今日(6月4日日曜日)のNHKドラマ「どうする家康」は、至上名高い長篠合戦の前夜の話です(私はBSで午後6時から観ました)。
武田軍に包囲された長篠城から救援を求めて、脱出し岡崎城に向かった鳥居強右衛門。織田軍3万人の応援を合わせて、織田・徳川連合軍(合計3万8千人)が、長篠城救援に向かうという情報を持って長篠城に戻ろうとします。
ところが城を包囲する武田軍に捕まります。「救援はこない」と城に向かって叫べば「命を助け雇ってやる」と言われたのですが、それに従わず城に向かって「連合軍の助けは来るからもう少し頑張れ」と叫び、磔になってしまいました。
写真は鳥居強右衛門が磔になった現場のもので2週間ほど前長篠に行った時撮影したものです。

その場所は豊川の深い崖をはさんで長篠城と対峙していました。田んぼのあぜ道の先にあるモニュメントで日頃は訪れる人も稀のようでした。
私が気になっていたことは「鳥居強右衛門はどのような動機でこのような危険な任務を引き受けたのか?」ということでした。
それについては主君の奥平貞昌が「万一の場合は子どもの面倒は手厚く見るから安心しろ」と言ったという話を聞いたことがあります。
ウイキペディアによると奥平貞昌やその子孫は鳥居強右衛門の子どもや子孫を優遇し強右衛門の子孫は今も続いているということでした。
そこはもう大河ドラマの射程距離を超えた話ですが、戦国の美談として一命を賭して主家の危機を救うという話は目にします。
でもそれは単なる美談ではなく、そこに一命を賭す替わりに子孫に生活保障や所得補償を行うという一種の契約があったのでしょうね。
少なくとも戦国時代は主君と家来の間には双務契約的な了解があったと考えるべきだと思います。鳥居強右衛門の話もその文脈で考えるべきでしょうね。
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