最近のエコノミスト誌に「直観力がリスク・コントロールに役立つのだろう」という短い記事が出ていた。記事は「金融市場では長い間認識されていることだが、人々はお金を失うのを敬遠する結果より大きなリスクをとる」と書き出す。
エコノミスト誌は「90%の確率で僅かの金を得る選択肢と10%の確率で大きな金を得られる選択肢がある場合、大部分の人は前者を選ぶ」一方「90%の確率で僅かの損失を被る選択肢と10%の確率で大きな損失を被る選択肢がある場合、大部分の人は後者を選ぶ」と書き出す。
これは「利得と損失における意思決定の非対称性」と呼ばれるもので、選択による期待値が同じ場合、平均的な人は「これから得られるものについてはリスク回避的な意思決定」を行い「これから失うものについてはリスク愛好的な意思決定」を行うというものだ。難しく書いたが、株式投資を行っている場合「少し利益が乗ると利食いたくなる」一方「損失が拡大してもいつか戻るという期待感から損切ができない」という事例を持ち出すと「ああ、そうだ」と同意される方もいるだろう。
エコノミスト誌が紹介している最近の研究によるとストレスのような外的刺激がこの性向を強めることが分かった。これに関する一つの説明は「人間の脳には世界を認識するのに分析的判断と直感的判断がある」「分析的判断はストレスにより判断力が妨げられ易いが直感的判断は環境が厳しい時でも核心を捉えることができる」というものだ。ところが昨今環境が余りにも異常なので、直観力の働きが妨げられているらしいというのがエコノミスト誌の説明だ。
これに加えて私は「人間の貪欲さが直観力の働きを低下させている」という仮説を考えてみた。
ビル・グロスという人がいる。債券運用で大変有名な人だ。彼はヨガに熱中していて、ヨガを通じて直観力を涵養し、難しい相場を乗り切っているといわれている。
私はヨガには詳しくないが、その隣の畑と思われるインド哲学には多少関心があるので、それを使って説明してみよう。インド哲学では西欧ではフロイドが19世紀に気がついた深層心理をはるか昔から認識していた。インド哲学(あるいは仏教)の心理学=「唯識論」では人間の意識を八階層として捉えている。上から6番目までは視覚・聴覚など日頃我々が使っているいわゆる意識される感覚の階層だ。一番下が通常は知覚されない「阿頼耶識」という深層心理部分でその一つ上が「末那(マナ)識」という部分だ。末那識とは「自分に執着する心」と言われている。阿頼耶識は色々な経験が心の奥深いところで蓄積され自己を形成していく心の階層と考えてよいだろう。
以下のような説明が「唯識論」的に100%正しいかどうか分からないが、私はこのように考えている。
- 直観力を十分働かすには深層心理である「阿頼耶識」を活性化する必要がある。
- しかし「阿頼耶識」の上の乗っている「末那識」(自分に執着する心)が強過ぎると、直観力の源泉である「阿頼耶識」の働きを引き出すことができなくなる。
- そこで直観力を高めるためには、「欲」や「執着心」を落として「阿頼耶識」を活性化する必要がある。
「傍目八目」という諺がある。他人の碁を横で見ていると「良い手」が見えるという格言だ。欲がない分「良い手」が見つかるということだろう。
一方「欲に目がくらむ」という言葉もある。過度の貪欲さが今回の金融危機の一つの原因であるとすれば、「新しい金融秩序」を構築するためには人間の心という問題を考える必要がある。しかしながら規制当局も人の心まで規制することはできないので、この問題に簡単な解決があるとは思えない。だが「ストレス」や「欲望」が判断力を低下させるということを認識しておくことは多少役に立つだろう。
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