新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

褒めの達人

2010-03-21 | 荒川静香
「ブラバラ」のフィギュアスケートシリーズ3回目を観たのである。
これから観る人のためにあえてネタバレは避けるが、今回はいよいよ発表会。
一人ずつ「トゥーランドット」のメロディにのせて演技を披露する。

誰が一番上達したかは観てのお楽しみ。
だが、みんなたった1時間の練習で驚くほど上手くなった。
まさしく教え上手のしーちゃんコーチのおかげである。

なんといってもしーちゃんコーチは褒め上手なんだよな。
それがわざとらしくなく、本当に良いところを見つけて上手に褒める。
褒めることによって伸ばす達人なのだ。

褒め上手は教え上手でもある。
ちょっとしたコツの表現をその人の資質に合わせて見つける天才なのだ。
その人が理解しやすいような表現をパッと思いつく。

そしてまた、ちょっとお手本を示したとき、みんなの反応がすごくいいのだ。
心からしーちゃんのお手本に引き付けられ、意欲がインスパイアされているのがわかる。
まさしく本物が持つ力とはこういうものなのだろう。

嬉しいことがもう一つ。
このシリーズ、3回で終了だと思っていたら、もう1回ある。
そんで、エキシビションまであるぞ。
つまりしーちゃんの演技が見られるわけ。

こうして幸福感すら感じる、すごくいい企画である。


O Haupt ・・・

2010-03-20 | 宗教
今年の教会暦(2010)では、復活祭は4月4日。
なので、受難コラールの代表であるこれ。
マタイ受難曲より。



演奏者は誰だろうね(^^ゞ
昔教会で歌った時にゃその荘厳さに畏怖の念をおぼえたものである。


詩人のやうな

2010-03-18 | 雑感
どうも仕事が仕事を呼び、我ながら(私にしては珍しく)忙しい。

なので、またしてもニーチェの言葉。
これはちょっと、癒し系のニーチェ??

 低い視点から眺めてみる

たまには背をかがめ、あるいはできるだけ低くなるようにしゃがんで、草や花、その間を舞う蝶に間近に接したほうがいい。

そこには、今までは歩く際に遠く見下ろしていた草花や虫とは別の世界がある。幼い子供が毎日あたりまえのように目にしている世界の姿が広がっている。


詩人だね~。
ニーチェはおっかなそうな顔して、こんなことも言っていたのね。
私も仕事に疲れたら、道端の草花の前でしゃがんで幼い子供の世界に戻ってみるか。


二つのタイプ

2010-03-17 | 雑感
今日は職場の引っ越し作業で肉体的に疲れたのである。

なので?今夜も。ニーチェの言葉。

 人間の二タイプ

大きな称賛が与えられる。
そのとき、こっちの一人はとてもはにかむ。
もう一人のほうは、いよいよもってあつかましくなる。


けっこう笑ったぞ。ニーチェに座布団一枚!


送別

2010-03-16 | 雑感
ある人の定年の送別会に行ってきた。
わたすの10年後の姿である。

あと10年、遠いようで近いかな。

おりしも卒業シーズンである。

なのでこれ。




泣ける曲だね。

わたすが焼酎もとい小中の頃はこの曲はまだなかった。
でもこの曲を聴くと、あの頃がありありと蘇るのが不思議だ。
精神年齢は中学卒業の頃と変わってないのかも知れぬ。


新しく

2010-03-15 | 雑感
今日もニーチェの言葉に耳を傾けよう。

 自分は常に新しくなっていく

かつてはこれこそ真実だと思っていたものが、今では間違いだったと思う。かつてはこれこそ自分の変わらぬ信条だとしていたものが、今では少しちがうと思う。

それを、自分は若かったとか、浅かったとか、世間知らずだったと断じて葬らない方がいい。なぜならば、当時の自分にとっては、そう考えたり思ったりすることが必要だったのだから。当時の自分の段階にあっては、それが真実であり信条だったのだ。

人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。いつも新しい生に向かっている。だから、かつては必要だったものが、今は必要でなくなったにすぎないのだ。だから、自分を批判して行くこと、人の批判を聞いていくことは、自分の脱皮をうながすことにもなるのだ。さらなる新しい自分になるために。


ニーチェというと「ニヒリズム」の人と勝手に先入観で思っていたが、これはまたなんと自己肯定的で前向きな言葉だろう。「人間は常に脱皮していく。常に新しくなっていく。いつも新しい生に向かっている。」これがニーチェの思想の中心にあるのだろうか。

3/12に紹介した言葉では、「一度口にしたことは断固として行う」ことへの反論が述べてあったが、それも「人間は常に脱皮していく」ことに反する行為だからなんだろうな。

もうしばらくはニーチェに注目するとしよう。


やっぱすごいね

2010-03-14 | 荒川静香
「ブラバラ」しーちゃんのスケート教室2回目なのである。
やっぱすごいね~!教え方が上手いね~

中居くんが番組をB級方向に盛り上げようとしても、もうそんなの関係ないんである。
主役を食うとはこのことか(笑)
いや、しーちゃんが主役だからいいのか。

習い事といふのは先生が大事だと、ほんっとに良く分かるんである。

明日朝早いのでこれにて。
I don't like Monday...


テルマエ・ロマエ

2010-03-13 | 雑感
今日はマンガの話。

ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』というマンガが面白い。
詳しい解説はこちらにゆずるとして、
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/100313/gam1003130826000-n1.htm

まず私は、この作品の、ローマ帝国の時代考証の確かさ、建物やインテリア、ファッションデザインの正確さ、風俗の的確さ、主人公ルシウスをはじめローマの人々を彫刻のように描くデッサン力、何よりもくだらないテーマ(褒め言葉)に真剣に取り組む作者の馬鹿さ加減(褒め言葉)に深く感じ入ったのである。

私も温泉大好きであるが、作者の日本の温泉の描き方は非常に正確である。温泉のみならず家庭用の風呂もそうである。温泉や入浴を愛する日本人の文化が、同じく入浴文化を持っていた古代ローマ人を素敵にインスパイアし、誤解が誤解のまま勝手に調和して物語が展開する。言葉が通じないことが効果的に使われている。

主人公ルシウスが日本人(平たい顔の種族)を奴隷と思い込みつつ、その奴隷のはずの種族の高度な文明に圧倒され、いちいちローマ帝国の文明と比較して落ち込んだりするのがまた面白い。

是非一読をお勧めするものである。


超訳

2010-03-12 | 雑感
『超訳 ニーチェの言葉/フリードリヒ・ニーチェ 白取春彦編訳』という本が面白い。

私は、ニーチェというと若い頃『ツァラツストラ』に挑戦し途中で投げ出した経験しかないが(苦笑)、それでも「神は死んだ」とか、どこかで読んだ「ハエを追い払うことがあなたの人生になってはならない」といった警句だか箴言だかは気に入っていた。

この『超訳』は、ニーチェの著書を体系的に訳したものではなく、テーマ別に著書の一部からフラグメントを寄せ集めたものである。しかし編訳者まえがきによると、ニーチェの著書はもともとカントやヘーゲルのような壮大な体系ではなく、短い警句や断章にこそその価値があるらしい。なので、この本のようなフラグメント集でも十分価値があるということだろう。確かに面白いので、これから時々紹介することにする。

今日はこんなの。

 ニセの決断

一度口にしたことは断固として行う。それは立派な潔さのように思われている。男らしく決断力があるかのようにも見える。また、意志の強い人のようにも思われたりする。また、なんだかその行為が正しいようにさえ見える。

でも、よく考えてみよう。一度口にしたことは断固として行うというのは、一種の頑固ではないか。感情的な行為ではないか。強情の表れではないか。また、そういうふうにふるまうことに、名誉心のようなものと虚栄心が隠されているのではないだろうか。

行為をするかどうかは、もっと別の理性的な視点から、その行為が本当によいかどうか見極めたうえでなされるべきではないだろうか。


ははは、鋭いぞニーチェ。

などとニーチェに読みふけっているうちにTBS観るの忘れた!なんといふことだ(泣)。ニーチェとしーちゃんとどっちが大事なんだ(すごい比較?)。わたすのバカ!


追記
ニーチェについて、そういえば『悲劇の誕生』を読んだことを思い出した。それについてはまた改めて書くであろう。