金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

海女も蓑着る時雨かな~知的な老いの力①

2019年01月19日 | ライフプランニングファイル

先日図書館で借りた外山滋比古氏の「知的な老いの力」という本の中の「美しく生きる努力」の章に瓢水の俳句が引用されていた。

浜までは海女も蓑着る時雨かな 瓢水

瓢水は江戸中期の俳人。外山氏によると生涯、無欲、無私の人だった。ある時瓢水の評判をきいた旅の僧が瓢水を訪ねてきた。ところが瓢水は留守。僧が家人にどこに行ったのか尋ねると「風邪をこじらせて薬を買いに行った」とのこと。それを聞いて旅の僧は「さすがの瓢水も、命が惜しくなられたか」という言葉を残して立ち去った。帰ってきてその話を聞いて瓢水が作ったのがこの句だった。

外山氏によると「いよいよ、となるまでは、わが身をいたわりたい、病気はなおしたい」という含意だそうだ。

この話を読んで私は病気が悪化した時(1253年)の道元禅師の言葉を思い出した。

「今生の寿命は、この病気できっと最期だと思う。だいたい人の寿命には必ず限りがある。しかし、限りがあるからといっても病気のままに、なにもせずに放っておくべきではない。・・・あれこれ医療を加えてもらったが、平癒しない。これも寿命であるから驚いてはいけない」(角田泰隆「座禅ひとすじ」より)

生死を超越していたと思われる道元禅師もまた生きるために色々と治療に励まれたのである。

生死即涅槃。命を粗末にしないが、命に必要以上に執着せずと道元禅師は述べている。

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乳房のむくい

2019年01月19日 | ライフプランニングファイル

「乳房のむくい」と聞くと何か際どい話を想像される方がいるかもしれないが、そんな話ではない。

「乳房のむくい」とは、おかあさんから頂いたお乳の御恩を古人が表現した言葉である。

昨日新幹線で車内誌「ひととき」を読んでいる時、この言葉にであった。

一文を書かれたのは奈良県立大学客員教授(元春日大社権宮司)の岡本彰夫という人。

岡本さんは東大寺の総月の法会「修正会」でこの言葉に出会う。

大和言葉で唱えられる「教化」の一部を引用すると

「乳房ノ報イ 今日ゾ我ガスル 今ゾ我ガスル 今日セズバ イツカハスベキ 年モ経(ヘ)ヌベシ」

今から仏前に出て修正会に参列させて頂くのは、母からお乳を頂いた乳房の報いに御恩返しするためである。今しなければいつするのだろうか、そうこうする内に年を重ねてしまう・・・という意味だろう。

実は97歳になる母が最近京都の自宅で転倒し骨折して入院しているという話を2,3日前母と同居している弟から聞いた。

「命に別状はないから慌てて来なくて良い」という弟の言葉に安心し、出張など前から決まっていたスケジュールをこなし、少し落ち着いてから母を見舞おうと私は考えていた。

しかしこの言葉に出会い背中を叩かれた思いがした。私は私を生み、育ててくれた母の恩を軽く考えていたのではないか・・・

病床の母は不安だと思う。私に会いたいと思っているだろうと思うと飛んでいきたい気持ちになり、明日京都に行くことにした。

年老いた母の骨折は悲しい出来事だが、母の恩を思い起こさせてくれたとすれば、これも仏縁というものなのだろう。

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太っている人はフェイスブック投稿がお好き?

2019年01月17日 | うんちく・小ネタ

仲間と山登りやスキーに出かけると写真を撮ってその場でフェイスブックに投稿する人が増えていることに気が付く。

私の20名弱の仲間をざっと見たところでは、特に太り気味の人がフェイスブック投稿に熱心だ。

もちろんこの小集団の傾向をもって「太っている人はフェイスブック投稿が好きだ」などと一般論化するつもりはないので、雑文として読み飛ばして欲しい。

ただ私の仲間を見る限り、太り気味の人の人とフェイスブック投稿には正の相関関係がある。そしてこの二つを結ぶものはグルメであるということだろうと私は推測している。

私の仲間のグルメ派は自分で美味しいものを食べるだけでなく、料理を写真にとってフェイスブックにアップすることが好きだ。まさかフェイスブックにアップするために美味しくてボリュームのある食事を楽しんでいるとは思わないが・・・

まあ以上のことから私の仲間に限ってはグルメ派・太り気味・フェイスブック投稿好きという相関関係が成立していると考えた次第。

さてこの仮定は正しいのかしら?もし正しいとすれば対偶すなわち「フェイスブック投稿が好きでない人は太っていない」ということが成立するはずだ。私の仲間に関する限りは対偶は成立するような気がするが、世間一般にはフェイスブック投稿が好きでない人で太っている人もいるだろうから、やはり一般論にはならないようだ・・・

駄文ですみません。

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バンカメ史上最高益で株価急伸

2019年01月17日 | 投資

昨日(1月16日)バンカメが発表した第4四半期決算によると、利益は72.8億ドルで2018年通期の利益は281.5億ドルで史上最高益となった。

前年同期は法人税改正の影響を受けて利益は23.7億ドルにとどまっていたが、今期は連銀の政策金利引き上げが追い風になって高収益を上げることができた。

一般に政策金利引き上げは銀行に有利に働く。それは貸出金利の上昇に較べて預金金利の上昇が遅れるからである。また政策金利の上昇幅をフルに預金金利に転嫁しないので、銀行の利ザヤが改善する訳だ。実際バンカメの第4四半期の預金金利は0.63%で第3四半期の0.5%から0.13%しか上昇していない。

私は「政策金利引き上げに強い銘柄」としてバンカメ株に少し投資してたが、これまでのところ株価は低迷していた。

しかし昨日は好決算を受けて株価は1.90ドル(7.16%)上昇した。もっとも株式市場ではアナリストの事前予想を大きく上回る利益を上げたゴールドマンザックスの株価急上昇(9.5%上昇)の方が耳目を集めたと思う。

しかし私はバンカメはモイニハンCEOの指導の下、手堅い経営を行っていると評価している。

それは経費削減とplain-vanillaつまり地味で平易な商品に集中することでリスクを抑制しながら利益を上げるという金融機関の王道を行っているからである。

Plain-vanillaな商品に集中するという点では全く正反対の道を行っているのが、日本の一部の地方銀行だ。自行でリスク分析やリスクヘッジを行うことができない投資商品を購入している銀行もあると仄聞するが極めてリスキーと言わざるを得ない。

その点バンカメなど米国の大手銀行は政策金利の引き上げを利用して金利収入を拡大する機会があるので環境に恵まれているということはできる。もっとも連銀は今年の政策金利引き上げについては慎重な姿勢を取り始めているので追い風は長続きするかどうかはわからない。

 

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栗城史多さんはSNSの重圧で死んだ

2019年01月15日 | うんちく・小ネタ

昨日(1月14日)NHKスペシャルで「”冒険の共有”栗城史多の見果てぬ夢」を見た。

栗城さんにはそれほど関心はなかったし今もそれほど関心はない。

「登山家としては2流」だとか「3流」だとかいう批判がある。批判する人が栗城さん以上の登山家であれば、そのような批判も構わないだろうが、8千メートル峰の登頂を経験したことがない私としてはそのような批判をする立場にはない。

映像を見るとエベレストのノーマル・ルートを数珠繋ぎになって登る登山者の姿が映っていた。これを観てエベレストは体力さえあれば誰でも登山可能なのだ、と思う人がいるかもしれないが、多少なりとも高所登山を経験したものであれば、高度との闘いが生易しいものでないことはわかると思う。

登山方法などの問題は別としてチョーオユーなど8千メートル峰を登った栗城さんは凄いな、と私は思っている。

ただ栗城さんが亡くなったエベレスト南西壁を単独で登るというのはまったく成算のない登山だった。明らかに体力や技術の限界を超えていた。

もし一流の登山者の定義に「己の実力を見極めている」ということを加えるならば、彼は明らかに一流の登山家ではなかった。

彼は本当に自分の実力を見極めていなかったのか?

それとも自分の実力は分かっていたが何か別の要因で無謀な挑戦を行わなければならなかったのか?

私はどうも後者ではないか?と考えている。つまりSNSを通じて発信していた「冒険の共有」という幻影の重圧から南西壁に追い込まれたのだろう。

栗城さんから我々が学ぶことがあるとすれば、登山者には己の実力を謙虚に見極めることが大事ということなのだ、と私は考えている。

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