SCUM’S BLOG
満たされている時は
満たされている事に気付かない
むしろ枯渇すら感じる
 



ここ2日ばかり寒かったのに、今日は何やら暖か。
今年まだバイクを動かしていなかったので、エンジンをかけようかなと思い立つ。
せっかくだから、ちょっと走ろうと思い、近所に何か無いかしら?と検索してみて、「草刈の碑」というのが目に付いた。
「日本全国草刈り選手権大会」というものを記念した石碑らしい。

「日本全国草刈り選手権大会」ってなんだ?
ちょっぴり気になる。

とりあえず、覗きに行ってみる事に。
石碑は、岩淵水門のある辺りにあるらしい。
岩淵水門は、子供の頃よく見ていたので、場所はおおよその見当がつく。


久々のエンジン始動!(動画参照)


久々だからか、いまいち機嫌の悪いバイクと共に、北赤羽の横の浮間橋を越え、環八に出て東へ。
そのまま北本通にスイッチし、志茂5丁目辺りから、北側の住宅街の間の細い道を進み、荒川の土手に出る。
志茂橋をバイクのまま越える事ができたので、土手までバイクでかなり近づくことができたので、ちょっと嬉しかった。







土手はこんなカンジ。
整備されていて綺麗。
散歩したりするのに、すごく良い感じ。


まずは水門見学。

水門の説明書きによると、昔は荒川の本流は隅田川だったそうで、今の隅田川が、昔は荒川と呼ばれていたのだそうです。
この昔の隅田川は、川幅が狭く、堤防も低かったため、洪水を多く惹き起こしたため、明治44年から昭和5年までかけて、新たに約22kmの人工の放水路を作って、洪水を防いだのだそうです。
その放水路が、現在の荒川なのだそうです。
その新しい荒川と隅田川が分かれる辺りにあるのが、この志茂水門。

へ~
知らなかった。




これが赤門と呼ばれる旧岩淵水門。
昭和57年に新たに作られた青門に役目を引き継いだものの、荒川周辺を守った歴史として、整備管理され、残されているのだそうだ。




これが青門と呼ばれる新岩淵水門。
現役です。




写真で、川は右に向かって流れており、写真中央の中洲の奥が荒川、手前が隅田川になるわけです。




赤門の上を通り、中州へと渡る事ができます。
その中洲に、例の石碑があるわけなのです。




赤門を渡ったら、まずこんなのがあった。

「月を射る」というオブジェ。
錆びたなんかにしか見えないが、平成8年度 荒川リバーアートコンテスト特賞受賞作品らしい。
元からこうなのか?
飾られて、ほっとかれて、ここまで錆びてしまったのか??
それは私にはわからない。


そしてようやく石碑に辿り着く。
石碑の台座に腰掛ける男が、ハトに餌をあげていた。
私が近づいた事で、バっと全て飛び立つハト。
申し訳ない気持ちのまま近づいたら、バッサバッサとハトが戻ってきた。
それはそれでウザい。


んで、石碑。




草刈の碑
農民魂は先づ草刈から


と、大きく刻まれた碑。
この文字の下に書かれていた事は、大雑把に書いたら、こんな事。

草刈るってーのは、日本農民の昔から行っている良い事で、農民の魂であり、訓練であり、発露である。
農薬に頼るのもいいけどさ。
農薬に頼ってると、草刈が衰えちゃうわけ。
でもさ、自然の方が良くない?
たい肥とかだってさ、草刈すれば作れるわけだしさ。
体にも良さそうだしさ。
だから、草刈サイコー!って、しようと思ったわけ。
んで、男女青年団、農学校、壮年団とかで四組に分かれて、全国で町村大会、郡大会、都道府県大会とか大きくやっちゃって、選手選んで、そんで集まった連中で大会したわけよ。
昭和13年8月からここで、6年、6回も。
天皇様とかだって、見に来てくれたのよ。
鎌振って頑張る選手を応援するために、2時間にもわたる大会を、両岸がうまるぐらいの観衆が集まって、旗やら振って、応援したわけよ。
でもさ、戦争が始まっちゃったから、その後の大会は中止になっちゃったの。
でも、それってもったいないから、農業関係のみんなで寄付を集めて、この石碑作ったの。


…こんな感じであろうか。

ううむ。
「日本全国草刈り選手権大会」という響きが面白くて見に来てしまったのだが、案外重くて深いお話でした。
今の農業家の苦悩も、この時代をひきずり…いや、国内農業の現状を考えると、もっと悪化しているのではないか?

農薬ってのは、害虫を完全に排除は出来ないのだそうだ。
たとえば、Aという農薬を使い、害虫が9割死ぬ。
しかし、A農薬に耐性を持つ害虫が1割は生き残り、あっという間に元の数に戻る。
そこで、Bという農薬を使うと、A農薬に耐性のある1割が生き残り…と、結局堂々巡りなのだそうだ。

かえって、農業害虫ではなく、益虫とされる生き物達は、えてして農薬に弱かったりする。
その害虫とされる生き物を捕食する益虫達が農薬によって殺される事によって、害虫被害がさらに拡大する事も少なくないらしい。

農薬を使わなければ、害虫は減らないが、農薬を使うと、害虫を捕食する益虫が全滅する。

以前、この農業害虫を捕食する率が圧倒的に高い蜘蛛を殖やし、農薬を使わずに、蜘蛛によって農薬の代わりにするという研究がなされているという話を聞いた事があるが、その後聞かないから、きっとダメだったんだろうなぁ…


まぁいいや。

ちょっぴり感慨深い気持ちのまま、王子にある飛鳥山公園を覗く。
バイクを置く場所がなくて、困った。
結局、交番の近くの歩道に停めた。




王子といえば飛鳥山公園というぐらい、この辺りでは有名だが、桜の時期ならばともかく、なんてない公園だ。

3つぐらい博物館があるが、「紙の博物館」とか、ちょっと見るには微妙なものだ。
見たら面白いのかもしれないけれど、勇気がわかない。




本物の電車なんかが置いてあるので、子供を連れての散歩などには良いかもしれないけれど。
でも、この時は、なにやら工事していたので、電車に近寄れる風ではありませんでした。




この飛鳥山公園の脇には、都内唯一の路面電車が走っています。
こいつの存在を忘れていたので、久々に見て、なんだか新鮮でした。
たしか、高田馬場から、早稲田まで走っているのだったと思います。
(訂正:全然違いました。どんだけ短距離なんだってもんですよね ^_^; これでは。早稲田から三ノ輪まででした。)


この後、やはり王子の「名主の滝公園」に、滝を見に行こうと思ったのだけれど、工事中で、滝が流れていないとの事で、断念。
工事で流れない滝っていったい…

いやはや、セコい滝なのはわかってるけれど、後日リベンジです。

近所でも、探せば地味に面白いものもあるものですねぇ。

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映画「ターミナル」を見てきました。


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あらすじ(goo 映画より転載)

東欧クラコウジアからニューヨークに来たビクターは、入国ゲートで職員に呼び止められた。
渡航中にクーデターが起こり祖国が消滅、パスポートが無効になってしまったというのだ。
彼の目的地は「ラマダ・ホテル」。
ニューヨークは目の前なのに、パスポートがなければアメリカに入国もできず、国情が安定するまでは帰国することもできない。
彼は、空港で生活することを余儀なくされる。
ビクターがニューヨークに来た目的は?
彼が大切にしている缶の中身は?
片言の英語しか話せないビクターは、「約束がある」と言うだけだった。


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かなり良く出来た映画だったと思います。
話は地味で、起伏も少ないのですが、かえってそれが話に嘘臭さを感じさせず、また、テンポ良く進んでいくので、違和感をほとんど感じる事無く、飽きずに、感情移入する事ができました。
変に、感動してして!といった空気は無く、見る前に想像していたよりコミカルだったりして、疲れずに見られるというのも良かったです。
ラストがちょっとダレたりと弱い部分もあったけれど、それを差し引いても、オススメできる映画なのでは。

この映画はフィクションだけれど、空港で暮らさざるをえなくなったという設定のモデルとなる人物がいるそうですね。
その人物自体は、この映画の主人公のような人物ではなく、その空港での暮らしに慣れてしまって、なんだかホームレスを満喫して暮らしちゃっているとかいう話だけれど…

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今日は、ギックリ腰で入院しているじーちゃんの見舞いに行った後、ばーちゃんの顔を拝みに行って参りました。
ロクデナシで放蕩野郎の私は、パタリといなくなったりして、数年音沙汰も無くなったりする。
そんな私なのだが、この母方の祖父母は初孫の私を可愛がってくれ、顔を見せに行った私に、二人とも超ご機嫌だった。
祖父は恋する乙女かのごとく私をずーっと見つめ、こっちがついつい目を逸らしてしまう程。
祖母はなにやら、この歌知ってる?とか言いながら、古い歌を「し~なのよ~おおぉる~ぅぅ」と、ハイトーン&ビブラートで歌いだす始末。

いやはや、愛してくださるというのは、非常にありがたい話だ。
私も祖父母が大好き。
酢の物や煮物がいまいち苦手な私だが、祖母の酢の物や煮物は大好物で、それこそ酢の物は、祖母の作ったものしか食べないぐらいだ。
いつだったか、私は酢の物を食べないという認識を持っていた母が、祖母の作った酢の物を美味い、美味いとバクバク食べる私を見て、私が同じもの作っても食わないのに、ムキー!と怒っていた事があった。
母には悪いが、こうしたものは、断然祖母のものの方が美味い。
祖父は、幼かった頃、色々なところへ連れて行ってくれ、たくさん遊んでくれた。
東京近郊の新しすぎない娯楽施設のほとんどが、祖母との思い出に満ちている。


今日、祖母が、突然、祖母の両親の写真を見せてくれた。
考えてみると、私は、祖母の両親…曾祖父母をヴィジュアルで見た事がなかった。
見て、ビックリした。
曾祖父の目が、私の目とまるっきり一緒だったのだ。

私は、第一印象に、必ず目の事を言われるぐらい、目に特徴があるらしい。
しかし、私の親戚の中で、私のような目を持つ人間を見た事がなかった。

私の誰にも似ていない目は、父と母の持つ遺伝子がミックスされて形成されているのだと思っていた。

しかし違った。
私の目は、祖母の血から発生していたのだ。

なんだか嬉しかった。

白黒の写真に映し出された曾祖父は、他のパーツは違けれど、目は、確実に私のものと、瓜二つだったのだ。
遺伝情報を確実に、私は祖母からも受け取っていたというわけだ。


無論、私は曾祖父に会った事はない。

しかし、こんな思い出がある。


以前、九州に住んでいた頃、バイクで下道で、東京に遊びに来た事があった。
下道でのんびり、日が暮れたら、そこらにテントを張って、火を焚いて、寝袋で寝るような旅だ。

東京からの帰り道、鳥取県の海辺で寝ていたら、祖母から携帯に電話があった。

時期はちょうどお彼岸。
祖母で直系の血筋の途絶える祖母の実家の墓を参って欲しいという、願いであった。

私は京都に戻り、道中見つけた和菓子屋でおはぎを買い、京都市内に入った。

祖母の墓の場所の説明は、強烈にアバウトだった。

「京都にある、福知山ってところに、国道にそった川が流れていて、造り酒屋の向かいに橋があり、その橋を渡ると踏切があり、その先の竹林の先に、お墓がある」

私は、福知山って村かなんかだと思って気楽に行ったのですが、京都の交番で聞いたら、なんと、福知山って、「市」だったのです。
福知山市、かなり広い。

交番の地図を見て、川に沿う国道というものに目星をつけ、とりあえず行ってみる。
見つからないだろう…という気分まんてんだった。

福知山市に入った飯屋で、造り酒屋について尋ねてみると、福知山には造り酒屋がたくさんあるので、その程度の情報では、特定できるわけもないと言われた。

川を眺めながら国道を走る。
川には無数の橋がかかっていた。

その中で、1つだけ、妙に気になる橋があった。
特別珍しい橋ではなかったのだが、なんだか気になったのだ。

その橋のちょっと先にあったコンビニに入り、聞いてみたら、その橋の向かいに、小さな造り酒屋があるとの事だった。

もしや!と思い、橋を渡っていたら、農作業をしていたおじさんに止められた。
どこへ行くのか?と言われたので、祖母の墓参りに行きたいと言った。
誰のだ?と言われたので、祖母の名をあげたら、「あー、ときちゃんの孫なのか」と答えられた。

もしやが、確信に変わった。

しかし、踏み切りの先に竹林は無く、線路ぎわを走っていったら、行き止まりになってしまった。
道が狭く、ユーターンもできずに、バイクを下げていて、ようやくユーターンできる場所を発見し、ユーターンしようとしたら、目の前の線路際の柵が、そこだけ切れていた。
もしや?と思い、そのままバイクを置き、線路を越え、山を登っていった。
獣道のような竹やぶの間の細い道。
途中途中に、小さな川が流れているのを飛び越えつつ進む。
突然開けた景色に映し出されたのは、無数の墓であった。

見つけられた嬉しさにゲラゲラ笑ったものの、どの墓が祖母の実家の墓だかわからない。

…と、1つの墓の前に、奇妙なものを発見。
竹が地面に突き刺されており、その竹の先が割られてあり、そこに、紙が挟まっていた。
そこには、「○○家の墓」と書かれていた。
その姿、流鏑馬の如し。

それが、祖母の実家の墓であった。
祖母、私に電話した後、福知山の友人に電話して、私がその墓を見つけやすいように、目印をつけてくれるように頼んだようだ。
ものすごくわかりやすいような、わかりにくいような目印であった。

墓の前でゲラゲラ笑いながら、おはぎを供る。
カメラを設置して、墓の前でピースサインしながら写真を撮り、墓にかかっていたゴミを払い、墓の前にドッカリ座って、タバコを一服。
携帯を取り出し、祖母に電話。
「墓に着いたよ。今?墓の前。」みたいな会話。

携帯を切って、ふと気がついた。
携帯、圏外を表示していたのだ。
墓の間をうろうろ歩いてみたが、どこへ行っても圏外。
あら?
なぜ祖母に電話できたのであろうか??

ともかく、墓に辿り着いたのも、電話が繋がったのも、奇跡に等しい。
私は霊の存在とか、あんまり信じてないのだが、こうなると、少し信じて良い気にもなる。
こうした霊ならば、こわくなくていいな。
だいたい、墓を目前に、こんな態度をとれるというのも、おかしい。


この墓におさまっているのが、その、私と瓜二つの目を持つ、曾祖父なのだ。

あの時、参る事ができてよかった。
祖母は電話口で、ありがとうを繰り返し、泣いていた。
放蕩孫が酔狂で立ち寄っただけなのにと、なんだか申し訳ない気持ちになった。

墓参りなんて、なぜするのだろう?と思っていたけれど、この時、なんだか意味が少しわかったように思う。

結局これで、一日かかってしまったが、良い一日であった。
日の暮れかかる京都を西へ、走り出したのでした。

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久々に本を読みました。
「我が名は青春のエッセイドラゴン!」大槻ケンヂ著

我が名は青春のエッセイドラゴン!

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大槻ケンヂ、嫌いではないですが、大ファンというわけではありません。

大槻ケンヂ、知っていますか?
私なぞはついつい、筋肉少女帯、アンダーグランド・サーチライを経て、現在、「特撮」のボーカリストの…と紹介してしまいたいところですが、たまにテレビに出ている、ひび割れメイクのロッカーといった方が、伝わりやすいかもしれません。
彼の書いたエッセイです。

一生懸命に読みたくて買った本では無くて、時間潰しに何か、楽に読める本はないかなぁ…とクリスマスイブの日に見つけた本です。
彼の初期のエッセイなどよりも、よりゆるく、力を抜いて読めるという点では、悪くないです。
前半は、私や、私よりもちょっと上のバンド者には、共感できる部分も多いのでは。
っていうか、共感できねーよ、ダセーもんみたいな人とは、私、バンドライフを語れません(^^; たぶん。
中盤、テレビの話題も、私よりちょっと上の世代が楽しめるのでは。
後半はなんだろう…まぁ、そのままの流れで、やっぱり気楽に読めるかな。


私が大槻ケンヂを知ったのは、中学だったっけかなぁ?
高校だったか?
友達が、彼のオールナイトニッポンの企画の曲、「ボヨヨンロック」というやつのCDを持ってきた時でした。
詩は酷くくだらなかったのだけれど、元AROUGEのギターリストと、JUN SKY WALKER(S)のギターリストのギターバトルが印象的でした。

元AROUGEのギターリストであった橘高 文彦はそのまま筋肉少女帯に加入。
わりと衝撃的なニュースでした。

微妙と思っていた筋肉少女帯だったのですが、橘高加入後は、橘高のギター節炸裂。
それが良いと思うまま、大槻のボーカルにも慣れてしまい、いつしか橘高のギターを聞くことを楽しみに、筋肉少女帯を聞く事に違和感もなくなってしまいました。

でも、私が私の好みの音楽が変化するうちに、やはりこちらもバンドとして音楽性が変化していった橘高在住の筋肉少女帯を、いつしか聞かなくなっていってしまいました。

どの辺りだったっけかなぁ…
ともかく、私の中での筋肉少女帯は、アルバム「月光蟲」まで。
その後も聞いたけれど、橘高全盛は、この辺りまでかなぁ…と。


先日、FLATBACKERに関する記事を書く際、LOUDNESSのサイトを見たら、ボーカルが、元FLATBACKERのヤツから変わっている事に気がつき、今は誰なの?と見たら、アースシェイカーのオリジナルメンバーになっていた。
デッド・チャップリンを作った人だって。
へーと思っていたら、彼の紹介文の中に、橘高の名前を発見!
LOUDNESSと同時進行でやっているユニット「X.Y.Z.→A」のギターリストが、なんと橘高だとの事。
ほぉ…

ちょびとライブが見に行きたいなぁ…
回顧的な気もするけれど…

X.Y.Z.→Aのオフィシャルサイトなんてのもありました。

みんな、頑張ってるんだなぁ…


こんな記事が、このブログの100個めの記事でした(笑

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さてさて、お正月。
お正月と言っても、特別な行事も無いSCUM家。
雑煮を食い、おとそぐらいはいただいたものの、あとは普段の休日と変わらない空気。
正月感がまるで無い。
しいて言ったら、母と妹が年賀状を書いていたぐらいであろうか(遅

母の兄家族が、顔を見せに来るという。
時間が夕方過ぎになりそうだったので、夕飯を出さなくてはなのでは?という話題に、家内が騒然とする。
おせちなんぞ、用意していない我が家。
適当に餅でも食っておけば…という雰囲気だったので、飯を用意するとなると、準備から、買い物からとなってしまい、大変なのだ。

そんな時、新聞広告に、ピザ屋のチラシ発見。
ピザでも頼めば良いかという話で落ち着く。

ピザ屋、PIZZA-LAであった。

ピザーラ、安くなるクーポンとか、チラシについていない?と言われ、広告を見てみたら、安くなるクーポンはついていなかったのだが、「ANGEL BLUE」のキーホルダーがもらえるクーポンがついていた。
2100円買って、クーポンを出すと、1つこのANGEL BLUEのキーホルダーがもらえるのだ。

ANGEL BLUE、なんだかわかっていないのだが、なんだか可愛いキャラクターだなぁと、前から思っていたのだ。
キャラの名前が、「ナカムラくん」とかだったりするのも可愛い。
これがなんだか欲しくなって、俄然ピザーラで頼みたくなった。
キーホルダーは4種類。
我が家族3人に、母の兄家族4人だったら、頼むピザも、8400円は越える事であろう。
そうなれば、4種類とももらえてしまうではないか。しめしめ。
これは、もらっても従妹達に見せないようにせねば…取られてしまうかもしれない…などと、色々考える。
母は、割引のクーポンのあるピザ屋を探しては?と言ってきたが、一蹴。

が、しかし、母の兄家族は、夕飯を済ませてから、我が家に来るという話になった。
うぅむ。これでは、4種類制覇は断念だ。
ピザ頼まなくてもいいのでは?という家族の意見に聞く耳持たず、母の兄家族が帰った後、ピザを選ぶ。
が、微妙に2個キーホルダーをもらえる値段に届かなかったので、あまり欲しくない物も頼む事にする。
いやさ、1個でも良かったんだけど、あと一歩だったのよ。
微妙に4200円に届かなかったのよ。
なんだかそれではもったいない気になってさ。
騙されているか?まんまとピザーラの策略に乗せられているのか?私。

ともかく、そうこうしてから、注文の電話をする。
無論、私が電話して、「ナカムラくんが欲しいです」なぞと言えるわけもないので、この任務は、妹に押し付ける。
さすがの妹も、言うのが恥ずかしかったようで、なにやら照れながら言っていた。
その姿を見ながら、ゲラゲラ笑い転げる私と母。

そして、ようやく届いたピザとキーホルダー。
ピザを開けるよりも先に、キーホルダーを出す私。

こんなの。



わーい…って、案外大きい。
これは、携帯とかにはぶらさげられないなぁ。
どうして使ったものか。
鍵の束につけるか?
ただ、飾るだけにするか?

…って、そもそもなんなのだANGEL BLUEと思い、調べてみた。

そうして見つけたANGEL BLUEのサイト

NARUMIYA INTERNATIONALという会社の、ブランドの1つらしい。

「エンジェルブルーは、POPでキュートな元気いっぱいの女の子のためのブランドです。おしゃれ大好き、スポーツ大好きな女の子のために、キャンパスから主のまでトータルで展開しています。」と、ある。
つまり、エンジェルブルーというマスコットをあしらった色々な、若い女の子向けのアイテムを色々出しているという事なのだろう。
サイズも、140cm~160cmと書いてある。
そのぐらいの身長の女の子向けの商品を扱っているのだろう。

あっはっは。
そんなののマスコットキャラクターを、おっさんがぶらさげて歩いてはイカンわなぁ(^^;
あぶないあぶない。

いやはや、知らないって事は、キケンな事ですなぁ。
間一髪。
こっそりと、部屋のバイクの模型の横にでも並べておくとします。

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あけましておめでとうございます。
家族に翻弄される、SCUMです。

年末のテレビ、我が家は紅白一色でした。
どうも、母妹が紅白好きのようで、私はそれに付き合って見ているカンジでした。
我がPCに、テレビのケーブル繋げば見られたのですが、それを怠っていたもので…
ボビー、どうなったのか?
ものすごく気になります。

さて、予定調和な紅白を、あくび浮かべながら見ていたのですが、我が母妹は、さだまさし好き。
さだまさし登場によって、なんだか浮き足立つ、我が家の空気。

付き合いで見ていた紅白でしたが、私、この紅白に出場した、さだまさしの歌に、鳥肌が立つほどの刺激を受けました。

今回、さだまさしが歌った曲は、「遥かなるクリスマス」という曲。
歌詞を載せさせていただきます。


メリークリスマス
二人のためのワインと それから君への贈り物を抱えて駅を出る
外は雪模様 気づけば ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけて来る
振り向けば小さな箱を差し出す 助け合いの子供達に僕はポケットを探る
携帯電話で君の弾む声に もうすぐ帰るよと告げた時のこと
ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
僕には何にも関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすら歩いた

メリークリスマス
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど
本当は気づいている今のこの時も 誰かがどこかで静かに命を奪われている
独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体何だろう
人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当の事が言えない
いつの間にか大人達と子供達とは 平和な戦場で殺しあうようになってしまった
尤も僕らはやがて自分の子供を 戦場に送る契約をしたのだから同じこと
子供達の瞳は大人の胸の底を 探りながらじわりじわりと壊れていく
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
その隣で自分の幸せばかりを 求め続けている卑劣な僕がいる
世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

メリークリスマス
僕は胸に抱えた小さな 君への贈り物について深く考えている
僕は君の子供を戦場へ送るために この贈り物を抱えているのだろうか
本当に愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
本当に君を愛している 永遠に永遠に君が幸せであれと叫ぶ

メリークリスマス
凍てつく涙を拭いながら
生きてくれ生きてくれと叫ぶ
雪の中で雪の中で雪の中で
白い白い白い雪の中で

メリークリスマス
メリークリスマス



はぁ…
この歌詞を書いても涙が出るぐらいだ。
めっちゃ、フォークではないか!
さだまさし、ちょいとなめていました。
すみません。
この曲を、紅白で歌う事、それはものすごい葛藤があった事でしょう。
でも、私は、これをあえて紅白で歌ったさだまさしを、賞賛したい。
それまで、ただ年末、大晦日というだけでお祭りムードだった紅白を、あれだけどん底に叩き落した、そのパワーは圧巻だ。
それを責めるのは、簡単だ。
しかし、しかしだ。
浮かれている場合なのか?
紅白という、全国区の番組で、あれを熱唱したさだまさし。
単純に、すげーと思うよ。
パンクな俺に、鳥肌立たせたのだから、あんた、成功だよ。
俺は尊敬する。
フォーク健在なり!
このさだまさしを、紅白のテンションを下げた罪人みたいに言うヤツがいたら、このパンク出身のSCUM様が相手になってやる。
やってやるぜ。

フォーク死なずという勢いを教えてくれたのが、超メジャーアーティストとは…

さだまさし、ありがとう。
ちょっと好きになったよ。



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そのさだまさしの「遥かなるクリスマス」の入っているアルバムです。

恋文
さだまさし, グレープ, 倉田信雄
フォア・レコード

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