特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

『延世(ヨンセ)の魂(たましい)と息吹き,そして未来』展を見る

2005-05-06 23:59:12 | ソウル見て歩き
 時々曇り。最低気温9度。最高気温14度。久しぶりに肌寒い一日。薄手のジャケットを羽織りたい気分。

 明け方激しい雨。気温も一気に下がったようだ。

 天気の良くない日は抑うつ状態との闘いに明け暮れなければならない。これが結構辛い。朝七時前には目が覚めていたのに、結局布団から出られたのは午後一時過ぎ。この前の水曜日にも病院の先生から、「うつ病と闘うんじゃなくて、今の自分の体の状態をありのまま受入れるように心がけましょう。無理をするとそれ自体ががストレスになりますからね」と言われたばかりなのに今日も朝から思いっきり格闘してしまった。反省

 今日はゴミの回収日。今週水曜日にゴミ出すの思いっきり忘れちゃったんだよね。清掃車が轟音を立ててやって来た時にはもう遅かった。今日こそは忘れじとゴミ箱のゴミを専用のゴミ袋にひとまとめにして家の前に出して出かける。

 私が韓国語を勉強した、延世(ヨンセ)大学の韓国語学堂(ハングゴハクタン)から露天劇場(ノチョングックジャン)へと抜ける緑が生い茂った場所は私のお気に入りの散歩コースだ。今日は樹々の緑が雨に濡れて、その美しさをより一層増していた。同じ緑なのに、一つとして同じ色は無い。自然の神秘と偉大さを感じずにはいられない。

 現実に戻って、まずは腹ごしらえ。朝食も昼食も食べていなかったので、苦学生の味方、学生会館一階にある学食へ。やたら薄味のピラフを食べた。でも1,700ウォン(170円)だから文句言いません。うちの大学の学食に比べれば、はるかに安いし、量も多いし、お腹の中に入ってしまえば味なんて・・・。今月のガス料金も同じ建物の中にある郵便局で払いました。今月は20,290ウォン(2,029円)でした。暖かくなりオンドル(床暖房)を使う機会も減ったので、3万ウォン台だったガス料金が一気に2万ウォン台に収まった訳だ。

 学生会館を出て正門の方へ歩いていたら百周年記念館で『延世(ヨンセ)の魂(たましい)と息吹き,そして未来』と題した延世(ヨンセ)大学の開校以来の歴史を回顧する展示会が開催されていた。入場無料なので、覗いてみることにした。

 来る五月十四日は延世(ヨンセ)大学開校120周年記念日だ。そして去る五月四日には大学の付属病院であるセブランス病院の建物が全面的に新築され、韓国最大規模の地下3階、地上21階、総面積5万1570坪、1004個の病床を備えた最先端の病院に生まれ変わった。

 1885年に“広恵院(クァンヘウォン)”から始まったセブランス医科大学と1915年に開校した“朝鮮基督教大学(チョソンキドッキョテハク)”を母体とした延嬉大学校(ヨンヒテハッキョ)が1957年に統合された際にそれぞれの頭文字“延(ヨン)”と“セ”を取って延世(ヨンセ)大学校という名前になった。このことは韓国の人でも案外知らない人が多い。そんな大学の貴重な史料を間近に見られる機会など滅多にないことだ。延世大学の歴史はすなわち、韓国における西洋医学教育の歴史と大学教育の歴史を同時に俯瞰(ふかん)することと他ならない。

 過去の貴重な史料の数々に見入ってしまい、思わず一時間近くも展示会場で過ごしてしまった。

 朝鮮戦争(韓国内では“韓国戦争(ハングッジョンジェン)”という)などで過去の史料が焼失したり散在してしまっていることが多い韓国において、これだけの大学の史料がきちんと整理・保管されて来たということ自体、驚くべきことだ。展示会場である百周年記念館のすぐ脇には大学の史料を専門に整理・保管している“延世記録保管所(ヨンセキロクポグァンソ)”と呼ばれる建物がある。

 地味と言えば地味な展示会ではあるが、延世(ヨンセ)大学に関わる一人でも多くの人に是非とも見てもらいたい展示会である。

 夕食を済ませてふと外に出たら、薄墨を流したような雲が強い風に流され、どんどんその形を変えていた。裏山にある奉元寺(ボンウォンサ)の鐘の音が聞こえて来た。部屋の前のベランダからは教会の十字架も見える。私はクリスチャンだけれど、お寺の鐘の音は妙に落ち着く。東京の実家もお寺のすぐ近くにある。

 写真は『延世(ヨンセ)の魂(たましい)と息吹き,そして未来』と題した展示会が開催されている延世(ヨンセ)大学の百周年記念館(今日(5/6)曇り空の下で撮影)。展示会は5月2日~21日までの朝十時~夕方五時まで。