藤井七段が挑む最年少タイトル戦(4)
棋聖戦第2局定刻前、挑戦者藤井7段は透明感、清涼感にあふれた紗の濃紺の着物に黒の羽織を合わせ、袴は格式高い縞柄の『仙台平』を身に着け颯爽と現れた。涼やかな夏着物ながら、格式を感じさせる姿、何やら書生風で細身ながら凛としていて着こなしも十分、中々よく似合っていた。将棋とは無縁の巷の女性,取分け中年女性の母性本能を一段と今迄以上に搔き立てたと多くのメデイアが報じている。昨年5月、師匠の杉本八段は京都の呉服店で藤井七段に和服を贈る際、大山十五世名人が好んだ「短めの袖」で仕立てるよう注文した。対局中着手の際に袖口が駒に触れない様に気を使う必要が無く、高い集中力を維持できる様にとの師匠の配慮によるものである。色味については、本人は無頓着だったが、母・裕子さんの勧めでダークトーンの黒・濃紺に決定したと言う。色白の藤井七段にピタリとはまったと言えるだろう。
今年1月3日(金)「博士の愛した数式」が大ベストセラーとなった芥川賞作家・小川洋子氏との朝日新聞の紙上対談の中で、藤井のように「天才と呼ばれることは、ご本人は気が重いのかもしれないが、我々凡人には宝物のような存在です。私の年からすると、こういう息子が内に居てくれたら嬉しいだろうな、おいしいご飯を作ってあげたいな、と思えるような青年ですね。藤井さんのお母さんが羨ましいです」、と母性本能丸出しの発言をしている。只小川洋子氏の発言は単に将棋の天才と言うこと以外に17歳の高校生とは思えぬ、浮ついたところのない落ち着きや、礼儀正しさ、豊富なボキャブラリーと巧みな表現力・説明力、更には彼の教養の深さから天才と言う言葉に繋がったように思える。「勝つための一手と最善の一手はイコールですか」と聞かれ「もし相手が絶対に間違えないと言う「神」の様な存在だったら、イコールになりますが実際の局面だと相手も間違えることもあるので「局面としての最善手」と「勝つための最善手」が一致するとは限りません。只自分は相手が間違えると言う前提に立って考える事はあまりない。」と完璧に説明している。
昨年1月3日(木)には気鋭の憲法学者・首都大学東京教授の木村草太氏(38)がフアン代表として質問する形での紙上対談が行われたが、当時16歳、高校一年生の藤井は堂々と返答し、木村教授から藤井先生と呼ばれても臆することが無かった。一日中将棋の研究をして成果が出ない時、どう考えるかと問われ「一日と言う単位で目に見えて強くなる事は無い、3か月くらいのスパンで見て判断している。今は中盤の局面評価に重点的に取り組んでおり、改善するのにそれぐらいかかったと思う。最近は以前はあまり考えなかったような手を考えることがある。」
逆に学校の授業で名大法学部の先生の話で「法学と言うのは条文の暗記だと思っているかもしれないが、実はバランス感覚が一番大事なんだ」と仰っていたのが印象的でしたが、先生はどうお考えですか、と鋭い質問を投げかけ、木村教授から「条文の暗記は、将棋でいえばコマの動かし方ですので、そこから先が勝負かなと思う。法学も将棋と同じで、対立する人が,それぞれの主張を持ち、自分に一番厳しい主張をしてくると言う前提で、自分の主張を客観的に評価しながら防衛する必要がある。将棋と法学は思考がよく似ていると思う」と非常に奥の深い答えを引き出している。(長くなる部分は一部短縮させて頂いた)
木村教授は大の将棋フアン、大学でも棋士を講師役に招き「将棋で学ぶ法的思考・文書作成」の授業を行っている。新聞の国際面をよく読まれるが興味を惹いた記事はと問われ「安田純平さんと言うジャーナリストが紛争地に取材に行くことの意義や、自己責任を問うと言う声には疑問を感じる」と社会問題への認識の深さを示している。
最後に心に残る,或いは好きな棋士の言葉を聞かれ「感想戦は敗者の為にある」、「感想戦自体他では珍しいが、将棋は勝者と敗者がはっきり分かれるゲーム。厳しい勝負の世界だからこそ生まれた文化なのかなと思うと」述べ締め括っている。
藤井聡太七段とのロングインタビュー「隘路を抜けて」~雑誌・将棋世界 2018年7月号では、どのような手を指すか決定する思考の過程を聞かれた際、「手を読んで居る内に隘路に嵌っている、おかしな方向に行ってしまっているときもあります。計算力との兼ね合いもありますが、力の許す限り「選択肢」を拾えるようにとは思っています」。どこかの国会答弁のように事前に質問内容が伝えられて居るわけではない。語彙の選択も含め咄嗟にこれだけ明確な返答が出来る棋士を見つけることは至難と言えるだろう。
藤井七段が挑む最年少タイトル戦(5)へ
棋聖戦第2局定刻前、挑戦者藤井7段は透明感、清涼感にあふれた紗の濃紺の着物に黒の羽織を合わせ、袴は格式高い縞柄の『仙台平』を身に着け颯爽と現れた。涼やかな夏着物ながら、格式を感じさせる姿、何やら書生風で細身ながら凛としていて着こなしも十分、中々よく似合っていた。将棋とは無縁の巷の女性,取分け中年女性の母性本能を一段と今迄以上に搔き立てたと多くのメデイアが報じている。昨年5月、師匠の杉本八段は京都の呉服店で藤井七段に和服を贈る際、大山十五世名人が好んだ「短めの袖」で仕立てるよう注文した。対局中着手の際に袖口が駒に触れない様に気を使う必要が無く、高い集中力を維持できる様にとの師匠の配慮によるものである。色味については、本人は無頓着だったが、母・裕子さんの勧めでダークトーンの黒・濃紺に決定したと言う。色白の藤井七段にピタリとはまったと言えるだろう。
今年1月3日(金)「博士の愛した数式」が大ベストセラーとなった芥川賞作家・小川洋子氏との朝日新聞の紙上対談の中で、藤井のように「天才と呼ばれることは、ご本人は気が重いのかもしれないが、我々凡人には宝物のような存在です。私の年からすると、こういう息子が内に居てくれたら嬉しいだろうな、おいしいご飯を作ってあげたいな、と思えるような青年ですね。藤井さんのお母さんが羨ましいです」、と母性本能丸出しの発言をしている。只小川洋子氏の発言は単に将棋の天才と言うこと以外に17歳の高校生とは思えぬ、浮ついたところのない落ち着きや、礼儀正しさ、豊富なボキャブラリーと巧みな表現力・説明力、更には彼の教養の深さから天才と言う言葉に繋がったように思える。「勝つための一手と最善の一手はイコールですか」と聞かれ「もし相手が絶対に間違えないと言う「神」の様な存在だったら、イコールになりますが実際の局面だと相手も間違えることもあるので「局面としての最善手」と「勝つための最善手」が一致するとは限りません。只自分は相手が間違えると言う前提に立って考える事はあまりない。」と完璧に説明している。
昨年1月3日(木)には気鋭の憲法学者・首都大学東京教授の木村草太氏(38)がフアン代表として質問する形での紙上対談が行われたが、当時16歳、高校一年生の藤井は堂々と返答し、木村教授から藤井先生と呼ばれても臆することが無かった。一日中将棋の研究をして成果が出ない時、どう考えるかと問われ「一日と言う単位で目に見えて強くなる事は無い、3か月くらいのスパンで見て判断している。今は中盤の局面評価に重点的に取り組んでおり、改善するのにそれぐらいかかったと思う。最近は以前はあまり考えなかったような手を考えることがある。」
逆に学校の授業で名大法学部の先生の話で「法学と言うのは条文の暗記だと思っているかもしれないが、実はバランス感覚が一番大事なんだ」と仰っていたのが印象的でしたが、先生はどうお考えですか、と鋭い質問を投げかけ、木村教授から「条文の暗記は、将棋でいえばコマの動かし方ですので、そこから先が勝負かなと思う。法学も将棋と同じで、対立する人が,それぞれの主張を持ち、自分に一番厳しい主張をしてくると言う前提で、自分の主張を客観的に評価しながら防衛する必要がある。将棋と法学は思考がよく似ていると思う」と非常に奥の深い答えを引き出している。(長くなる部分は一部短縮させて頂いた)
木村教授は大の将棋フアン、大学でも棋士を講師役に招き「将棋で学ぶ法的思考・文書作成」の授業を行っている。新聞の国際面をよく読まれるが興味を惹いた記事はと問われ「安田純平さんと言うジャーナリストが紛争地に取材に行くことの意義や、自己責任を問うと言う声には疑問を感じる」と社会問題への認識の深さを示している。
最後に心に残る,或いは好きな棋士の言葉を聞かれ「感想戦は敗者の為にある」、「感想戦自体他では珍しいが、将棋は勝者と敗者がはっきり分かれるゲーム。厳しい勝負の世界だからこそ生まれた文化なのかなと思うと」述べ締め括っている。
藤井聡太七段とのロングインタビュー「隘路を抜けて」~雑誌・将棋世界 2018年7月号では、どのような手を指すか決定する思考の過程を聞かれた際、「手を読んで居る内に隘路に嵌っている、おかしな方向に行ってしまっているときもあります。計算力との兼ね合いもありますが、力の許す限り「選択肢」を拾えるようにとは思っています」。どこかの国会答弁のように事前に質問内容が伝えられて居るわけではない。語彙の選択も含め咄嗟にこれだけ明確な返答が出来る棋士を見つけることは至難と言えるだろう。
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