日経新聞に「悪質クレーム、働き手をどう守る」という記事がでていた。
一般常識を超えた悪質クレームにサービス業の従業員が疲弊している。このままではサービス業の担い手不足につながるので、国や業界が対策を模索し始めているという内容だ。
悪質クレームに対してはこのような対策が必要だろうが、その手前に「儲からないお客様は神様じゃない」「顧客と物品やサービスの売り手の関係は対等である」という常識を再確認する必要性をオピニオンリーダー達が声高に呼びかける必要があるだろう。
常識を超えたクレームを行うことは、自らの教養と知性の低さを露呈する恥ずかしい行為であるという価値観が社会に共有されると悪質クレームは減るのではないか?
逆にそのような価値観が共有されない限り悪質クレームは減らないかもしれない。
「お客様は神様です」といったのは三波春夫だが、三波春夫オフィシャルサイトによると彼がさしたお客様とは聴衆・オーディエンスのことで「客席にいる聴衆とステージに立つ演者」という関係の中で生まれた言葉らしい。三波春夫のお客様は商店や飲食店のお客ではないということだ。
一般に日本では顧客とサービスを提供する側の関係が常に歪んでいたと私は考えている。
最近でこそかなり改善されてきたが、医者と患者の場合は、長い間医者が圧倒的に強い立場にいて相当威張っていた。
あたかも患者が悪いから病気になったと言わんばかりに。
弁護士など士業にもその傾向があった。自分たちは法を知っているが顧客は無知の塊と言わんばかりに。
もし「お客様は神様です」という言葉が正しいとすれば、患者や弁護士の顧客は医者や弁護士から見ると神様のはずである。
ところが医者や弁護士は患者や顧客から「先生」と呼ばれることで、クレームからの強力な保護膜を保持していた。
つまりここではサービス提供者が顧客に対して圧倒的に強い立場に立っていた。
一方一般の小売業やサービス業相手の場合は顧客が業者に対して圧倒的に強い立場に立っている。
何のことはない。顧客は強いものには腰砕けになり弱いものには居丈高になっているだけのことである。
相手が医者であれ弁護士であれはたまたサービス業者であれ、お金を払うのは顧客であり、サービスを提供するのは業者なのである。
本来払うお金とサービスは等価であり、どちらが偉いとか偉くないという関係はない。
顧客は払うお金に相当するサービスを求める権利を持っているし、業者をお金に見合うサービスを提供する義務を持っている。
しかし顧客は払うお金を超えるサービスを求める権利はないし、業者は受け取るお金を超えるサービスを提供する義務はない。
権利のないサービスを求めることは不法であり、相手の立場の強弱で自分の態度を変えることは恥であると考えるならば、まともな人間が度を越した悪質クレームを行う訳がないのである。
例示された一部の逆転現象は資格が一定能力の表象ではなく利権のメダリオンと化して競争を緩和していた業界の出来事だと思います。