って行われる。
韓国に居住する外国人も例外ではない。九十日以上韓国に滞在する場合はその地域を管轄する出入国管理事務所で外国人登録を行わなければならない。登録手続きを終えると、一週間ほどで“外国人登録証”が発行される。
私はメインバンクの通帳を二冊持っている。
一冊は延世(ヨンセ)大学にいる時に作った通帳。もう一冊は大学院に進学した際、新たに作ったものだ。
延世(ヨンセ)大学でもそうだが、韓国の大学の学生証の多くは銀行のキャッシュカードと地下鉄やバスを利用する際のデポジット・カードとしての役割を併せ持っている。従って、学生証を作成する際には大学が指定する銀行の預金通帳を作らなければならない。私の場合はそれが偶然にも同じ銀行だったわけである。
以前、貯金通帳の繰越に行って来た話しはここに書いた。
その時繰越したのは大学院で作った通帳だった。私は、通帳の表紙にそれぞれ大学名を記入して、二冊の通帳を間違えないようにしている。
繰越しの際に古い通帳と、外国人登録証を窓口の職員に渡した。
表紙に大学名が書いてあったので窓口の女性は「学生さんですか?」と私に訊いて来た。でも、“外国人登録証”の生年月日を見たのだろう、すぐに「違うでしょう?」と言ってきた。
私個人としては、勉強するのに“年齢は関係ない”と思うのだが、それは世間の常識ではなかなか通用しないのが現状だ。
そういう時は単に「大学で日本語を教えています」と答えることにしている。ここにも書いてあるが、私の“本職”は大学で日本語を教えることである。でも、それはあくまで“本業”である「外国語としての韓国語教育」を勉強する上で、非常に役に立つからだ。
とにかく、韓国で暮らしているとこういうプライベートな質問に日本以上に出くわす。
「日本のどこ出身ですか?」
「何歳ですか?」
「結婚していますか?」(未婚だと答えると)「特上カルビさんは独身主義者なんですか?」と奇異な目で見られてしまう(所帯を持っていたら、韓国で自由に勉強してられません。男たるもの、大切な家族を養わねばならないのです!)。
「じゃ、彼女はいますか?」
「お仕事は何ですか?」
「どこにお住まいですか?」
「下宿ですか?ワンルームですか?アパートですか?」
「日本の女性と、韓国の女性どちらが綺麗ですか?」なんていう愚問に至っては、正直答えたくもないのだが、社交辞令で「もちろん韓国の女性ですよ」と答えておくことにしている(これ以上日韓関係を悪化させたくない)。
またもや、話しが大きく逸れてしまった。
「大学で日本語を教えています」という一言は、韓国では思った以上のインパクトを相手に与える。
元々、先生という職業を敬う考え方が根強い韓国にあって、小学校から大学に至るまで、“先生”をやっているというだけで、尊敬の眼差しで見られてしまう。特に「大学で教えている」と言っただけで、非常勤講師だろうが、専任講師だろうが、助手であろうが、すべて“教授(キョースニム=교수님)”と呼ばれてしまうのだ。“先生”と解かった瞬間から、急に相手の私に対する態度が変わるのが面白い。特に私の場合、教壇に立つとき以外はシャツにジーンズという格好が多いから余計だ。
それはそれで、呼ばれたほうの気分は決して悪くは無いが、日本の飲み屋街での呼び込みの“常套句”である「社長!一杯いかですか?」の“社長”と呼ばれているような気もして“複雑”ではある。そんな私もスポーツクラブに行けば立派な「教授(キョースニム)」扱いである。
それにしても、教授を含め、先生という職業は「サービス業」であるということを、教える立場になって初めて痛感した。それこそ「ホスピタリティー(Hispitality)」の精神が無かったら、とても務まらない。学生時代は「先生って何て楽なんだろう・・・」と考えていたが、それは大きな間違いだった。
もちろん、この世の中に“楽な仕事”など一つたりとも存在しない。
しかし、自分で勉強し理解するのと、人に理解してもらえるようにモノを教えるのは全く別物である。教える側は常に教わる側の何倍もの勉強をしなければならない。日々新しい教授法や研究結果が発表される。それらを漏らさずチェックしておく必要がある。特に語学教師の場合は“時事問題”、特に最新の“流行”や“キーワード”、“キーパーソン”などについて詳しくなければならない。何故なら学習者たちと話しを合わせるためには、必要不可欠知識だからだ。特に学生は概して教師よりもその辺りの知識は詳しい場合が多いからだ。教師が「何も知らない」と言ってしまっては学習者から信頼を失ってしまう。
日々の授業にしてもそうだ。
小学校の先生は別にして、自分が教えている科目が不得意だったという先生はあまりいないだろう。自分が好きな科目だからこそ、その科目の先生になったのだと思う。しかし学習者はその科目が好きだとは限らない。逆に嫌いだとか、苦手にしている人のほうが多い場合もある。そんな時も、心の中では(何でこんなことも解かってくれないのぉ~)と思いながらも、笑顔を絶やさず、決して感情的にならず、辛抱強く、しかも学習者の興味を惹きながら講義を進めてゆく。この時、大事なのは学習者に「自分にでも出来るんだ!」という自信を持たせることだ。一度自信が付けば、自ら積極的に勉強してくれるようになる。
試験にしても同じだ。
作成者にとっては難易度の設定でとにかく頭を悩ます。硬軟取り混ぜて、出題したものの、学習者の平均点が思ったより低かったりすると「自分の教え方がまずかったのではないか」と反省することしきりである。試験は今まで教えた内容を、学習者がどれ位理解できているのか教師が確認する“手段”であって、“学生の成績を付ける”のが一番の目的ではないのだ。採点も少しでも良い点数をあげようと、一つ一つ丁寧に見ていく。学習者が明らかに間違えて覚えている箇所には“コメント”を入れる。また、難しい問題にもかかわらず正解した学習者には“思いっきり賞賛のコメント”を書いてあげることにより、全体の学習意欲を高めてあげる努力をする。
一時間の授業をするのに、その準備のため(教案やプリント作成など)に四~五時間かけるのは普通である。一日に三コマ以上の講義を抱えていたりすると、本当に「好きでなければ務まらない」と思う。
何事もそうであるが、傍(はた)から見るのと、実際やって見るのとでは大違いである。
こんな私がまがりなりにも“先生”を目指そうと思ったのは大学時代に、韓国語を教えて下さった心から尊敬する恩師との出逢いがあったからだ。今、先生はお忙しい研究活動の傍(かたわ)ら教育テレビのハングル講座の監修を担当されている。先生との出逢いがなければ、今私はソウルにいないだろう。
写真は先生が編まれた『ぷち韓国語』(左)と『Viva中級韓国語』(右)。ともに朝日出版社刊。