今年の桜の季節は開花情報の後、寒い日が続いたこともあり、開花時期が長かったような気がする。
さすがにその桜も散り始めてきた。桜は満開を過ぎて散り始める頃が良いと思った。
昔から散り始める桜が好きだったかどうかは分からない。多分今月初めに父を失い、花見気分でなかったことが散り始めた桜を愛でる気持ちにさせているのかもしれない。
桜には「死のイメージ」がつきまとう。梶井基次郎が「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と表現したのは端的な例だ。
西行は「願わくば花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」と詠んだ。旧暦の如月(2月)の満月の頃は新暦では4月の最初というから、桜の花盛りだ。
死のイメージにつながる桜は半開ではなく、散る桜だろう。梶井基次郎や西行の頭にあった桜は満開から散り始める桜だったのではないだろうか?
桜が死につながるのは、古事記にさかのぼる。天孫降臨で九州に降ってきたニニギノミコトは、そこで出会った美しいコノハナサクヤヒメに一目ぼれして、娘の父親のオオヤマツミノカミに娘を嫁に貰いたいと申し出た。
オオヤマツミノカミは二人の娘~美しい姿ながら命はかない妹のコノハナサクヤヒメと醜い姿ながら永遠の命を持つイワナガヒメ~を一緒に嫁がせることにした。
だがニニギノミコトは美しいコノハナサクヤヒメだけを娶り、醜いイワナガヒメを父の元に帰してしまった。屈辱を味わったイワナガヒメは「自分を娶らば子孫は長寿となったが、容姿だけにひかれて妹だけを妻にしてしまったのね。あなたの子孫は花のように美しく生まれるでしょうが、命は花のようにはかなく、美しさも衰えるだろう」と呪ったのである。
細川ガラシャは「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人もひとなれ」と辞世の句を詠んだ。
イワナガヒメの呪いにも拘わらず、現代の日本人は長寿になった。しかし長寿だけでは幸せとは限らないというから人間の業は深い。
散り始めた桜は人を思索に導く。花は散り際が良い。