本棚7個じゃ足りません!

引っ越しのたびに蔵書の山に悩む主婦…
最近は二匹の猫の話題ばかりです

涙の記憶

2006年10月20日 | 日々のこと

何かと重宝な、黒いパンプスを購入しました。
(このときの靴屋の若者は、『おぬし、やるのう』と
言いたくなるほど売り込みや接客が上手だった。
気がつくと消臭スプレーまで買っていました。
プロフェッショナルですのう…

こういうリクルート系の靴を履くのは、数年ぶり。
思い出すのは絶望的だった就職活動時代。
グレーの一張羅のスーツを着て、説明会に行きまくったなぁ…
などと苦い回想にふけるのです。

内気で人見知りで、確固とした目標もなく生きていた
世間知らずの大学生が、ふらふら面接を受けに行ってたんだもの、
そりゃ落ちるわなあ、と今では思うけれど。
当時は受ける会社、受ける会社、全部断られて辛かった…。
自分には価値が全く無いんだ…という気がしたのです。
あの頃は風呂場でよく泣きました。

次から次へ不採用の通知が来ると、
もうこの際、どこでもいいから入れてくれ、
といういい加減な姿勢になるものです。
本当に節操無く、色んな業種の会社に行きました。
卒業してからは実家に戻って、職探し。
貴重な人生経験と言えなくも無いけれど、
恨み骨髄…なところも沢山あるなぁ。
何しろ切羽詰ってたから。

そう。わたし自身が未熟だった…ということで断られて、
単純にしょぼんとする時もあったけど。
どうしようもない理由ではねられた時は、
しばらく怒りが収まらなかったものでした。

もういいよね、今なら言っちゃっても。
(おそらく、時代が変わってもヒドイ所は同じだと思うけど)
京都の某社では、交通費・住宅費が出せないので
女子は地元の方以外お帰り下さい、と言われた。
実家から自分で通えるひとのみ、ということです。
じゃあ最初から大々的に募集するなよ!

とある土木事務所では、いきなり
「キミ、身内に公務員いる?」と質問された。
しかも、コネ優先をごまかすために、
「公務員が身近にいれば、守秘義務というものが
分かっていると思って…」などという詭弁を聞かされた。
あまりに堂々としすぎていて、呆れましたよ。
その後、紹介してくれた職安でぽろっと愚痴ったら、
「そんな…。本当はいけないことなのに…」
と係りのお姉さんにまで同情されてしまいました。

やむを得ずアルバイトを探していたら、
「こんな立派な資格があるんだから、別のところに就職したらいいよ」
と面接官に言われたこともあった。
(いや~、他があったらアナタのとこに来て無いです

勿論自分から蹴ったこともある。
さびれたコンビニのバイトの面接に行ったら、
はなから採用する気の無い店長が、
風邪でも休ませないとか、茶髪は無理やりでも
止めさせることにしているなどと
(注:当時わたしは黒髪だったので関係はなかったです。
多分うんざりさせたかっただけでしょう)、
「断ってくれ」と言わんばかりに延々延々方針を語りだしたので、
その場で自分から「無理です」と言わざるを得なかった。
こんなくだらんオヤジのところでもうまく行かないんだ…と、
いたく傷つき、涙を堪えた帰り道でした。

そんなこんなで、遠距離恋愛中の彼氏(現在の夫)とも、
些細なことからぎくしゃくしたものです。
俺が好きな映画だよと『就職戦線異状なし』
見せられた時は本当に逆上した。
(↑今では考えられないほど売り手市場だった時代の話。
そもそも就職口が無くて悩んでいる彼女に見せるかフツー)
物怖じしないで喋くるヤツの場合、片っ端から内定をもらい、
当時はバブリーなくらい好景気だった某社を選んで入社し、
人の痛みが分からない状態だったのです。
過剰反応するほど傷ついていたわたしも、
相当打たれ弱かったのだけれど…。
卒業後のカップルにありがちな試練でしたねえ。

今の学生さんたちも、きっと大変な苦労をしていることでしょう。
日本社会の本音と建前。
社員は「生かさず殺さず」程度に飼っていて、
まして学生なんぞ虫ぐらいにしか思っていない会社。
そんなものと日々戦っているんだね。
(良い所が大半だとしても、現実にそういうとこもあるのさ)
政府もニート対策が目下の課題らしいけど、
この腐った世の中そのものをどうにかして欲しいものだわ。
「勝ち組」しか生き残れない世界なんて、
文化的に非常に貧しいと思うの。わたしはね。

まあ、様々な連想が働きつつ、
あの頃持っていた靴は、結局履きつぶしたんだよなぁ…、
と遠い目になる、桜雪なのでした。( ゜ー゜)。o0○



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