特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

主日礼拝に出られた~!

2005-05-29 18:10:22 | 祈り
 晴れ。最低気温17度。最高気温30.2度。今年初の真夏日。とにかく暑い

 今朝は何と四時半に起床。

 抗うつ薬のせいか、近頃寝言がやたらと多い。今日も自分の寝言で目が覚めた。
 でも、起きた途端にどんな寝言をいっていたのか、すっかり忘れてしまう。寝言は言っても気分良く眠れて、起きられれば文句無し。どうやらこの調子なら今日は主日礼拝に行けそうだ。嬉しい!

 朝七時前に家を出る。バスでソウル駅まで出て、今週も駅構内で軽めの朝食。七時半前だったので駅も比較的空いていた。朝食後地下鉄とバスを乗り継ぎ久しぶりに教会へ。朝の八時過ぎに到着。教会内の売店で『치유(治癒)healing』というアルバムタイトルに惹かれ、イ・クァンジェ(이광재)というサックスフォン奏者のCDを買ってみた。今、そのCDを聴きながらこのブログを書いているが、アルバムタイトルの通り何となく心が“癒される”感じがする。ライヴで聴いたらもっと素晴らしいだろう。
 
 今日の礼拝で聖歌隊の『火をともせ(プルル パルキョラ=불을 밝혀라)』という賛美はちょっとしたスウィングジャズぽくって気に入った。スウィングジャズといえば、愛しのリナ・パーク(LENA PARK)サマラジオ番組にゲスト出演した際に、お気に入りのスウィングジャズとしてかけたこの歌のリズムが頭から離れない。自然と体が動き出す歌だ

 ところで今日の説教、朝食後に飲んだ抗うつ薬が見事に効いて、頭がボ~ッとしたままほとんど韓国語が左の耳から入って右の耳から抜けていくという状態のまま終わってしまいました。礼拝の最後のほうは睡魔との闘い。頭が自然と前後左右にガックン、ガックン傾いて、かなり恥ずかしかったです。はい

 でも今月最後の主日礼拝ということで洗礼式を共にすることが出来たし、それだけでも大きな恵みです。「主よ、感謝いたします!」
 本日受洗された皆さんおめでとうございます!心からお祝い申し上げます(チュッカヘヨ!=축하해요!)。

 それにしても今日ばかりは、まさしく“主によって礼拝に呼ばれた”気がしてなりませんでした。
 日本語礼拝までは出る余裕が無かったけれど、この調子で無理せず“リハビリ”を続けて行けば、日本語礼拝にも近いうちに参加出来るようになるでしょう
 今週は何か良いことがありそうな予感がします。楽しみです。

 どうぞ、皆さんも素敵な一週間をお過ごし下さい

 写真は礼拝堂に上がる階段の踊り場にあるステンドグラス。久しぶりに礼拝に出られたのが嬉しくて、思わず写真を撮ってしまいました。

前ばかりでなく、後ろにも気が配れる人

2005-05-29 05:36:39 | 韓国留学記
 晴れ。最低気温17度。最高気温30.2度。
 
 ソウルの中型及び模範タクシーの基本料金が来月(六月一日)から17.52%引き上げられます。

 これにより、中型タクシーは、基本料金(最初2キロメートル)が1600ウォン(およそ160円)から1900(190円)ウォンになり、距離料金は168メートル当たり100ウォン(10円)から、144メートル当たり100ウォン(10円)に、時間料金は41秒当たり100ウォン(10円)から35秒当たり100ウォン(10円)に改定されるそうです。
 バスや地下鉄の運賃も昨年値上げしたばかりなので、市民の財布の中身への影響も深刻だと思います。値上げされるたびに「お客様へのサービスを改善します」と声高に叫ぶものの、結局何ら変化が無いのが実情です。

 三浦綾子さんが書かれた本を読んで、北海道では“タクシー”のことを一般的に“ハイヤー”と呼ぶことが多いということを知りました。
 昨年(2004年)の八月七日に旭川で開催された“三浦綾子『氷点』40周年記念懇親会”に参加したことはここに書きました。
 
 その時旭川で、三浦綾子さんに何度も利用して戴いたという運転手さんのハイヤーに乗りました。
 その運転手さんから三浦綾子さんについての様々なお話しを伺いました。
 パーキンソン病でお体が不自由になるまで、ハイヤーから降りられる際は、必ず「ありがとう。お気をつけて」と一声かけて下さったそうです。それが何より嬉しかったと話されていました。

 私もこの話しは、学生時代に三浦綾子さんのエッセイ集か何かで読んだ覚えがあります。
 その本を読んでから、私もタクシーを利用した際には必ず「ありがとうございました。お気をつけて!」と運転手さんに一言お礼を言ってから降りるようにしています。
 この一言で、今まで機嫌悪そうにムスっとしていた運転手さんの表情が崩れ、「ありがとうございますっ!」と明るい返事が返ってくると、私まで嬉しくなります

 私がつい最近読んだ、俳優で数多くの本も書かれている中谷彰宏(なかたにあきひろ)さんの本にこんなことが書いてありました。

 中谷さんがタクシーに乗っていたら、細い道で前のタクシーが停まったそうです。
 急いでいた中谷さんは「ここで前のタクシーが停まると遅れるな」と思ったら、やっぱり停まったそうです。
 当然ですが、細い道で前のタクシーが停まったら、自分のタクシーは前に進めません。
 前のタクシーから降りてこられた方は、中谷さんも存じ上げている有名なファッション評論家の方だったそうです。
 その方はタクシーから降りたときに、中谷さんが乗っているタクシーのほうへ会釈をされたそうです。その瞬間、中谷さんは「うわっ、カッコいい」と思ったそうです。
 そのファッション評論家の方は、別に後ろのタクシーに中谷さんが乗っていたから会釈をされたわけではありません。
 
 (中略)
 
 タクシーで降りる時には、ちょっと考えないといけません。
 ここへ停めて運転手さんの迷惑にならないか、後ろの車の迷惑にならないか、周りの車の流れを止めないか。
 タクシーを降りる時に後ろを見るのは、安全のためではありません。知っている人との出会いがあるかどうかではないのです。
 知っている人に気を配ることより、知らない人に気を配ることが大事なのです。
 タクシーを降りて、もし後ろの車の流れを止めていたとしたら、会釈が出来る。
 人間関係で一番大事なことは、前ばかりでなく、ちゃんと後ろにも気が配れることです。

 ―中谷彰宏著『出会いにひとつのムダもない』(pp.155-157)より。

 これを読んで、今までの私は“後ろにも気を配れる”余裕が果たしてあっただろうか?と考えさせられました。言われてみれば簡単そうですが、普段から常に周囲に対して気を配ることが身についていないと、そう簡単に出来ることではないからです。
 
 今までの私は“自分さえ良ければ”という気持ちが人一倍強かったように思います。“後ろ”はおろか“前”や“隣”の人に対しても気を配れていなかったのではないかと思うと恥ずかしくなります。まずは、“目の前”にいる人たちに対して気を配れるようになりたいと思います。

 写真はソウル市内を走る一般的な中型の個人タクシー(モデルは現代自動車のNew EF Sonata)。