先週の日経産業新聞の「眼光紙背」面「原発なき東京『脱原発』の底流には」には共感するところが多かった。
コラムのポイントを列挙すると次のとおりだ。
- (東京都が)自らの行政地域ではなく、他県に立地する施設をゼロにしましょう、という主張は地方自治なのだろうか?
- 他県の原発の電力を使いたいだけ使い、反映してきた東京が「もう原発はいらない」と言い出せば原発立地県は身勝手もいいかげんにしろと言いたくならないだろうか?
- 多くの原発立地県は地域経済活性化のために原発を受け入れ、それに基づいて地域が動いている。それを東京の論理だけで、やめさせられてはたまらない。まことに不思議な都知事選が近づいている。
新聞の性格からして原発支持的なので、反発を感じる読者もおられるかもしれない。しかしここでは原発支持・原発反対の問題は横において冷静に考えると、今後の国政にも大きな影響を持つと考えられる都知事選が原発問題というシングル・イシューで争われ、その結果他の経済圏に大きな影響を与える可能性があるとすると、まことに不思議な選挙という指摘は妥当、と言えるだろう。
シングル・イシュー・ボーティングsingle issue votingは、小泉元首相の「郵政選挙」で有名になったが、元々はアメリカ発の言葉だ。Wikipediaはカリフォルニア大学の研究を紹介しているが、それによると候補者に関する情報が少ない国会議員の選挙ではシングル・イシュー選挙の反対概念である「政党選択」型の選挙となり、大統領選挙のように候補者に関する情報が多い選挙ではシングル・イシュー選挙になる傾向が多いという。
日本では首相公選はないが、その一種のproxy(代理)として、東京都知事選が行われると考えると都知事選がシングル・イシュー選挙の様相をとることは米国の傾向と一致しているといえる(小泉元首相は米国では「政党選択」型の選挙になると考えられる国会議員の選挙をシングル・イシュー選挙にした点では選挙の達人なのだろう)。
だが首長をシングル・イシューで選んで良いかどうか?ということについては私は明確に反対である。
およそ多くの政治的課題は「Aが絶対に正しくて代替案はない」というようなものではない。A政策を行うと、Bは利益を得るがCは不利益を被るという類の話である。そのような課題が並列的に並んでいて、それに優先順位を与えながら、長期的視野に立って最大多数のメリットを追求し、その過程で不利益を被る人を救済するというのが今日の政治のはずだ。シングル・イシュー選挙には原理主義に共通する危うさを感じる。
大型地震を含めた災害対策、高齢化社会への対応、オリンピック開催、老朽化した社会インフラの整備などなど政策課題は多い。
原発問題に関して東京都が言えることがあるとすれば、「省エネルギー政策の実行・支援」「東京におけるエネルギー自給率の改善(熱電併給システムの導入等)」などではないだろうか?
生ぬるいと思われるかもしれないが、世の中には漸進的にしか改善できないことがあると私は考えている。
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