特上カルビの記のみ気のまま

韓国語教育を韓国の大学院で専攻した30代日本人男性が、韓国ソウルでの試行錯誤の日々を綴りました.

韓国の紙幣に“年季が入る”理由(わけ)

2005-05-23 23:23:16 | 韓国留学記
 晴れ。最低気温13度。最高気温20度。

 朝は肌寒かったが、陽が高くなるにつれて気温も上昇。汗ばむ陽気。

 私は向田邦子(むこうだくにこ)さんのファンである。

 向田邦子さんといっても、最近ではご存知無い方も多いのではないだろうか。
 1981年8月に旅行先の台湾で急逝されてから今年で二十四年も経つから当然だろう。
 私は大学時代に、初のエッセイである『父の詫び状』を読んでから、向田作品を読み漁るようになった。初期の代表作である『森繁の重役読本』など、ラジオやテレビの脚本などを数多く手掛けたせいか、短編のエッセイは特に秀逸だと思う。
 どの本だったかは失念したが、向田さんは、母親から「祝儀・不祝儀はいつあるか判らないから、常に“新札(ぴん札)”を何枚か用意しておくように」と言われたので、いつもそのようにしていた。と、いうような内容のエッセイを読んだことがある。

 何事もすぐに影響を受けやすい私は、社会人になってから、常に“新札”を何枚か財布の中に入れて持ち歩くように心がけていた。
 また、いざという時のための“ヘソクリ”もすべて“新札”にしていた。単に祝儀・不祝儀に備えていた訳ではない。未使用の“新札”ばかりを持つと、使うのが惜しくなるという心理が自然と働く。“浪費癖(ろうひへき)”のある私にとっては、最も簡単なお金の節約法でもあったのだ。

 学生時代はもちろん、社会人になってからも何度となく仕事やプライベートで韓国を訪れる機会があった。

 金浦(キンポ=김포)空港に降り立ち、空港内の銀行でウォンに両替するたびに、“くたびれ果てたお札”の多さに驚かされたものだ。
 日本では到底お目にかかれない代物だ。梅干を百個も口に詰め込まれた、おばあちゃんの顔のように“しわくちゃな”ものや、思わず『取り扱い注意』と書きたい衝動に駆られる“今にも破れてしまいそうな”紙幣まである。
 一体どうやったらここまで“年季が入ったお札”に変身できるのか、世宗大王(セジョンデワン=세종대왕)栗谷李珥(ユルコックイイ=율곡이이)、そして退溪李滉(テェゲイファン=퇴계이황)にそれぞれ尋ねてみたいものだ(それぞれ、韓国の一万、五千、千ウォン紙幣の肖像画として描かれている人物だ)。

 韓国では財布を持たず、ポケットなどに直接お金を入れて持ち歩いている人が意外と多い(特に中高年のオジサン達はその傾向が強い)。

 韓国は日本以上の“カード社会”である。

 財布には何枚ものクレジットカードが入っている代わりに、現金は最低限しか持ち歩かないのが普通だ。
 つまり、主に現金を扱うのは、クレジットカードが使えない街の露天商や市場(いちば)で現金商売をする人たちがほとんどだ。
 そうなると、必然的に風雪に晒される機会も多くなり、メモ用紙代わりに数字などが無造作に書き込まれたりする羽目になる。
 「否が応でも“年季が入ったお札”にならざるを得ないのだ」と、世宗大王(セジョンデワン)が私にそっと耳打ちしてくれた。

 今日、病院からの帰りに外で昼食を食べた。

 そこでお釣りとして渡された五千ウォン札を見て、私は思わず泣きたくなった(写真)。あまりにも長い歳月を風雪に晒(さら)されて来たのが見て取れたのだ。
 この五千ウォン札には悪いが、自分が急に“貧乏たらしく”思えて来た。
 お昼に食べた“のり巻き(キンパプ=김밥)”と“うどん(우동)”の味が、普段よりもしょっぱく感じられたのは涙のせいだったのかも知れない。

 私はビジネスでソウルを訪れる際には、韓国でも最高級のサービスと設備を誇るホテルを利用していた。

 このホテルは日本のホテルと提携し、ホテルスタッフのサービスに関する研修や指導なども受けていると聞いている。韓国に留学に来てからも、宿泊や食事などで何度か利用している。サービス研修や指導を行っている日本のホテルがそうであるように、このホテルでもフロントのキャッシャーのみならず、レストランやベーカリーなどで、お客様にお渡しする“お釣り”には全て“新札のみ”を使っている。硬貨も含めて“新硬貨”を使うのが原則だ。
 
 宿泊中ホテルで現金を使う機会は少ないかも知れない。しかし、そんな“ちょっとした気遣い”がお客様に“感動を与え”、他のホテルとの差別化を図ることが出来るのである。海外や日本の高級ホテルでは以前から行われていることではある。しかし、それをここ韓国で行うことによって、より一層付加価値が増し、ホテルのステイタスもアップするのである。

 ソウルにも外資系ホテルが多数進出し、過当競争の時代に突入した。その影響か優秀な人材が流出し、韓国内の老舗ホテルは以前に比べ全体的なサービスの質が低下している感は否めない。そんな今だからこそ、お客様に対する“ちょっとした気遣い”が大切なのだと思う。

 もちろん、街中(まちなか)の安食堂と高級ホテルに同じレベルのサービスを求めているわけではない。
 しかし、もし自分が“お客様として”来店し、“くたびれ果てたお札”を“お釣り”として渡されたとしたら・・・。もし、その気持ちが少しでも理解できたとしたら、そのお店は充分繁盛するに違いない(料理の味は別問題として・・・)。
 サービス業に携わる者の基本として“お釣り”はお客様からお預かりしたお金、つまり“お客様の物”であるということを決して忘れてはならない。

 今日の教訓:「お釣りはお店のものでなく、お客様のものである」

 写真は今日のお昼に食堂で“お釣りとして”貰った五千ウォン札(写真ではあまり判りませんが、実際は見た目よりひどい状態でした)。ここの写真と比較してみて下さい。

 このお札は、すぐに銀行に持って行き、きれいなお札と換えてもらいました。
 何故って、自分のお財布の中にこの五千ウォン札が入っていると思うだけで、精神的に貧しく思えて来て仕方がなかったし、他のお金までが“汚(けが)される”ような気がしてならなかったからです・・・。

 追記(5/23):ソウルで“お釣りを新札で”くれたところは、高級ホテル以外にここくらいしか記憶にありません。