今日は、ギックリ腰で入院しているじーちゃんの見舞いに行った後、ばーちゃんの顔を拝みに行って参りました。
ロクデナシで放蕩野郎の私は、パタリといなくなったりして、数年音沙汰も無くなったりする。
そんな私なのだが、この母方の祖父母は初孫の私を可愛がってくれ、顔を見せに行った私に、二人とも超ご機嫌だった。
祖父は恋する乙女かのごとく私をずーっと見つめ、こっちがついつい目を逸らしてしまう程。
祖母はなにやら、この歌知ってる?とか言いながら、古い歌を「し~なのよ~おおぉる~ぅぅ」と、ハイトーン&ビブラートで歌いだす始末。
いやはや、愛してくださるというのは、非常にありがたい話だ。
私も祖父母が大好き。
酢の物や煮物がいまいち苦手な私だが、祖母の酢の物や煮物は大好物で、それこそ酢の物は、祖母の作ったものしか食べないぐらいだ。
いつだったか、私は酢の物を食べないという認識を持っていた母が、祖母の作った酢の物を美味い、美味いとバクバク食べる私を見て、私が同じもの作っても食わないのに、ムキー!と怒っていた事があった。
母には悪いが、こうしたものは、断然祖母のものの方が美味い。
祖父は、幼かった頃、色々なところへ連れて行ってくれ、たくさん遊んでくれた。
東京近郊の新しすぎない娯楽施設のほとんどが、祖母との思い出に満ちている。
今日、祖母が、突然、祖母の両親の写真を見せてくれた。
考えてみると、私は、祖母の両親…曾祖父母をヴィジュアルで見た事がなかった。
見て、ビックリした。
曾祖父の目が、私の目とまるっきり一緒だったのだ。
私は、第一印象に、必ず目の事を言われるぐらい、目に特徴があるらしい。
しかし、私の親戚の中で、私のような目を持つ人間を見た事がなかった。
私の誰にも似ていない目は、父と母の持つ遺伝子がミックスされて形成されているのだと思っていた。
しかし違った。
私の目は、祖母の血から発生していたのだ。
なんだか嬉しかった。
白黒の写真に映し出された曾祖父は、他のパーツは違けれど、目は、確実に私のものと、瓜二つだったのだ。
遺伝情報を確実に、私は祖母からも受け取っていたというわけだ。
無論、私は曾祖父に会った事はない。
しかし、こんな思い出がある。
以前、九州に住んでいた頃、バイクで下道で、東京に遊びに来た事があった。
下道でのんびり、日が暮れたら、そこらにテントを張って、火を焚いて、寝袋で寝るような旅だ。
東京からの帰り道、鳥取県の海辺で寝ていたら、祖母から携帯に電話があった。
時期はちょうどお彼岸。
祖母で直系の血筋の途絶える祖母の実家の墓を参って欲しいという、願いであった。
私は京都に戻り、道中見つけた和菓子屋でおはぎを買い、京都市内に入った。
祖母の墓の場所の説明は、強烈にアバウトだった。
「京都にある、福知山ってところに、国道にそった川が流れていて、造り酒屋の向かいに橋があり、その橋を渡ると踏切があり、その先の竹林の先に、お墓がある」
私は、福知山って村かなんかだと思って気楽に行ったのですが、京都の交番で聞いたら、なんと、福知山って、「市」だったのです。
福知山市、かなり広い。
交番の地図を見て、川に沿う国道というものに目星をつけ、とりあえず行ってみる。
見つからないだろう…という気分まんてんだった。
福知山市に入った飯屋で、造り酒屋について尋ねてみると、福知山には造り酒屋がたくさんあるので、その程度の情報では、特定できるわけもないと言われた。
川を眺めながら国道を走る。
川には無数の橋がかかっていた。
その中で、1つだけ、妙に気になる橋があった。
特別珍しい橋ではなかったのだが、なんだか気になったのだ。
その橋のちょっと先にあったコンビニに入り、聞いてみたら、その橋の向かいに、小さな造り酒屋があるとの事だった。
もしや!と思い、橋を渡っていたら、農作業をしていたおじさんに止められた。
どこへ行くのか?と言われたので、祖母の墓参りに行きたいと言った。
誰のだ?と言われたので、祖母の名をあげたら、「あー、ときちゃんの孫なのか」と答えられた。
もしやが、確信に変わった。
しかし、踏み切りの先に竹林は無く、線路ぎわを走っていったら、行き止まりになってしまった。
道が狭く、ユーターンもできずに、バイクを下げていて、ようやくユーターンできる場所を発見し、ユーターンしようとしたら、目の前の線路際の柵が、そこだけ切れていた。
もしや?と思い、そのままバイクを置き、線路を越え、山を登っていった。
獣道のような竹やぶの間の細い道。
途中途中に、小さな川が流れているのを飛び越えつつ進む。
突然開けた景色に映し出されたのは、無数の墓であった。
見つけられた嬉しさにゲラゲラ笑ったものの、どの墓が祖母の実家の墓だかわからない。
…と、1つの墓の前に、奇妙なものを発見。
竹が地面に突き刺されており、その竹の先が割られてあり、そこに、紙が挟まっていた。
そこには、「○○家の墓」と書かれていた。
その姿、流鏑馬の如し。
それが、祖母の実家の墓であった。
祖母、私に電話した後、福知山の友人に電話して、私がその墓を見つけやすいように、目印をつけてくれるように頼んだようだ。
ものすごくわかりやすいような、わかりにくいような目印であった。
墓の前でゲラゲラ笑いながら、おはぎを供る。
カメラを設置して、墓の前でピースサインしながら写真を撮り、墓にかかっていたゴミを払い、墓の前にドッカリ座って、タバコを一服。
携帯を取り出し、祖母に電話。
「墓に着いたよ。今?墓の前。」みたいな会話。
携帯を切って、ふと気がついた。
携帯、圏外を表示していたのだ。
墓の間をうろうろ歩いてみたが、どこへ行っても圏外。
あら?
なぜ祖母に電話できたのであろうか??
ともかく、墓に辿り着いたのも、電話が繋がったのも、奇跡に等しい。
私は霊の存在とか、あんまり信じてないのだが、こうなると、少し信じて良い気にもなる。
こうした霊ならば、こわくなくていいな。
だいたい、墓を目前に、こんな態度をとれるというのも、おかしい。
この墓におさまっているのが、その、私と瓜二つの目を持つ、曾祖父なのだ。
あの時、参る事ができてよかった。
祖母は電話口で、ありがとうを繰り返し、泣いていた。
放蕩孫が酔狂で立ち寄っただけなのにと、なんだか申し訳ない気持ちになった。
墓参りなんて、なぜするのだろう?と思っていたけれど、この時、なんだか意味が少しわかったように思う。
結局これで、一日かかってしまったが、良い一日であった。
日の暮れかかる京都を西へ、走り出したのでした。
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