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追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

葉茶滅茶総理が誇る「日本モデル」

2020年05月30日 | 政治・経済
葉茶滅茶総理が誇る「日本モデル」

5月25日、葉茶滅茶は「外国では2か月以上ロックダウンなどの強制措置が講じられている国もあります。我が国は緊急事態を宣言しても罰則を伴う強制的な外出規制を実施することはできません。それでも1か月半で今回の流行をほぼ収束することが出来ました。まさに日本モデルの力を示したと思います」。
緊急事態宣言解除に際して「解除できるのは、日本モデルの力」と、力強く自画自賛したが、これを聞いた国民の多くは口をあんぐり、危うく引っ繰り返りかけたのではあるまいか。
「世界で最も手厚い・空前絶後・世界最大規模の予算措置」、…掛け声ばかりで、胡散臭い葉茶滅茶マスクや、給付金も未だに届かない。給付金も手続きが怪しげな形で民間委託されており、明確な説明もされない。
専門家委員会の出した施策とは手遅れ段階で出した子供だましの「3蜜回避」の標語だけ、お粗末としか言いようがない。日本モデルとは「医療崩壊回避の為、検査は極力抑え、37度の熱が出ても接触状況如何では家で寝て居れ」と言う「恐怖のモデル」である。この為急激に症状が悪化し重体化した人や、無念にも岡江久美子氏のように満足な治療も受けられず、死亡する人も出始めた。医療崩壊を回避する為、積極的に対策を講じたのは埼玉県のふじみの救急クリニックの様な、民間の医療機関である。余りの無為無策に多くの国民はこのままでは危ないと、身の危険を感じて自発的に外出を自粛し、身を切る思いで休業を行ってきたのである。これに呼応して一部の自治体も精力的に動いた。強いて日本モデルと言えば「国民に恐怖体験をさせ、自発的に自粛・休業させるという心理作戦」のことを指しているように見える。自粛など無視して気楽に我が世の春を謳歌したのは葉茶滅茶夫婦や自民党の面々、検察官や新聞記者達である。 彼らは好きな時に検査を受け最優先で治療を受けられるという安心感がそうさせていると言うのは下衆の勘繰りだろうか。
葉茶滅茶は図に乗って「日本の感染症への対応は世界において卓越した模範である。先週金曜日、グテーレス国連事務総長は、我が国の取り組みについて、こう評価してくださいました。我が国では、人口当たりの感染者数や死亡者数を、G7、主要先進国のなかでも圧倒的に少なく抑え込むことができています。これまでの私たちの取り組みは確実に成果を挙げており、世界の期待と注目を集めています」。日本のコロナ対策に対する疑念は全てスルーして、更に自信満々にこう述べたのだ。「価値を共有する国々と手を携え、自由かつ開かれたかたちで、世界の感染症対策をリードしていかなければならない」「我が国のこれまでの経験も活かしながら、世界の感染症対策、コロナの時代の国際秩序をつくり上げていく上で強いリーダーシップを発揮していく」…。もはや狂気のトランプ¬=破落戸大統領の領域を超えてしまったようだ。葉茶滅茶の祖父・岸信介は東條と組んで日本を破滅させたが、極東軍事裁判で「自分に都合のいいようにものごとを利用するオポチュニスト」と評価されたが、そのDNAは完全に葉茶滅茶に受け継がれている。日本は大丈夫か…。


破茶滅茶総理(3)…「コロナウイルス問題」(d)

2020年05月24日 | 政治・経済
破茶滅茶総理(3)…「コロナウイルス問題」(d) 
破茶滅茶総理終わりの始まり…(5)

ケーキやチーズをよく食べるのにフランス女性にスリムな人が多い矛盾を指してフレンチ・パラドックスと呼ぶが、狭い国土に1億3千万弱の人間が犇めく超過密国家、それが集約される東京都に於いてさえ、新型コロナ感染者の死亡率が圧倒的に低いことから半ば畏敬の念と疑念をない交ぜ「ジャパン・パラドックス」と呼ばれている。
感染症対策として特段世界に誇れる施策が無いにも拘らず、このような低い数字は統計やカウントの方法に問題があるのではないかとの疑問の声も根強い。米外交誌フォーリン・ポリシー電子版は14日、東京発の論評記事として、日本の新型コロナウイルス感染対策は生ぬるく悉く見当違いの様に見えるが、結果的には世界で最も死亡率を低く抑えた国の一つであり「奇妙にもうまくいっている様で不思議だ」と伝えている。
 ウイルス検査を受けた人は人口の0・185%、ソーシャル・ディスタンシングも中途半端。国民の過半数が、政府の対応に批判的だ。日本のPCR検査実施数は国際水準を大きく下回る。5月14日までに実施された検査数は約23万件、アメリカの2・2%だ。外国人女性が検査を行えるまで日本の病院をたらい回しにされた体験談が外国メディアによって報じられると、国際社会は震え上がった。だが日本は、感染死亡率が世界で最も低い部類だ。直接死者数は5月14日現在で687人。100万人あたりの死者数は、日本が5人、アメリカは258人、スペインは584人。防疫政策が評価されたドイツでさえ94人だ。(但しアジアの中では最悪のフィリピンに次ぐ悪さだ。)超過死亡数(コロナウイルスによって生じた医療崩壊が原因の死亡者)を含めても、左程膨れ上がるとは思えない。これは日本がラッキーなだけなのか、奇妙と言うほかは無い。外出制限も緩い、緊急事態宣言が発令されても、明治憲法下の苦い経験から現行憲法では、国家権力が制限されており、政府が自宅待機を強制したり、企業や店舗に閉鎖命令を発令したりすることはできない(強制していないので補償の義務もないと言う逃げ口実に使われている面もある)。結局の所、日本は公衆衛生の意識が高い社会、又相手を気遣い、人との距離を取り、握手を避け、清潔を心掛ける日本の文化は、感染者数を抑える上で大きな役割を果たしたようだ、と結論付けている。
この問題については色々な仮説が述べられている。日本では手洗い・洗顔・うがい・マスク着用等はコロナ問題発生以前から普通に行われ、生活習慣化されて来たし、土足禁止・入浴好き、ハグ・握手の習慣もなく、口角泡を飛ばす様な喋りや議論は下品とされる等、文化や生活習慣もプラスに働いてきた可能性がある。又子供の時からラジオ体操に接し、長じても健康オタクと呼ばれる程、メデイアや公的機関までが懇切丁寧な健康情報を提供し、巷には健康食品・健康グッズが氾濫している。更には日本の医療水準の高さと、様々な問題を内包していながらも、其の公的な医療保険制度のお陰で、受けられる医療の質に対して貧富の差が影響する度合いが、比較的低いと言うことが幸いしているのも事実であろう。

この様な国民性等に基づく社会力の他に、注目される仮説としてBCGワクチン接種の効用について、毎日のように世界中で論文が発表されている。今の段階で確証はないが、BCG接種を義務づけている国の新型コロナ死亡率が低いという相関関係は統計的に有意だという結果が多い。G20諸国で、人口100万人あたりの死亡率を計算してみると、最上位のイタリア・アメリカ・カナダはBCG接種を義務化したことがない国であり、下位の日本・韓国・中国・インドは今も全国民に接種している国だということが分かる。特にインドのように医療サービスが潤沢ではなく、公衆衛生も遅れている国でさえ大規模な感染爆発が起きていない。又2003~04年東北大学・老年内科による臨床研究の結果BCG接種は免疫反応性の低下した寝たきり高齢者において、肺炎発症の予防効果を有することが明らかにされている。しかし一方イスラエルではBCGは有効ではないとの研究も発表されており、これがコロナにも適用し得るかどうかは今後の研究に待たねばならないが、一つの手掛かりであることは間違いない。
又、東大・阪大等7大学の研究者が中心となってこの現象は生活様式や医療格差だけでは説明し切れない。人種の遺伝子の違いにより免疫反応に差が有るのではないかと言う仮説を基に、ウイルスの遺伝子だけではなく,宿主である人間側の遺伝子も調べる必要があるとして研究を開始したとも伝わっている。
この様な疑問に対しノーベル賞学者山中伸弥教授はどのような因子が作用しているのか、その因子を「Factor・ⅹ」と名付け、それを突き止めることはコロナ対策にも極めて有意義・価値あることだとし、注力したいと述べておられる。

扨て、この強力なウイルスに対する対処法として4つの方法が考えられる。
「一つは集団免疫の獲得」である。
コロナウイルスは1人の感染者が2-3人に感染を伝搬させると言われている(再生産数2-3)。この流行を終息させるために、もし人口の60-70%の人にコロナウイルスの免疫力があれば、1人の人から1人しか感染者を出すことができないため、やがて流行が終息すると言う考えに基づくものである。北欧諸国も含むヨーロッパの多くの国が全国的な封鎖措置を取り、厳しい移動規制を敷いているが、こうした中、スウェーデンは全国的な移動規制や外出制限をしないという独自路線を貫いており、ストックホルムの通りの人でもカフェの客入りも一見、普段通りだ。その「緩い」対策は、自己隔離・社会的距離の推奨・イベント禁止・休校措置程度で世界的にも論議を呼んできた。感染を防ぐため気分の優れない人、70歳以上の高齢者には自己隔離が勧告されているが、50人以上の集会が禁止されたのは3月29日からと遅かった。可能な範囲で在宅勤務と在宅学習が促され、バーやレストランは濃厚接触を避けるための座席があれば接客が認められている。この様なスウェーデン独自の対策は、ウイルスにさらされる人の数を増やすことで「集団免疫」を形成し、感染拡大の第2波を防ぐという作戦の一環だとされている。スウェーデン公衆衛生局の疫学者であるテグネル氏は4月下旬にBBCラジオの番組に出演し、「我が国の死者のうち少なくとも半数は、高齢者施設の中で集団感染した人々だ。封鎖をすれば感染拡大を阻止できる、という考え方は理解しがたい」と主張。スウェーデンの方法は「ある意味で功を奏している。私たちの医療システムが崩壊に追い込まれていないことがその証拠だ」と述べている。スウェーデンの社会契約は歴史的に「市民の国家への信頼、国家の市民への信頼、市民間の信頼」に基づくとされている。単身世帯の割合はスウェーデン50%超、日本は35%。イタリアやスペインは大家族の世帯も少なくなく人間関係の距離が近いが、スウェーデンはその対極にあり、信頼関係と共に集団感染戦略を選択し易い理由の一つであると考えられる。しかし3月末時点で、最大100万人が感染している恐れがあり、最大4月末には総人口の半分、500万人が感染している可能性がある」(ブリトン・ストックホルム大学教授)という警告も出ている。スウェーデン公衆衛生局はワクチンができるまではゆっくり感染を広げて、抗体を持っている人が壁となって感染を抑制する集団免疫を獲得しようと考えていたが、感染ペースが速く集団免疫を獲得するまでに何人の人が犠牲になるか分からないとして2000人以上の医師、科学者らがより厳しい措置を講じるよう求める請願書を政府に提出した。人の接触回数を減らせば感染は制御されるものの、経済は深刻な打撃を受ける。感染制御と個人の自由意思に基づく経済とは完全なトレード・オフの関係にある。当局者は「経済を守り、可能な限り店舗閉鎖や従業員の解雇を回避することも重要だ。そうしなければ、ウイルスのパンデミック(世界的な大流行)がもたらす二次的なダメージによって多くの人が死ぬことになるか、医療に必要なリソースが減ってしまう可能性がある」と述べ、ソーシャル・ディスタンシングが守られないレストランには閉鎖を命じる可能性があり、50人以上の集会は禁止したと述べている。「壮大なる人体実験」との非難の中で政府関係者の確固たる信念とこれをサポートする国民。このウイルスに勝つには集団免疫しかない以上、2波、3波が到来した時の結果まで見定めないと成否を論ずることは出来ない。唯、スウェーデンが集団免疫を獲得する「国民の60%が感染者」に近づきつつあることは確かだ。

2つ目は「中国の国家統制型フル・ロックダウン」…中国共産党の威信を守るためなら情報操作や経済的な損失も厭わない強硬手段、「欧州の段階的ロックダウン」…欧州各国とも当初は自己隔離・社会的距離の推奨・イベント禁止・休校措置・都市封鎖を段階的に導入していく方針だったが、新型コロナウイルスの猛威の前に瞬く間に都市封鎖に追い込まれた。強制力はないが日本もこれに含まれる。

3つ目は「韓国・台湾やドイツのPCR検査のローラー作戦」、和歌山方式もこれに該当する。
都市封鎖に加え、PCR検査のローラー作戦を実施して見えない感染者をあぶり出し、隔離して感染を封じ込める。PCR検査のキャパシティーのない国には迅速検査キットを作る必要がある。韓国は欧州諸国とは違って個人のプライバシーを犠牲にして感染経路を虱(しらみ)潰しにしている。
結局この方法が「最も効果的に感染者抑数抑制をはかる事に成功し、早期経済活動再開に漕ぎつけ」、結果として「経済損失を低く抑えることに成功」したと言える。

4つ目はPCRローラー作戦を発展させたものである。抗体検査を行い(擬陽性回避の為2回以上)、抗体保持者かどうかを調べる。PCR検査を全員に実施し感染者を隔離する(擬陽性、偽陰性のリスクを減らすため数回の検査が必要である。重傷者は入院、無症状・軽症者は簡易隔離病棟へ)。この二つの検査によって隔離されなかった人は感染させる可能性が無いと考えられるので通常通り社会・経済活動を行うことが出来るし、感染者も回復すれば、短期間で社会復帰が可能である。「抗体検査・抗原検査・PCR検査」の検査コスト及び簡易隔離施設のコスト等財政負担は非常に大きいが、ロックダウン等による経済損失や国民の不安感払拭のメリットの大きさに比べれば極めて小さいと考えられる。
今後2波・3波で感染者が増える度に社会経済活動を抑制することは社会を大きく混乱させる。国民の不安・混乱を避けるには、この方式こそ20世紀型感染症対策であるとも考えられる。但しPCR検査後の感染を如何に防ぐか等技術的課題も多い。
更に経済活性化の為、インバウンド対策として「免疫パスポート」の検討も必要だろう。唯これについてWHOは「感染者は抗体反応を持つようになり、これが一定の防御につながることはあるだろう。ただし、その防御の程度や、その効果がいつまで続くかはまだ分かっていない」と指摘し警鐘を鳴らしているし検査の精度、更には国による精度のばらつき問題もあり、悪用対策等検討課題も多い。
何れにせよ日本の様にPCR検査を抑制した為、誰が感染者か分からない、サイレントキャリアーが家庭内感染、施設での感染、更には院内感染を招き治療も受けられず死亡する等、国民を不安に陥れるような事は絶対に避けるべきだろう。

初期段階で、政府や専門家会議は経済やオリンピック開催を重視するあまり、事態を軽視し思い切った対策を取らなかった。これがの日本の新型コロナ死者数(5月15日現在100万人当り)は5.6人、東南アジアの中ではフィリピンの7.5人に次いで多い結果を招いた。(韓国5.1人、中国3.2人)
専門家会議は基本に立ち返り徹底した検査重点策,人命尊重策に注力すべきだ。其の為には検査ができない理由を並べたてるのではなく、出来るように提言する方向に切り替えた方が良い。
台湾に倣って、モノづくり日本を誇る経済界の協力を得て緊急に必要な検査装置や材料、マスクや消毒薬、防護服、更には隔離用のテントやプレハブ住宅を早急に生産し政府が備蓄する。初期段階でまずこれをすべきだった。政府・専門家会議に残された課題は山ほどある。

破茶滅茶総理(3)…「コロナウイルス問題」(d) 

2020年05月17日 | 政治・経済
破茶滅茶総理(3)…「コロナウイルス問題」(d) 
破茶滅茶総理終わりの始まり…(4)

破茶滅茶政権のコロナ対応に対し内外から非難の声が大きいが、元々能力無き者にこの様な難しい問題の対応策を期待する方が間違っている。この危急の時にコロナ対策として何の役にも立たない(ウイルス素通りの)マスクを、巨額の税金を浪費して国民に押し付け、或いは星野源の動画に無断出演し優雅な生活を披露して国民の顰蹙を買っただけでなく、星野の動画をすっかり台無しにしてしまったりで,夫婦揃って全く常人とは思えぬハチャメチャ振り、所詮自分の知恵ではこの程度の事しか出来ないのである。政治はその殆どが役人が作った神輿に乗っかるだけ、彼らが作ったストーリー通りに振舞い、フリガナ付きの原稿を読んで居れば、あとは三流の芸能人や、保守まがいの取巻き右翼を集め「エ~じゃないか、エ~じゃないか」の遊興三昧で税金の使い放題、まことに植木等の「気楽な稼業ときたもんだ…」の世界である。
3日の憲法記念日には、右翼を“なりわい”とする桜井よしこや日本会議が主体の団体が開催するネット上の改憲集会「憲法フォーラム」に、この時とばかりコロナを利用して、憲法に緊急事態条項を盛り込ませようと「憲法改正の必要性」を訴えるビデオメッセージ、ずる賢いと言うか、こういう悪知恵だけは抜け目がないし、こんな時に限ってやる事が素早い。コロナ緊急事態対応に憲法改正など全く不要、新しい法律を作れば十分と言う極めて簡単な話なのである。
母校成蹊大の教授達の中で誰一人破茶滅茶総理を誉める者はほぼ皆無、多くは「無知・無恥の徒」とか、「大学で自分自身を知的に鍛えることがなかった」「憲法も知らずナショナリズムだけに凝り固まった(なんちゃって保守)」だと扱き下ろし、同窓である事を恥じ入る様子、自校出身の総理に対する扱いとしては見たこともない光景である。
そもそも憲法も碌に理解しない輩がその改正を主張する,狂気・茶番以外の何物でもない。アメリカの破落戸大統領は三権分立を無視し司法制度を使い易いように無法の限りを尽くしているが、破茶滅茶総理も自己防衛としか考えられない検察官の定年延長に手を付け、尊敬する破落戸を真似て同じような無法行為を行っている。今や日本の総理は「破茶滅茶・破落戸」になり下がったようである。コロナ危機対応が上手く行かないのはトップが無能だからであって憲法のせいなどでは毛頭ない、責任転嫁も甚だしい。
感染症対策本部の本部長の破茶滅茶・破落戸総理、国会で現在の感染者数を問われ、官僚を集め1分以上大騒ぎした後、「質問事前通告では『緊急事態宣言を解除・延長する基準と判断時期を明確にされたい』、でございまして、今、しておられることについては、質問の通告はされていないということは、まず申し上げておきたい。」この発言に委員会がざわつくと、さも心外といった口調で「それはそうですよ。だって…こ、これに書いて、これに、これに、これに書いてないじゃないですか…」と逆切れ、幼稚園児並みの対応と胸糞が悪くなるようなこの活舌の悪さ、記者会見に形だけつけてフリーランスの記者を入れても指名しないのは、不規則質問が出た際、返答はおろか、まともな日本語が話せないのが露見するからであろう。成蹊大関係者の気持ちが痛いほど理解できる。
然し感染対策本部長、感染者数位は概算でいいから覚えておけと言いたい。要するに真剣味が足りないのである。
 
扨て、コロナ問題であるが「日本辺境論」「サル化する世界」等、多くの著作で知られる思想家・大学教授の内田樹氏は、「コロナ禍に見る「最悪の事態」を想定しない日本人に対する緊急提言」と言うコラムの中で、【コロナは世界各国に配布された「センター試験」、コロナウィルス禍にどう適切に対応すべきかという未だ誰も正解を知らない「問題」が、世界各国に同時に配布された。そんな中、アジアでは、今のところ台湾、韓国、中国が感染拡大を阻止することに成功しているらしい。そして、「こうすれば感染拡大は防げる」という教訓を開示した。都市封鎖、感染者の完全隔離、個人情報の開示、徹底的な検査……それぞれにやり方は違うが、とにかくほぼ抑え込んだ。 しかし日本は何一つ成功していない。世界に「こうすれば、抑えられる」と報告できる成果が一つもない。今のところ日本は深刻な感染爆発に至っていないが、それがどのような防疫政策の「成果」なのかは誰も知らない。検査数を抑えているだけで、実は感染の実態を政府も把握していないのではないかという疑念が海外メディアから呈示されているが、政府はそれに対して説得力のある説明をしていない。日韓はほぼ同じ時期に感染が始まった。韓国は終息に向かっており、「こうすれば大丈夫」という経験知を積み上げている。日本では深刻な感染爆発はまだ起きていないが、それを抑止する手立てを講じたからではない。朝令暮改的な指示を出して「やっている感」を演出しているだけ。各国は先行する成功事例に学ぼうとして、どこも中国の都市封鎖策に、韓国、台湾が実施した完全隔離・検査体制の充実という成功例を組み合わせた「解答」を真似し始めた。パンデミックについては「カンニング」ありだ、それが人類の為なのだから真似できる成功事例は何でも真似すればいい。でも、日本はそれができない。安倍政権のコアな支持層は嫌韓・嫌中言説をまき散らしてきた人達。韓国、中国の成功例を真似することは「中韓の風下に立つ」ことであり、安倍政権の支持層にとっては耐え難い屈辱である。だから、政府はその支持層に配慮して、「日本独自」の感染防止策を実施しているように見せかけることに懸命になっている。しかし、そんな独創的なアイディアを立てられるような能力は日本政府にはない。】
この内田氏のコメントは100%日本の現状を言い当てている。しかし日本にも誇れる事例があった。ワシントン・ポスト紙が絶賛した「和歌山方式」である。同紙報道によれば「新型コロナウイルス対策において、一つの自治体が中央政府の方針を破り、知事の強力なリーダーシップの下で独自の検査基準を採用して迅速な検査と感染ルートの追跡を徹底し、果敢な封じ込めに動いた結果、この世界的なパンデミックとの闘いに勝利したのだ。」と称えている。「それは、迅速な判断と行動によって新型ウイルスの流行を抑制し、感染の連鎖を断つことができるという教訓である。」
新型コロナウイルスの感染拡大が世界各国の政府や医療体制に重くのしかかるなか、日本の和歌山モデルは、この闘いの核となる防御策を明示している──「積極的な検査と接触者の追跡」だと。
日本では新型コロナウイルスのPCR検査は不足しており、検査対象となるのは主に中国への渡航歴がある人、または感染が確認された人の濃厚接触者に限られていた。和歌山で感染が疑われた5人は、いずれの基準にも当てはまらなかった。しかし和歌山県は自立心の強い「仁坂吉伸知事」がいた。仁坂は政府のガイドラインに従わず、「独自のアプローチ」を取るとした。県福祉保健部の「野尻孝子技監」は「和歌山ではこの状況に柔軟な対応を取ることに決めました。中国人との接触があった人だけに限定していては、感染者を見つけるのが困難だと判断したからです」と述べ、済生会有田病院で感染が疑われる症状が報告される前から、「私たちは最前線の医師らの意見に従うと決めていました」と、野尻はつけ加えた。
野尻は済生会有田病院で最初に症状を訴えた男性医師のPCR検査にゴーサインを出した。結果は陽性だった。
感染者と接触のあった人全員を検査、2月13日、仁坂知事は記者会見を開き、和歌山で初めて感染者が確認されたこと、その医師が接触した全員を追跡すると述べた。このニュースは東京の医学界に衝撃をもたらした。日本国内で初めて、感染ルートが中国につながらない感染者が出たのだ。
当時の厚労省の指針では、感染者と濃厚接触があった人すべてが検査されるというわけではなかった。濃厚接触者でも、その多くが自宅待機して自身の健康状態を観察するようにと言われていただけだった。
湯浅町の済生会有田病院は医師の感染確認後、外来診療を休止していたが、知事や県保健当局はできるだけ早い再開が必要だと認識し、そのためには、感染の可能性がある人全員を検査しなくてはならない。
感染が確認された医師と接触のあった人たちの追跡が始まった。看護師、パートタイムのスタッフ、患者、家族、そして病院の仕入れ先の従業員まで──。
「大変でした」と県福祉保健部の野尻は言う。「まずは全体像の把握に努めたのですが、それには時間がかかりました。一体どれだけの人数になるのか、それをつかむだけでも大変です。名簿があるわけではありませんから」
福祉保健部の職員らが聞き取り調査を行い、3日間かけて接触した人全員を追跡。さらに検査用の検体を採取するのに11日間を要した。大阪府知事を説得して協力を取りつける。
そうして検査対象となった人のリストは約470人に膨れ上がった。日本がまだ1日あたり数百人ほどの検査しかできていなかった時期に、この数字はとても大きく感じられた。
そこで仁坂は政府に働きかけ、検査に必要な化学薬品を送ってもらうように説得した。仁坂はまた、隣の大阪府に自ら出向き、大阪の施設で150人分の検査を実施してもらうよう府知事の協力を取りつけた。残りは和歌山県内で行う。
こうして和歌山と大阪は24時間体制で検査結果の分析に努めた。「あれ以上のスピードではできなかったと思います」と、野尻孝子技監は振り返っている。2月25日までに全員の検査が終わり、その間に10人の感染が確認された。
3月4日、済生会有田病院は外来を再開した。意思決定・実行力、大局観等上に立つ人間に必要な資質を備えたトップとその方針を的確に実行に移せる人材が居れば未知の難題にも打ち勝てるという見本である。

無能な政府が無能な利権集団・厚生官僚を集めて作った感染症対策専門家会議、初動から間違っていた。
専門家会議は感染者国内発生の初期段階で実施した積極的疫学調査(感染者の接触者を追跡する調査)の結果、①「感染者の大半は誰にもウイルスをうつしていないと推定」、②「ライブハウスや屋形船、スポーツジム等「換気が不十分で人が密集する場所」に行った一部の人が10~20人規模の集団感染を引き起こしており、散発的なアウトブレーク(クラスター)を発見し抑え込めば感染者急増を防げると、この面に全力を挙げた」。中国の報告では感染者100人の内81人が軽症、症状の出ない人もいるが多くは1~14日で発症し、咳・発熱など風邪に近い症状が7日程続きその後軽快する。19人の症状が次第に重くなり、肺炎や呼吸困難を起こして入院が必要になる。其の内5人が呼吸不全など更に重篤化し2人が死亡する。以上の推定と中国の報告を基に、「PCR検査を増やせば希望者が医療機関に押し寄せ、医療現場が崩壊するので、中国・韓国・台湾のような軽症者・無症侯者に対する大規模PCR検査は行わず、感染者の濃厚接触者と重症例の確定診断を優先する方針をとった。専門家会議メンバー・クラスター対策班の押谷教授は「クラスターを見つければよい。それ以外は自然消滅する」と明確な根拠説明もなく言い切っている。副座長の尾身茂氏も、「(新型コロナは)発熱が4~5日続いた後に治る人がほとんどだが、悪化する人もいる。この段階ですぐに医師に相談して『PCR検査』を受ける。4日にしたのは、トータルで効果が高いから」とPCR検査にブレーキをかける発言をしており、2月厚労省はこれを基準に、感染が疑われる人が相談や受診をする目安として「37度5分以上の発熱が4日以上続く場合」などと具体的に示した為、関係者がこれを検査の必要な条件と考え、検査の抑制を図った。これによって岡江久美子氏ほか多数の人が急激に重症化し必要な治療も受けられず死亡する人が相次いだ。新型=未知のウイルスである以上今後何が出てくるか完全に予測することは困難であり、推論で決めつけることは危険である。確かに味覚・嗅覚が無いと言った新しい症状も報告されているし、又潜伏期間が14日程度と長く発症の2日前からウイルスを出して感染源となる事も判明した。発症直後に急激に症状が悪化し、重篤化する事例も報告されている。感染しても無症状が多い為検査をしないと誰が感染者かわからず、水面下で広がり続けるサイレントキャリアが市中感染者を広げ医療崩壊の大きな原因となった。
色々解明されつつあるが未知のウイルスである以上不明確なことが多い現状、間違った推論でクラスター潰しに特化したことが混乱の大きな原因である。押谷教授は、3月22日のNHKスペシャルで、「検査を押さえている事が、日本が感染を踏みとどまらせている大きな理由だ」とまで言っているがその根拠は何も示していない。尾身氏も新型コロナを封じ込めた中国政府の対応について、「感染拡大を防ぐだけが目的なら、中国と同じことをやればよい。 しかし、人々の移動まで止める必要はない。もっと合理的な21世紀型の対策があるはずだ」等と感染拡大防止を唱えるべき医療専門家と言うより、政治家のような発言をしている。案の定、尾身氏が理事長を務める「地域医療機能推進機構」傘下の病院・「新宿メディカルセンター」で院内感染が発生、慌ててPCR検査の結果職員・患者併せて16名の陽性が判明したと報じている。

政府や専門家会議は方向性の誤りに気付き、21世紀型の対策も出せずに、急遽方針転換を行った。全都道府県に緊急事態宣言を出し、外出自粛(ステイホーム)、休業要請を声高に叫び始めた。しかし国民には要請するばかり、事業者に対し休業補償もせず、 旅行業、外食産業、芸能・芸術関係者、その他イベント業者をはじめとして、「自粛」による影響は多大だ。すでに収入のほとんどを絶たれ、失業状態に陥ってしまった人もいる。マスク2枚で事業者は救えないと悲鳴が上がっている。個人に対する定額給付金も何時支払われる事やら、オンライン申請をしたが一向に支払われる気配もないばかりか、現場では書類申請の方が早いのでそちらにして欲しいとの声が出ているらしい。近隣諸国に比べてこの惨状、日本はもはやIT後進国というかIT崩壊国、無能政府の付けが全て国民にしわ寄せされている。
韓国・台湾・中国では既にスポーツ再開も始まっており、経済活動も動き始めているが、検査を怠り実態把握が出来ていない日本では手探り状態、中小事業者は悲鳴を上げている。
 
次回では何をすべきだったのかを中心に記したい。

C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)…1

2020年01月18日 | 政治・経済
C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)…1

 世界中が見守ったゴーンの2時間半の“独演記者会見は、本人が興奮のあまり赤鬼のような形相で「自分は無罪」だと喚き散らした為に其処に焦点が集まりすぎて、結果「鬼も蛇も出ず」との印象を与え些か世界の期待を裏切る結果となった。自分の主張を浸透させる為には、冷静且つ理路整然と話せるように広報の専門家等にも相談し慎重且つ周到に準備すべきであった。異常な精神状態のなか、明らかに戦略不足、準備不足に陥ったのだろう。
待ち構えた多くのメデイアが期待していたのはニュース・バリューのある「007の映画のような大脱走劇の詳細」と「国策捜査に関与した政治家の実名」であったが、これらには一切答えなかった為に、海外メデイアでさえゴーンの一方的なプロパガンダに過ぎないという批判的な声も一部に聞かれた。勿論大脱走の方法を説明すれば関与した人間等の捜査に手掛かりを与え、彼等が訴追される危険性があるし、政治家の実名開示も日本政府による圧力で頼みのレバノン政府からストップがかかって見送らざるを得なかったのはやむを得ないと思われる。 同日イランのミサイルによる対米報復事件が重なったのも災いした。
しかしゴーンは書籍出版やその映画化を通じて日本の司法の不当性を訴えると述べえ居り、彼の財力に訴えれば協力者には事欠かないと考えられるので、今後何が飛び出すか期待は大きい。
ゴーンの海外逃亡そのものは保釈を請求した際に自分が提示した保釈条件に反する行為であり、司法当局との契約違反・明白な背任行為で、密出国として厳しく責められるのは当然の事あろう。
一方法相や検察当局は、「わが国の刑事司法制度は、個人の基本的人権を保障しつつ、適正に運用されており、保釈中の被告の逃亡が正当化される余地はない」と、全く具体性・説得力に欠ける官僚性丸出しの声明を発表したが、ゴーンが主張した「人質司法」やグローバルスタンダーとも言える「弁護士立ち会いの取り調べさえ採用しようとしない」といった日本の司法非難には何も答え無かった為に完全に一本取られた形となった。
国際社会で大恥をかかされたとの思いで頭に血が登った検察の発言を受け政権御用メデイアが先頭を切り一斉に狂ったようなゴーン・バッシングを始めた。新聞の論調も検察御用メデイアとしての本来の役割を思い出したのか批判一色に切り替わったし、テレビのワイドショーでは、MCやコメンテーター、タレントたちが寄ってたかって、「有罪になるのを恐れて逃げただけ」「全然大したことを言っていない、ただのすり替え」「日本司法を批判する資格などない」といった大バッシングを展開し、「盗人猛猛しい」などと、あたかも有罪が確定しているかのような犯罪人扱い、「司法批判はすり替え」などと恥ずかしげもなく得意顔で言い放ったのもいたしケントギルバートに至っては根拠なくあれは有罪と断定しそのバカさ加減を披露する始末、あきれる他はない。
ゴーンの記者会見に参加出来たメデイアは全世界の約80媒体、120人ほどとされているが、その中で日本メディアは朝日新聞とテレビ東京、そして週刊ポスト取材班の3媒体のみであった。検察御用メデイアのお仲間・朝日が呼ばれたのは不思議という他はない。
記者会見の場に、日本の大手メディアの参加を拒否した事に対し外国やフリーのジャーナリストから拍手喝采を受けた。彼等は日本の大手メデイアが「記者クラブの特権に胡坐をかいて外国やフリーの記者を締め出し、政権監視の役割を放棄し政府広報を垂れ流すだけの存在」でしか無いことに常々反感と軽蔑の念を抱いていたのである。御用メデイアを使ってゴーンが如何に強欲な経営者であったかを繰り返し世論にPRし刷り込みを図って「有罪の風」を吹かせようと言う検察の常套手段は最早底が割れて来ており、今後この汚い手は通用しなくなるだろう。強欲経営者と法的な虚偽記載とはなんの関係も無いのである。

ゴーンの主張は実に明快、「私は正義から逃げたわけではない。不正義から逃げたのだ。自分自身を守るほか選択肢はなかった」と宣言した。
ゴーンの弁護団の高野弁護士はこの密出国を『暴挙』『裏切り』『犯罪』と言って全否定することはできない。確かに私は裏切られた。しかし、裏切ったのはカルロス・ゴーンではない」とブログに記し暗に検察を非難している。又『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞を 受賞した世界的映画監督の周防氏も「同じ状況に置かれたら自分も逃亡する」と述べている。同監督は自ら率先して「どうしても作りたかった」という社会派の作品『それでもぼくはやっていない』という痴漢冤罪に絡む作品を制作し、その中で人質司法など、日本の被疑者取調べと刑事裁判の人権軽視の実態を映像化している。
更に著名な金岡法律事務所の代表は「検察が事件を有罪にできるだけの証拠を収集したと公言して居るが、もしそうなら、それ以上被告を拘束し妻との接見を禁止する理由はない。東京地検のゴーン氏会見批判は恥の上塗りである」と述べている。 「有罪立証のための証拠が十分に集まったから起訴したのであり、被告人が関係者と打ち合わせをしただけで、その十分な証拠構造が動揺すると言うことがあるのか、そんな弱い証拠なのか、又仮に動揺するとすれば、それは打ち合わせ結果の方が真実で検察の証拠がまちがって居ることを示す事になり、従い有罪見込みも誤って居ることになる。つまりは無罪という真実のための正当な打ち合わせは正当な権利であるという視点は、検察庁には欠落している」との説得力ある論旨を展開している。
更に政府関係者から国際的に日本の信頼を失墜させるような失言が相次いだ。
ゴーンは今回の件は「自分を排除したい日産経営陣が仕組んだクーデター、それに(名前は出さなかったが)日本の政治家も絡んだ国策捜査」だと折りに触れ強調している。これを裏付けるような安倍総理の発言が飛び出した。8日キヤノンの御手洗冨士夫会長らと会食した際に「日産のなかで片付けてもらいたかった」と発言したことが発覚、「政府に持ち込まれて大迷惑」と取られ国策捜査を裏付けるものと物議を醸している。それでなくとも公知となった国策捜査を裏付ける材料は山ほどある。
特捜部がゴーンを逮捕した直後、菅官房長官を訪ねて、逮捕の報告を行ったとの情報があり、こんな件で真っ先に官邸に挨拶に行くというのも異常である。又安倍内閣を牛耳る経産省の審議官・内閣官房参与を歴任した豊田正和氏が、2018年6月から日産の非常勤取締役に就任しており、ルノーとの統合や海外移転を進めるゴーンを失脚させる為の経産省が日産に送り込んだ刺客ではないかと見られている。更に日産の中でゴーンを追及する社内チームの旗を振っていた当時の広報担当の専務・川口均氏は横浜商工会議所の副会頭で、当該選挙区出身の菅官房長官とは日産ぐるみで近い付き合いがあり、個人的にも相当懇意な関係にあると言われており、この線から国策捜査が進められた可能性が極めて濃厚である。ゴーンは会見で伏せたがこの様な情報は既に世間に行き渡っているのである。
更に汚名を晴らせとの外野の大声に押されて先の深夜の声明に続いて、森法務大臣は「ゴーン被告は自らにかかっている経済犯罪について、潔白だと言うのなら司法の場で正々堂々と無罪を証明すべきである」と法務大臣として「推定無罪の原則」を否定する致命的な非難声明を行ってしまった。
近代司法の大原則、「被告人は、裁判で有罪が確定しない限り、例え逮捕され起訴されたとしても単に嫌疑が課せられているだけであり無罪推定がなされる」、従って被告人は無罪と推定されるこの原則により、「刑事裁判では検察官が被告人の犯罪を証明する必要があり、被告人は自らの無実を証明できなくても構わ無い、飽く迄検察官が有罪であることを証明しない限りは無罪になる」と言うのが世界的な大原則である。
2013年には国連の拷問禁止委員会の審査会でアフリカのモーリシャスのドマー委員が、「日本は自白に頼りすぎではないか。これは中世の名残だ」と日本の刑事司法制度を批判したのに対し、外務省の上田秀明・人権人道大使が「日本は、この(刑事司法の)分野では、最も先進的な国の一つだ」と開き直り、会場の苦笑する参加者らに顔を真っ赤にして「Don't Laugh!(笑うな!)」「Shut up!(黙れ!)」と叫んで失笑を買った事件で日本の司法制度の問題点が世界に明らかにされた矢先である。
森雅子法相のこの発言は憲法31条や刑事訴訟法336条を無視した発言であり、日本の司法制度の致命的な問題点を自ら世界中に公表したことになる。法相はことの重大さに気付いたのか、翌1月9日16時のツイートで「無罪を証明」は「無罪を主張」の言い間違えであると釈明し、訂正したが後の祭り、早速ゴーン代理人弁護士は10日声明を発表し「被告に無罪の立証責任はない、間違えたのは容易に理解できる、あなたの国の司法制度はこの原則を無視している為だ」と世界中にアピールしたのである。森法相は人権弁護士育成のための米国留学制度を利用してNY大学ロースクールで勉強したのを売り物にして居るが、人権のイロハを言い間違える等、普通ではあり得ない、一体何を勉強してきたのだろうか。安倍首相も元防衛大臣の稲田朋美とこの森雅子を総理有力候補に挙げているがこの両人が総理とは相変わらずの人を(特に女性の)見る目の節穴ぶり、全く以て迷惑相千万、空いた口が塞がらない。
更に追い打ちをかけるように法務省公式サイトで「個別事件に関する主張があるのであれば、具体的な証拠と共に、我が国の法廷において主張すればよい」として、ゴーン被告に対して具体的な証拠を提示して争うように求めるなど、やはり推定無罪の原則を理解できていない。被疑者が証拠を出すのは悪魔の証明に近い場合もある。これを「言い間違い」で済まそうとする法務大臣、法務省の下で、刑事司法が健全であるわけがない。

この稿続く

C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(2)

2020年01月08日 | 政治・経済
C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(2)

検察・弁護士・メデイア・政治家・役人等々多くの人が、やれやれと肩の荷を降ろして往く年・来る年に思いを馳せていたであろう大晦日、ゴーン本人の「私はいまレバノンにいる」との声明で内外誰もがぶったまげた。羽田空港で東京地検特捜部に逮捕されてから13カ月、2度目の保釈から8カ月、多数の監視カメラをかいくぐり、関空のお粗末な出国審査をすり抜け、プライベートジェットでベイルートに向かって魔法使いのように「風と共に逃げ去った」のである。
前回ブログで、世紀の大脱走と言う「風」と共にゴーンが大きな物を失ったと書いたが、同様に其の風の原因を作った日本の「検察を頂点とする司法制度」も風の吹き戻しの影響をモロに受けて大きな代償を払うことになるかも知れない。
ゴーンは今回の件は「日産とルノーの経営統合を進めようとしている張本人として自分を排除したい日産経営陣が仕組んだクーデター、それに日本の政治家も絡んだ国策捜査」だと述べ、記者会見を開いて実態を明らかにすると述べている。
事実ニューヨーク・タイムズが報じる所によると、ゴーンは逃亡前に自宅でハリウッド映画プロデューサーのJ・レッシャー氏と日本の司法制度を告発する映画の構想について話し合い、著名人の裁判事例なども研究し、「有罪率99%」の日本の司法制度では公正な裁判は期待出来ない、国策操作に関わった日本の政治家の名前も公表し糾弾するつもりだと息巻いている。
この記者会見によりゴーン本人の事件もさることながら、国際基準からかけ離れた旧態依然の日本の刑事司法制度が脚光を浴びる形となり、基本的人権の無視、更には日本の民主主義に懐疑の目が向けられることになるだろう。経済が第3位の「先進国」を自負する日本に対し国際社会の見る目には大きなギャップがある。男女格差が世界114位、報道の自由度72位、国連世界幸福度51位、国連人権理事会等による日本の人権に対する考え方に厳しい国際評価が存在する事に迄目が向けられるかも知れない。
先ずゴーン本人の事件であるが郷原氏始め多くの著名弁護士が指摘しておられる通り、検察が金融商品取引法違反の容疑事実とした「役員報酬の過少申告」の金額は、退任後の支払い予定の「未払い報酬」に過ぎなかったという衝撃の事実が明らかになった時点で犯罪とは為りえないものであった。会社法上、退職金支払いには株主総会決議が必要であり、決議もされず支払もされていない退職金を記載しないのは有価証券報告書虚偽記載・金融商品取引法違反だというのは幾らなんでも暴論であろう。その他の隠蔽された報酬は「海外での自宅の提供」だとか、SAR(株価連動型報酬)だとか、それによって日本で税を免れていたとかは、「検察御用マスコミ」が勝手な憶測(?)で報道を続けていたものに過ぎないことが明らかになった。しかも、勾留満期には逮捕事実の「2015年までの5年間」の有価証券報告書虚偽記載で起訴し、その逮捕事実と同じ「直近3年分」で再逮捕するという、不当な再逮捕により身柄拘束を継続しようとしたが、東京地裁が勾留延長請求の却下を決定した。それに対して検察は延長請求却下の翌日に、当初は「形式犯」だけの立件しか予定していなかった「サウジアラビア・ルートを含む特別背任を新たに立件して再逮捕したのである。しかし検察は、無理に立件したサウジアラビア・ルート、オマーン・ルートについては、日産から中東への送金が事業目的に見合うものであったのかどうかという「特別背任罪の成否の核心」に関する事実について、中東での証拠収集がほとんどできていないまま日産関係者の供述だけで特別背任で2度も逮捕するという、従来の検察の常識に反するやり方を強行し、逮捕後に中東各国への捜査共助要請をして証拠を収集しようと言うお粗末な対応をとったが、協力を得ることは先ず不可能だろう。本人自白が無く、証拠がほとんどないまま起訴している為、証拠開示が出来ず、いまだに初公判の見通しすら立っていない。長期勾留や婦人との接見禁止等の人権無視の手法は被告人を精神的に追い詰め公判の為の自白を取ろうというのは検察の常套手段である。
このような「異常な刑事事件」の虚偽記載容疑については、4月に初公判が開かれる可能性が出てきていたが、中東ルートの特別背任についてはいまだに初公判の見通しすら立っておらず、一体いつ始まりいつ終わるのか、見通せない状況になっていた。こういう状況で、ゴーン氏は、保釈条件として妻との接触を9か月もの間禁止されたまま日本国内に公判対応のためだけに留め置かれ、いつになったら接触禁止が解除されるかもわからないのである。明らかに異常な刑事捜査、長期間の身柄拘束や厳しい保釈条件による人権侵害の問題などを自らの言葉で世の中に訴えようとしても、特別背任のときのように別件で再逮捕される危険があり、記者会見すら開けない。弁護団が予定主張記載書面を公開したりしてゴーン氏の主張を公表しても、日本のマスコミは殆ど報じない。
ゴーンの大脱出の背景にはこの様な「絶望的な状況」があったのである。
2016-11月のブログ日本の民主主義でも触れたが検察を頂点とする日本の司法制度は極めて前近代的、内外からの批判も多い。ゴーンは著名人の裁判事例なども研究し、「有罪率99%」の日本の司法制度では公正な裁判は受けられないと確信したともされ、映画化により世界に不当な扱いを明らかにするなど、徹底的に戦うつもりのようだ。
御用マスコミを使って推定有罪をゴリ押しし、文書の改竄まで行って冤罪さえ恐れない独善的な検察に対する国際社会の風当たりはますます厳しくなる。日本が採用している起訴便宜主義は本来被疑者保護の視点に立って採用されたものであるが、検察はこの起訴・不起訴の裁量権を悪用し安倍政権の森友・加計・桜の会の不祥事件には政権に忖度しダンマリを決め込んでおり、政官始め日本全体のモラル低下に拍車をかけている。
果たしてゴーンの記者会見で何が飛び出すか、検察その他の行政はまともに反論できるのか,当に見ものである。