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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

人々が死の床で抱く後悔のトップ5~アメリカの内科医の話

2024年09月25日 | ライフプランニングファイル
 CNBCにTop 5 regrets people have on their deathbedsという記事が出ていた。
 筆者はShoshana Ungerleiderという内科医で何年にもわたり入院患者のケアに携わり、人生の終わりに近づいた人々が後悔していることに築いたという。
 
 記事の内容を紹介しよう。このブログの多くの読者の方は死は遠い先の話だ考えていると思う。私自身もなお死はそんな身近な話ではないと考えている。だが会社のOB会の訃報報告などで昔一緒に仕事をした人に意外に早い逝去をしると徒然草の一節を思い出す。
 曰く「死期(しご)はついてでを待たず。死は前よりしも来たらず。かねて後に迫れり。…」
 人は誰しも見な、死があることを知っているものの、自分の身に迫っているとは考えない。しかし死はいつの間にか背後に迫っている…ということだ。
 死が目の前に迫ってから後悔しては遅い。後悔先に立たず、である。
 ウンガーライダー医師の話を聞いて、参考になると思うことを日々の生活に取り入れることは、意味深いと思う。
 筆者がいう人々が口にする5つの後悔は次のとおりだ。
  • 愛する人と十分な時間を過ごせなかった。
  • 働き過ぎて人生を逃してしまった。
  • 恐怖に自分の決断をコントロールさせ、リスクを取らなかった。
  • 不確実性やチャンスに直面した時、もっと勇敢になるべきだった。
  • 将来に焦点を当てすぎて、現在を見失った。
 巷間シニアライフの問題をファイナンスの点から論じる人が多い。
曰く、「長生きリスクに備えて、できるだけ長く働け」とか「資産寿命を伸ばすため、消費をできるだけ抑え、(極論すれば)耐乏生活をしろ」などという話が多い。
 だがもっとも大切なことはそんなことではない。
 もっとも大切なことは「他人が期待する自分に忠実な人生を送る」ということなのだ。
 この記事の中に、作家で元緩和ケア従事者のBronnie Wareさんの言葉が紹介されている。
 彼女がもっとも耳にした死にゆく人の後悔の言葉は、I wish I'd had the courage to live a life to muself,not the life otheres expected of me.だった。


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ネパール人女子高生に「おぼん」の話をした

2024年08月12日 | ライフプランニングファイル
 コロナの頃から断続的にオンラインで日本語レッスンを行っているネパール人の女子高生がいる。
 日本語レッスンといっても、文法や日常会話を体系的に教えている訳ではない。それよりも日本の文化、伝統、東アジア史の話などをしている。何故ならこの女子高生は、将来アメリカの大学で国際関係論を勉強して、外交官になりたいという夢を持っているからだ。
 色々な国の文化や伝統を学び、その文化や伝統を自国や他の国と較べて、幅広いものの見方を養う上で多少なりとも貢献できれば良いと私は考えている。
 季節柄日本のお盆の話をした。
 お盆というのは8月13日から15日にかけて(地方によっては時期は7月のところもある)、先祖の魂が自分の暮らしていた家に戻ってくるので、その魂を迎える宗教的行事のことだ。
先祖の魂の乗り物として、胡瓜や茄で馬や牛を作って仏壇にお供えをする風習もある。
 もっとも我が家の場合、40年位前に故郷の京都を離れ、東京の郊外に住んでいるので、先祖は勿論のこと両親もここに帰ってくることはないだろうから、お盆の行事はおこなっていない。

お盆は、仏教が伝来する前より日本人が持っていた祖霊信仰と仏教が融合したものだ。インド生まれの仏教の本筋からいうと人は死ぬと生前の行いの良し悪しにより、何かに生まれ変わる。かならず何かに生まれ変わるのである。
 仮にある人が馬に生まれ変わったとしよう。その人の魂がお盆の間、自分が暮らしていた家に戻っているとすると、馬はどうなるのだろうか?魂を失った馬は馬小屋で眠り続けているのだろうか?
 つまりお盆という考え方と仏教の輪廻転生とは論理的に相いれないのである。 
 日本では死者の霊は、死後数十年は家の近くの森などにいて、お盆の時期には簡単に自分の家に戻ることができると考えられてきたのだ。
 こんな話をして「ネパールにも同じような習慣はある?」と聞いてみた。
 すると答は「お盆のように総ての死者が一度に家に戻るという考え方はないけれど、それぞれの死者の祥月命日には死者の魂を祭るという風習はヒンドゥー教にもある」という話だった。
 輪廻転生とお盆のたびに魂が暮らしていた家に戻ってくるという考え方は、論理的には矛盾しているところがある。しかしそれはそれほど重要なことではないかもしれない。
 重要なことは、死者の霊を弔うことにより、自分たちの生きている意味を見つめたり、家族や親せきが一同に会することなのだ。
 私はそれからキリスト教(特に米国)では、感謝祭が日本のお盆のようなもので、各地に散らばっている家族が一同に集まることが多いという話をした。
 宗教の教義や習慣は、それぞれの宗教や社会によって異なる。だが一番大切なことは、教義ではなく、その習慣を通じて私たちが、はるか昔からの命のつながりの中に生きていて、さらにそのバトンを将来へ渡す役割を担っていることを知ることだと思う。
 そんな話をしたが、それがネパール人女子高生に届いたかどうかは分からない。
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長生きのための8つの食べ物。日本人女性栄養士さんの記事がCNBCで人気

2024年07月28日 | ライフプランニングファイル
 CNBCはアメリカの経済専門チャンネルですが、Trending Nowの中にI'm from Japan, home to some of the world's longest living people: 8 foods I eat every dayという記事がでていました。
 トミオカさんという女性の認定栄養士の方がかかれた記事で、健康のためにトミオカさんが毎日食べている8つの食品が紹介されています。
 記事のタイトルにあるように、日本は世界的な長寿国として有名です。先週厚生労働省は、2023年の平均寿命を発表していましたね。それによると女性の平均寿命は87.14歳で世界一です。一方男性の平均寿命は81.09歳で世界第5位でした。
 なぜ女性の平均寿命は世界一なのに男性のそれは世界第5位に留まっているのでしょう?その答をまずAIに聞いてみました。
AIは男女の寿命の差の要因を「生物学的要因」「生活習慣の違い」「社会的要因」に分けて説明しています。「生物学的要因」というのは、女性ホルモンであるエストロゲンには、血圧を下げ、コレステロール値を低下させる効果があり、それにより心臓病や脳卒中のリスクが低減されるので、女性の平均寿命が男性より長いというものです。これは全世界共通の女性が男性より長生きする要因ですから、ここでは検討から外します。
 「生活習慣の違い」については、男性の方が一般的に喫煙率が高く、また過度に飲酒する傾向があるので健康上のリスクが高いということができます。またストレスについても男性の方が仕事や社会的プレッシャーによるストレスを抱える傾向があるとAIは説明します。
 この問題を本気で考察するのであれば、日本より男性の平均寿命の長い国(スイス、スウェーデン、ノルウェーなど)と男性の喫煙、飲酒、ストレスなどについての比較を行う必要があるでしょうね。
 またAIは「社会的要因」の中で、次のことを日本固有の要因として挙げています。
  •  労働環境 日本の男性は長時間労働や過労死のリスクが高い傾向にある。
  • 伝統的な性別役割分担により、男性が過度のストレスや不健康な生活習慣を持つ可能性がある。
  • 女性の方が健康に対する意識が高く、健康的な食生活や運動習慣を維持する傾向がある。
AIの回答を鵜呑みにする訳ではありませんが、日頃の生活実感に合うところも多いですね。たとえば私が通っているスポーツクラブでも日頃見かける人の7割以上は女性だと思います。またボランティア活動で行っている外国人向け日本語教室に教師として参加している人も8割は女性ですね。
 つまり運動やいきがい(ボランティア活動)の面で女性の方が活発です。
さて本題の食材の話に戻ると、トミオカさんが挙げている食材は次の8つです。
「抹茶」「味噌、納豆などの発酵食品」「海藻」「豆類」「豆腐」「胡麻」「しいたけ」「生姜」です。
 我が家でも酒を飲まない家内は私よりこれらの食材を食べる割合が高いのでおそらく私より長生きすると思います。
 私にできそうなことは、お酒のおつまみに納豆や豆腐を増やす位のことですかね。
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天寿を全うする人が増えて宗教心が薄らぐ?

2024年07月04日 | ライフプランニングファイル
 今週初め親しい友人からお母さんが亡くなったという連絡を頂いた。ご母堂の享年は98歳だと伺っていた。何か気の利いた一言をお悔やみの言葉に添えようか?と考えてみたが、私の考えを押し付けても共感を得られないかもしれないと思って「ご母堂様のご冥福をお祈りします」という短いメールを送るにとどめた。
 お悔やみの言葉は紋切り型で良いだろうと思う。
 アメリカで働いていたとき、部下の親の訃報に接することがあった。そういうときの挨拶はきまり文句がある。一つはI am so sorry.(お気の毒様です)とかYou have my sympathy(お悔みもうしあげます)だ。もう少し長いお悔やみの言葉としてはYou have my depest condolence for the loss of such a wonderful person(素晴らしい方のお亡くなりに心よりお悔やみ申し上げます)という言葉も一般的だ。長くては英語に不慣れな人にはすこし難しいかもしれないが、お悔やみの言葉は朗々と申し上げるものではない。たどたどしくそして最後はうやむやでもかえって気持ちは通じるというものだ。
 さて本題に戻ると私の母も99歳でこの世を去ったが、この年まで生きると見送る側の未練はかなり薄くなる。「長い間よく頑張ったね。もうゆっくりお休みください」というのが正直な気持ちだった。ただこれは私の個人的な感情で、世の中には自分の親にはとにかく長く生きて欲しいと思う人も多いと思う。従って安易に自分の気持ちを押し付けるようなお悔やみの言葉は避けた方が無難だろう。
 ただし一般的に考えると、天寿を全うする人が増えたことと宗教心の薄らぎは比例していると思う。公衆衛生や医療が未発達な時代では、天寿を全うする人が少なかった。だから死んでいく人やその家族には「なぜ自分は天寿を全うすることなく死ななければならないのか?そして来世はどうなるのか?」という説明が死の恐怖を緩和するために必要だった。
 その説明を担ったのが宗教だった。
 しかし医療の発達などで人の寿命は伸びて、天寿つまり生命体としての寿命の限界に近づきつつある。こうなると死んでいく人やその家族に無理なく死を受け入れることができるようになりつつあると私は考えている。
 だから終末期や死後に本人や残された家族の死の恐怖を緩和するための宗教の役割は著しく低下した。
 では天寿を全うして死にゆく人はみな従容として死を受け容れているのだろうか?
 詳しい調査をしたわけではないが、自分の限られた経験をもとに話をすれば、充実した人生を送った人は、静かに自分の最後を受け容れることが多いと思う。つまり天寿を全うしたと、本人と家族が納得するには、物理的な寿命の長さに加え、人生の充実度つまり質の高さが必要だと思う。
 量と質の面で満足できる人生を送った人には、エールを送りたいのだが、
 まだそのような言葉は広く普及していないようなので、他人に使う場合は要注意かもしれない。
 さて天寿を全うする人が増えたことで、宗教心が薄らいだと書いたが、より正確には、葬式宗教に対する宗教心が薄らいだというべきだった。
 つまり人生の質を高めるような宗教あるいは哲学、つまり有意義な人生とは何か?ということを教える先人の叡智を教え学ぶ仕組みは、今こそ必要なのだろうと私は考えている。
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人が最後に後悔する5つのこと

2024年06月11日 | ライフプランニングファイル
 よく読んでいるCNBCにTop 5 regrets people have when they dieという記事がでていた。CNBCは世界最大の金融・ビジネスチャンネルだが、時々人生訓的な話を載せている。働いてお金を稼ぐにしろ、投資でお金を稼ぐにしろ、何のためにお金を稼ぐのか?ということが人生では大事なことだとCNBCの編集者は考えているのだろう(と考えたい)。

記事の中心は元ケアワーカーのBronnie Wareという人が書いた"The Top Five Regrets of the Dying"という本の話だ。著者は死んでいく人から頻繁に聞いた5つの言葉を紹介している。
  • 自分らしい人生を送る勇気があったならよかった。他人が期待する人生を送るのではなく。
  • もっと働きすぎなければよかった。
  • 自分の感情を表現する勇気があればよかった。
  • 友達と連絡を取り続けていればよかった。
  • 自分をもっと幸せにしていたらよかった。 
記事はビル・ゲーツが北アリゾナ大学の卒業式のスピーチで「自分は働き過ぎだった。父親になるまで『仕事以外にも人生がある』ということに気づかなかった。・・・必要なときには休みを取りましょう」と述べたと紹介していた。
 今日本では政府が70歳まで働こうという旗を振っている。
 働くことがシニアの自己実現につながるのであれば、自己満足は高まるだろうが、さもなければ人生の最後での後悔を増やすことになりかねない。
 破綻しつつある年金制度のツケが人生最後の後悔を招くとすれば、悲しいことである。
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