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追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

破落戸(ゴロツキ)大統領

2020年02月22日 | 国際政治
破落戸(ゴロツキ)大統領

破落戸の国語辞典の定義は「他人の弱味につけこみ、ゆすり・たかり・嫌がらせなどをする無頼漢」とあり、まさにトランプの性格を語るのにピッタリの命名である。
怪しげなカジノや脅迫・脱税等悪知恵の限りを尽くして財を成したが、その演説やツイートから人間の品位・品格とは全く縁の無い下品・粗野を絵にかいた様な、一介の不動産屋像しか浮かび上がってこない。
キリスト教福音派を中心とする共和党支持者の多くは大統領に世界の尊敬を集めるような人格や教養、見識を望んでいるのではなく、他国へのゆすり、たかり等手段はどうあれ,如何に自分達の欲望を満たしてくれるか、「アメリカ1st」を達成してくれるかを期待しているのである。
しかし良く考えてみるとアメリカは常に「アメリカ1st」であった。
NATO、日米安保、米軍の海外駐留,中東への派兵何れをとってもアメリカの国益に沿ったものであり、世界の警察官を名乗って外国の為にボランテイア活動をして居る分けでは決してない。今迄は各国との摩擦を避ける為、自国1stをぼやかす手段として包み隠していたオブラートをトランプが破り捨て、明け透けに言い出したに過ぎないのである。
トランプが異質なのは強欲の度が過ぎアメリカ1stを通り越し、「自分1st、大統領選に勝つ為」だけが自己目的化され、「今だけ」良ければよいと言う政治を推し進めた為、長期的な視点が全く欠如してしまっている点にある。大統領に再選されることだけが最優先課題、「後は野となれ山となれ」だから極めて恐ろしい。
大方の選挙民の関心事は雇用とテロ(治安)にあり、彼らの視線は環境や世界平和には向いていない。
「TPPからの離脱」、「パリ協定からの離脱」、「イラン核合意からの離脱」、「国連人権理事会脱退」、「INF全廃の破棄」、米主導で形成した国際秩序を次々破壊したのも「アメリカ1st」=「自分1st」を実現する為である。TPP=農民、パリ協定=石炭・石油業界、イラン核合意=キリスト教福音派・ユダヤ教徒、全ては選挙対策である。これが行き過ぎてイランの英雄・革命防衛隊司令官を殺害してしまった為、自分の首に懸賞金迄かけられてしまい安閑としておれなくなった、自業自得と言うべきだろう。
イギリスのEU離脱をけし掛け、サポートし更には絶えずEU各国に内政干渉しEUを瓦解させようと画策しているのも、TPP離脱と同様に一対一の方が脅し・強請がし易い,当にTPP離脱と同じ発想と考えれば理解できる。

トランプは共和党を「トランプ党」に塗り替えてしまったように見える。共和党員は選挙でトランプの支持を得る為、僅かな良心もかなぐり捨て、完全に沈黙してしまった。「パワーによる秩序」と「強力な同盟関係による安全保障策」「小さい政府」が共和党の内政・外交の基本であるが、巨額の減税と国防費やインフラ投資を大幅に増やし、未だにメキシコとの国境の壁建設に未練を残している為、財政赤字は膨らむ一方である。この赤字を補填する為に始めたのが同盟国への「カネ、カネ、カネ、」の要求である。
「日本、ドイツ、韓国…米国の同盟国はコストが掛かり過ぎる」とし、同盟国の重要性を説くマテイス元国防長官の進言を受けつけず辞任に追い込んだが、マテイスの側近は「兵役を恐れ逃げ回っていたトランプ」が立派な元軍人に期待していたのは「同盟国に金の要求に行きます」と言う言葉だけだったと述べている。エスパー新国防長官はトランプのご機嫌を取る為、「韓国は同盟国であって、扶養家族ではない」と述べ、日韓には貿易赤字の削減を求め、新たな貿易協定を締結、更に「米軍兵士を韓国の傭兵にすべきでない」といった批判の声も無視して、昨年米軍駐留経費の負担を韓国に現行の5倍となる50億ドルを要求、今年から始まる日本との交渉でも現行の5倍の増額を求める意向が伝わってきている。トランプが再選された時には日本も重大な決断を迫られる時が来るかもしれない。
NATOにも不公平だと不満を投げつけ特にドイツには国防費をGDP比2%まで引き上げるよう要求している。同盟関係という意識は無く同盟国とのゼロサムゲーム、不動産屋的感覚での交渉と捉えているのである。

トランプが選挙用に作った赤い帽子のロゴ「Make America Great Again」はトランプが尊敬するレーガン元大統領の物真似である。トランプの場合は「アメリカの国益=自分の利益が第一」という意味だが、レーガンの「強いアメリカ」という場合には、少しは「アメリカを強くすることが世界の安定に役立つ」という意味合いも込められていた。レーガンは「アメリカは世界の警察官である」ということを前面に出し「共産主義」や「人種差別」への反対など、世界に目を向けた哲学も多少は持ち合わせていた。「You're fired(お前はクビだ)」を売り物にした低俗番組「アプレンティス」の司会者・トランプと保安官が活躍する西部劇の俳優・レーガンの違いだろうか。
メキシコ人を「レイプ魔」と罵って国境に壁を作り、ハイチ人は「みなエイズ」、ハイチを「野外便所国家」と言い放った。昨年7月、民主党のオカシオ・コルテスなど非白人の女性下院議員たちに対して「(彼女たちはもともと)どうしようもなくひどい国からやって来た」「この国に文句ばかり言っているなら出て行け」と追い討ちをかけた。 7月17日に米ノースカロライナ州で開かれたトランプ陣営の選挙集会は、「送り返せ!」「送り返せ!」の罵声が鳴り止まず、異常な熱気に包まれていた。トランプが、ソマリア難民出身の民主党のオマール下院議員を「悪意をもって反ユダヤ的演説を行った」と非難すると、熱狂的な連呼が始まった。トランプが野党の非白人女性議員に対して、「もと居た国に帰ったらどうか」と批判していたのを踏まえての愚かな聴衆の反応である。これは「人種差別+女性蔑視」発言であり、自由・平等を基盤とするアメリカ国家の価値観に反する。
トランプの戦術は、理想化された「古き良きアメリカ」へのノスタルジアを掻き立てることである。その基本にあるのは
白人保守層の「ナショナリズム、人種差別主義、宗教的原理主義」であり、今日これを、「アメリカ第一主義、移民排斥、キリスト教福音派」に置き換えたのである。 
最近の報道によればトランプの司法介入が一段と露骨になり民主主義瓦解の方向に進みつつあると報じている。
2016年の大統領選でロシアが大統領選に介入したとされる疑惑で検察は当時トランプの選挙顧問であったR.ストーンに対し7~9年の禁固刑を求刑したのに対しトランプが「不公平でひどい」とツイートした結果、司法省は4人の検察官を首にし求刑を撤回、結局裁判所は3年4か月の禁固刑を言い渡した。司法長官は司法への介入であると非難したがトランプはこれを一蹴、「自分が司法の最高指揮者、関与する権利がある」として裁判のやり直し,恩赦迄示唆し三権分立、民主主義の破壊行為は止まるところを知らない。
一般的に町のゴロツキは弱者や無抵抗な人間には至って強いが、敢然と刃向い、抵抗する相手には弱腰なものだがトランプも全く同じである。
メキシコに知性派の大統領が就任した途端メキシコの壁建設要求を取り下げ自分で建設すると言い始めたし、北朝鮮との罵りあい・チキンレースもトランプの完敗である。当初「ちびのロケットマン」と上から目線で臨んだが金正恩からトランプに対し「米国の老いぼれ狂人を必ず火で罰するであろう」とバッサリ切って捨てられ、北朝鮮は太平洋上での水爆実験の可能性まで言及したところで勝負有った、トランプは板門店迄出かける羽目に陥ってしまった。北朝鮮は着々と核保有の充実を図っており「正恩氏は優れた能力を持ち賢い」と迄言い切った。ロシアのプーチンに対しては「世界の第一線のリーダー」と持ち上げ、習近平はとても尊敬され毛沢東以上と迄述べている。その中国との貿易戦争も習近平の粘り腰に会い一進一退、互いに譲歩を余儀なくされており、がっぷり4っつに組んだままの体力勝負になっている。民主党大統領候補に出馬する富豪のブルンバーグ前ニューヨーク市長に対して「とても小さい、彼は討論で上に乗るための台が欲しいそうだ」とからかったが、ブルームバーグから「トランプは病的なうそつきだ。偽の髪、肥満度、スプレーで塗った日焼け肌など、何もかもうそだらけだ」と反撃を受けるとプッツリ口を閉ざしてしまった。
こういった中で、一番御し易い相手と踏んでる節があるのが日本の破茶滅茶総理。トランプが身の程も弁えずノーベル平和賞を欲しがっていたことは周知の事実だ。オバマがもらったのだから、金正恩とトップ会談をした自分がもらえないわけがないと考え、「自分に媚びへつらう男」破茶滅茶総理に推薦を頼んだのである。  日本政府の広報紙、読売・産経系メディアが言う「シンゾー=ドナルド」(オトモダチ関係)は、ただの虚像だ。破茶滅茶総理はトランプからなんでも言うことを聞く“茶坊主”と思われているに過ぎないのだ。 必要もない、役にも立たない兵器を法外な高値で兆円単位で買わされている。日本訪問の際は国賓として初めて天皇陛下に拝謁し、やれゴルフだ相撲だと下にも置かぬ歓待ぶりだったが途中立ち寄ったハワイでは日本では騙されないぞとの意味を込め「リメンバー・パールハーバー」とツイートし終始横柄に振舞った。これこそ日本の主権を牛耳る植民地宗主国の長として、その主従関係をこれ見よがしに見せつけるものだったと言えるだろう。一方破茶滅茶総理は、必死になって、トランプの“茶坊主”であることを日本国民に隠そうとする。昨年妥結した日米FTA交渉を恥ずかしげもなく「ウインウイン」などと言い張る。情けない限りである。
トランプは「フェイクな魔女狩り、モラーの捜査詐欺、不当な大統領弾劾などに反して、経済、雇用、軍隊、退役軍人、銃保持権利などもろもろを考えれば、オレの支持率は70%ぐらいはあるぞ。さあ、どうする?」と恐怖のツイートをしている。

 

破茶滅茶総理に続く

破落戸(ゴロツキ)大統領vs破茶滅茶総理

2020年02月16日 | 国際政治
破落戸(ゴロツキ)大統領vs破茶滅茶総理

突然降って湧いたように日米両国に出現した、凡そ普通の尺度では測りきれない理解不能な日米両首脳,反知性主義といった簡単な表現では片づけられないような、異次元人間と言うべきだろうか。曽て我々が経験したことの無いような言動で世界の度肝を抜いている。
マインド・コントロールされてしまった一部支持者を除いて、多くの正常な神経の持ち主は、言葉を失い唖然・憮然・茫然自失に陥るか或いは先行きを悲観して一種ヒステリー症状を呈している。
この両者に共通する特性は数多いが、中でも「無恥」「無知」「虚言癖」「幼児性」「強欲・自分1st」「自己顕示欲・自惚れ」、数え上げたらきりが無い。この様なまるで自己抑制の効かない奇妙・奇天烈な人間が国のトップに居座り、選挙で多数を取れば、何をしても許されると勘違いして、強権を振るい始めた為、日本も世界も大多数の人間が右往左往の大混乱に陥っている。
 米紙ワシントン・ポストによれば、トランプが大統領に就任してからの2年間で、虚偽の発言や誤解を招く主張が計8158回、2年目に入ってペースが上がり、1日平均16・5回、選挙が近づくとそれがエスカレートする。
曰く「大統領就任式の参加者数は過去最大だ!」に始まり「500万人の不法移民がクリントンに投票した!」「米経済は史上最も好調だ」「民主党は犯罪者の集まりだ」、「神が見降ろしてこう言ってくださった。『あなたの演説で雨は降らせない』。実際、話し始めると......本当の話だが、雨がすぐに止んだのだ。あれは本当に素晴らしかった。その後、空は晴れ渡り、演説を終えて立ち去ると大雨になった」(実際は演説が始まると雨は降り始めた)。
自分の美化と政敵攻撃、事実の捏造が中心で止まるところを知らない。正常な神経の持ち主であれば虚偽を指摘されれば主張を取り下げるか、訂正するがトランプの場合は、延々と繰り返す。過去の発言と食い違っていると指摘されても一向に恥じるところが無く修正することなどあり得ない。  専門家の中には同じ文言を何度も繰り返していると、そのうち事実とは関係なく「真実」として受け入れられ始める。こうした「真理の錯誤効果」をトランプ大統領は利用しようとしているようだと言うが、もしこれが真実ならトランプは天才的な詐欺師であろう。
トランプが大統領に当選し。英国がEU離脱を決めた2016年、世界はポスト・ツゥルース(脱真実)の時代に入ったと言われている。世論形成に於いては真実よりもイデオロギーやアィデンティティー、政治信条更には個人の感情が重視され影響力を持つ状況、事実を軽視する社会の出現である。
「Post‐Truth」 の著作のある米哲学者は、家族や帰属する集団から孤立するのを恐れ「敵が話す真実」より「味方の嘘」を好む,或いは同調する人は三人に一人はいると述べている。トランプや安倍の支持率が絶えず3割超を維持している理由はある程度頷ける。公文書の改竄は日米で大きな問題になっているが、真実をコントロールすることは独裁に通ずることは歴史が物語っている。無知・無能・軽薄・無教養・依怙贔屓・エゴイズム・嘘言癖、トランプを信奉する日本の首相は独裁政治を通じていつか来た道を辿ろうとしているかに見えて誠に気が重い。 
 
この項続く

C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)-2

2020年01月31日 | 国際政治
C.Gone With the Wind(カルロス・ゴーン風と共にさりぬ!)…(3)-2

元検察官の郷原弁護士がゴーンが海外逃亡を決意した理由を聞き出している。
それによると『有価証券報告書虚偽記載事件の審理は4月にスタートし、ゴーンだけの特別背任事件については、当初今年9月から審理に入る計画を立てられていたが、検察側の意向で、特別背任事件の審理開始は21年か22年になったと裁判官から告げられ、前会長は「検察の審理引き伸ばし作戦で、迅速な裁判を受けられず絶望した」。更に妻のキャロル容疑者は特別背任事件の証拠隠滅を図った疑いがあるとして、原則妻との接触禁止がゴーンの保釈条件となっていたが、裁判官からは、「少なくとも特別背任事件の審理が始まるまでは接触禁止が続く」と言われ、逃亡するしかないと決めた』と述べている。検察の旧態依然の裁判引き伸ばしによる人権無視、精神的拷問による人質司法に対する不信と、このままでは「獄中死」もあり得るとの絶望感が、危険をも顧みず違法な逃亡に走らせたのである。この話の真偽は裁判官或いは担当弁護士から聴取すれば簡単に明らかになることであり、ほぼ間違い無いと思われる。
国策捜査や一部の検察官の野望が暴走に繋がった小沢一郎氏の陸山会事件や堀江貴文氏のライブドア事件は飽く迄国内問題に過ぎなかったが、今回は世界的に有名なカリスマ経営者の事件であった為、特に日本の旧態依然たる人権無視の人質司法に世界中の耳目を集める国際案件となった。この儘放置しゴーンに言われ放しの状態では、国益を損なう・あらゆる言語で日本の正当性を発信せよという様な無責任な外野席の大きな声に押され法務省は1月22日法務省ホームページに14項目からなるQ&A形式の反論文書を発表した。しかしそのQ&A は殆ど反論になっておらず、ゴーンの攻勢の前に押され放しの状態になっている。
例えば、Q-3「日本の刑事司法は『人質司法』では無いですか」、A-3「日本の刑事司法制度は身柄拘束によって自白を強要するものになっておらず、人質司法との批判は当たりません。 (逮捕や拘束は独立した機関である裁判官が行うので恣意性が無いと強調しているが、裁判官の審査は形式的でほぼフリーパスという実態面は全く無視されており、言い逃れ・責任回避の姿勢が丸見えである。長期勾留という心理的拷問に耐えかねて検察がでっち上げた自白調書にサインしてしまったと告白する冤罪被疑者が多いことには頬被りである)」。このQ&A の第一印象は菅官房長官の木で鼻を括った様な記者会見と全く同様で相手に理解して貰おうとの視点が全く欠けている。ネットで公開された神尾尊礼弁護士のコメントでも制度面の話がほとんどで、実際の取調べの状況や否認した場合の不利益といった実態面への言及が殆ど無い。「人質司法の定義がこうだから違う」といった言葉遊び、制度の説明ではなく、実際にどう拘束されているのか、どの程度弁護人が関与できているのか、自白した場合と否認した場合とで取扱いがどのくらい違うのか、人権保護等の法律の理念に則ったものになっているのかを説明しなければ一旦火がついた内外の不信感を払拭することにはならないと説明している。実態面の説明をすれば人質司法を暴露することになる為、出来ないというのが正直な処であろう。
ゴーンの逃亡劇に関し弁護士ドットコム(株)が弁護士へアンケートを実施し、120人から得た結果が公表されている。これによるとゴーンが「1日8時間も取り調べを受け、弁護士も同席できなかった」などと主張していた「人質司法」については、『50.8%が「納得できる」、22.5%が「多少納得できる」と計7割以上が理解を示した。「あまり納得できない」は10.8%、「納得できない」は15.8%だった。』  
一方ゴーンが「日本から逃亡した理由」として、「非人道的な扱いを受け、私自身と家族を守るためには、選択肢がなかった」との趣旨の発言をしていることについては、『「納得できない」が42.5%で最多。「あまり納得できない」の16.7%と合わせると、6割近くが否定的だった。「多少納得できる」21.7%、「納得できる」19.2%だった。』
自由記入欄にはゴーンに対する非難として「保釈中に密出国した人間が何を言っても説得力を持ちにくい」、「有罪判決になる可能性が高いと判断したからこそ、金に物を言わせて逃亡したとしか評価できない」「人質司法は改善すべきだが、議論のすり替えに過ぎない。人質司法かどうかは関係がない」などの声があった。
一方司法に対しては「妻との接触を禁じるなど異常な条件は断じて付すべきではなかった。遺憾ながら世界の世論はゴーン氏の肩を持つであろう」「保釈制度の根底には無罪推定という、あまりにも大切な原則があるのに、無実でも否認すれば勾留が続く、世間からは『犯罪者なんだからしょうがない』と言われるのが現実だと日々嘆いている」「刑事弁護を多く扱う弁護士の1人として日本の刑事司法に対する絶望感は日常的に感じている」などの強い批判が目立った。又森雅子法務大臣が記者会見で「無罪を証明すべき」と発言し、後に訂正したことについても、「全世界に恥をさらしてしまった」「為政者の本音を物語っている」などのコメントがあった。
さらに、マスメディアの報道についても、「検察リークと、海外報道の恣意的な翻訳や意図的?な誤訳で一方的立場に都合のよい内容が報道されているのは、日本の世論形成に関して危惧される」、「日本のマスコミが、ゴーン批判で全てを終わらせようとしている論調であることに違和感と危機を感じる」などの指摘が出た。
この両極端に別れたアンケート結果から読み取れる事はヤメ検の多くが弁護士登録をして居り、彼等の中には未だに自分達が所属していた検察という組織、或いは自分達個人の検察官が行ってきた取調べ等に対し反省の色が全く無い弁護士が多数居るという実態である。ゴーンを弁護することは自分の役人人生を全否定することに繋がると考えるのはやむを得ないことかも知れないし、未だに検察組織と繋がりのあるヤメ検も居るだろうことは想像に難くない。
共同通信の報道によると、ゴーン被告人は郷原信郎弁護士(元検事)に対し、解雇した最初の「弁護人」から『早く(拘置所から)出たければ(罪状を)認めるしかない。今は自白して、裁判で「早く出たかったから自白した」と言って、ひっくり返せばいい』などとアドバイスを受けていたが、自分はそんなことは信じないし「やってないことは自白しない」と言った。この弁護人はルノーから紹介サれた大鶴基成元次席検事と考えられるが、彼のアドバイスは「驚きだらけだった」と語ったという。
身柄解放という強い誘惑に負けて、不本意な自白という<毒薬>に手を出さず大鶴弁護士を解雇したのはひとまず冤罪の泥沼に嵌まり込む危険を回避したという意味で正解だったとコメントする弁護士が多い。
かって村木厚子厚労省局長を犯人に仕立て上げる為、検察ストーリーを作りそれに合うよう「関係者の証言調書の捏造やフロッピーデイスクの日付の改竄」まで手を染めた有名な冤罪事件では大阪地検特捜トップが逮捕される不祥事にまで発展したが、当時弘中弁護士の強いサポートで村木氏が164日の長期勾留にもめげず徹底して「ニュアンスの変えられた自白調書」へのサインを拒否し、裁判で検察主張の矛盾点を突いて逮捕から454日目に無罪判決を勝ち取っている。「5年前も前の出来事で誰もが自分の記憶に自信がない中、脅しや嘘を巧みに使い検察に都合のいい調書が作られていったのだ。」「取調室ではアマチュアのボクサーがプロボクサーと殴り合っているようなもの」と村木厚子氏の有名な話が残されている。
兎に角、自白をした後で、これを「ひっくり返す」ことなど極めて難しい。捜査段階で自白していた被告人が、刑事裁判で否認すると、検察官は、被告人が捜査段階の自白調書を証拠として請求してくる。弁護人としては、この自白調書が「任意性がなかった」自白であるとして、この自白調書を証拠として採用することに反対して争わなければならなくなるが、捜査官に強制されたという様なことを立証するにはこっそり隠れて録音でもしていなければ先ず不可能で、一種悪魔の証明に近い。又自白調書にサインする際には日本では取り調べに弁護士立会いが認められていない為、プロの検事が何らかの罠を仕掛けていても素人の被告人がこれを見破ることは先ず不可能である。裁判ではその微妙な点がポイントとなって争われることが多々あると言われている。(役人が責任回避のため微妙な言い回しをする技術に長けて居ることはよく知られている。)
通常裁判官は「公判での否認」よりも「捜査段階の自白」の方を信用性があると認めるケースが殆どだと言われて居り裁判で自白を覆すことは不可能に近いのである。
保釈中にゴーンと面談した外国人初の読売新聞記者となり現在米国の調査報道記者として活躍するJ.エーデルスタイン氏は 『ゴーンから自分が無罪を勝ち取る可能性を聞かれた時、皆無に近い」と答え日本の検察がメンツを守る為「勝利至上主義」、「検事は正義よりも勝ち負けが重要。不利な証拠はあっても見ない」と話すと、ゴーン被告は少し顔色が白くなり、恐れていた事に確信を得たかのような反応をした。彼はゴーンに日本の冤罪事件の事例を話し又元検事が冤罪を作り出した懺悔を書いた「検事失格」という本を手渡した』と伝えている。
研究熱心なゴーンが日本の司法制度に不信感持つ材料は揃っていたのである。
大鶴弁護士が自白を勧めたのは検察を最もよく知る人間として正面から争ってもゴーンに殆ど勝ち目がないと感じていたのと自白しなければ保釈は難しいと睨んでいたからだろうと推測される

事件当日の深夜、森法相と共に東京地検の斎藤隆博次席検事がゴーンが主張する国策捜査や人質司法に対する反論を行ったが、この検事こそ2009年の小沢冤罪事件担当検事の生き残りであり、さらにゴーンに解雇された大鶴基成弁護士は当時の次席検事として冤罪事件を主導した主犯格だったと言われている。何という皮肉なことか、10年前に日本の進路を捻じ曲げた小沢冤罪事件の責任者が再び蘇り、ゴーン事件のマッチとポンプの役割を演じて居たのである。
この東京地検特捜部の冤罪事件は日本の大改革と言う国民の大きな期待を背負って立ち上がった小沢氏を中心とする民主党政権を瓦解させたと言う点で上述の村木厚子氏の冤罪事件より遥かに社会的責任が大きかったが、検察上層部まで関わっていた為か誰が考えても納得出来ない様な屁理屈をつけ、逮捕者も出さずに有耶無耶の内に収束した。当時法務大臣は指揮権発動をして処分をやり直させようとしたが、当時の民主党の無能な野田首相の判断で法務大臣を罷免してしまった為、全てが闇に葬られる結果となった。…(注)
この無責任な野田の行為によって日本の民主主義への改革が完全に後戻りし、小沢冤罪事件の中心的役割を演じた斎藤隆博次席検事は、その御蔭で今だに検察中枢で生き残る事が出来、日本の司法を代表する場に臆面もなく登場してくるのである。斎藤隆博次席検事は法務大臣と共に会見の場でゴーンが主張する人質司法に対し、「日本では勾留は捜査機関から独立した裁判所による審査を経て行われ、証拠隠滅や逃亡のおそれなどがある場合に限って認められる。又保釈も、裁判所が判断します。こういう日本の刑事司法に対し、人質司法だとか人権が保障されていないといった批判は当たらない。」と反論している。しかし自分も含め検察官が行ってきた取り調べ手法を無視しこんな綺麗事をよくも言えるものだとあきれる他は無い。
実態は検察ストーリーに沿った自白をしない限り証拠隠滅、逃亡の恐れ有りとして勾留を請求すれば殆どフリーパスで認められるのが実情で「長期勾留、人質司法」非難の根拠になっているのである。この様な実態とかけ離れた杓子定規な釈明を繰り返すことは却って世界の不信感を増幅し逆効果になることが分からないのだろうか。
『「不合理で事実に反している」「自白を強要していないことは明白」などと幾ら強調しても小沢事件への反省・総括が無いままの人間の発言が信用できるのかと思われてしまうのは、ある意味仕方がない。逃亡者ゴーン被告をかばうつもりはないが、過去の強引な捜査手法をきちんと反省しない特捜部もまた問題なのだ。』という元検事の落合洋司弁護士の発言が多くの共感を得る的を射た感想だろう。
逃亡を許した途端、急に慌ててキャロル夫人を国際手配したことで、全世界に「日本の捜査機関は好きな時に好きな罪状をつくれるんだ」と印象付けたことは間違いない。
ゴーンは「日本にいる全外国人に『気をつけろ』と警告すること──それこそが私の責任だ」と述べているが、この発言こそ、「日本で働く外国人に対し日本の居住環境を含め日本全体のイメージダウンに繋がる恐れがある」と言う点で非常に危険だと言える。
更に30日には斎藤次席検事が入管法違反容疑でゴーンの逮捕状を取ったと発表し、その理由として「ゴーンの主張によって日本の司法制度がおかしいと(世界に)認知され逃走が正しいとの誤解を生じさせない必要がある」と述べている。しかしゴーンの逃亡劇は「日本の人質司法の下では已むを得ない点もある」という程度の同情の声があっても、法的に正しいなどと考える者は殆ど居ないであろう。しかもゴーンの逃亡の責任は検察の反対を押し切って保釈した裁判所にあるような言動を繰り返し、最近では逃走を手助けした米国籍の3人の男性の逮捕状もとったが彼等はゴーンの弁護人だった弘中弁護士事務所でゴーンと数回に亘り面談を繰り返したと強調、弁護人が逃亡を手助けをしたと言わんばかりの印象操作を行っている。御用メデイアを使ったリーク情報による印象操作は未だに重要な捜査手法の一つであり彼等の一種性癖に近い物になっているかの様である。尚逃亡を許したの出入国管理の手抜かりと検察の監視の甘さにあり、明らかに検察の責任であって保釈を認めた裁判所や弘中弁護士には全く関係のない話で、他人には厳しいが自分達には甘く保身に汲々とする検察官の本質をよく表している。
今後書籍や映画を通じてゴーンの攻撃がエスカレートすることは間違いない。今や情報は瞬時に世界を駆け巡る。発信力に疑問の残る法務大臣や旧態依然たる法務官僚が実態とかけ離れた綺麗事を並べても事態の改善どころか逆に世界の不信を増幅させるだけではなかろうか。
日本の検察は自白(供述証拠)を重視し、それを真相解明のモデルにしてきた。取り調べの場に弁護人の立ち合いを認めた場合、説得と称して脅迫する等の非人道的な取り調べや自白調書へのサインも弁護士の事前チェックが入り制限され、思い通りの取り調べが進められなくなる。 法務・検察は従来型の「検察ストーリーに沿った自白の強要」や「風を吹かす(リーク)捜査手法」は最早世界に通用しなくなって居り、一刻も早く世界標準に近づくことが世界の信頼を得、国益を守ることになると知るべきだ。今の先進国の人権を考慮した刑事司法の考え方は、推定無罪の前提に立ち、取り調べは言い分を聞くための場であり、有罪の証拠を得るための手続きではないことを知るべきだろう。
ゴーンの金融商品取引法違反事件で、検察は当時の西川広人社長をその事実を知らなかったと考えられないような理由で訴追せず、検察審査会も「不起訴相当」と議決したこともあって、世界では徐々にこの事件は日産の日本人経営陣と経産省と検察とが結託して日産を救ったカリスマ経営者を日産自動車から追放し、さらに犯罪者として葬ろうとした「異常な出来事」であるとの見方が広まりつつあるようだ。
ゴーンの強欲と犯罪とは別次元の話、切り分けて論じる必要があることを肝に命じて置くべきだろう。
(注)この冤罪事件についてはブログ2016-11-16付け「日本の民主主義「9」マスメデイアと特捜検察」で詳述している。



戦争責任(10)…太平洋戦争の原因は日本の中国侵略にあり…(6)

2019年10月01日 | 国際政治
戦争責任(10)…太平洋戦争の原因は日本の中国侵略にあり…(6)
        ……日米開戦を進め亡国への道を走らせ者達

初代宮内庁長官・田島道治が昭和天皇とのやり取りを克明に記した「拝謁記」の一部が公開され社会に大きな衝撃を与えた。そこには人間天皇として日中戦争、太平洋戦争に対する責任や後悔、反省、苦悩の念が赤裸々に綴られていたのである。
天皇家、とりわけ昭和天皇の不幸は明治維新の時に始まっていたと言える。維新の中心勢力長州勢は倒幕や維新政府の政策遂行に天皇の威信を悪用した。戦争責任(2)で触れた通り討幕派の志士は、尊王は建前だけで、天皇のことを将棋の「玉」と隠語で呼び、政権奪取の道具としてしか見ていなかったことが記録に残っている。更には太平洋戦争中、軍の将校達も天皇を「天さん」などと決して敬称では呼んでいなかった事がNHKスペシャルの映像記録で明らかになっている。そもそも長い天皇家の歴史の中で親政を行った天皇は極少数、短期間であった。維新政府も国政上の重要事項すべてについて天皇が最終的決定権を持つとする国家の意思決定システム「万機親裁」を謳っていたが、それは形式上のことで政治は薩長藩閥が行うことを前提にしており、親政を認めるつもりなど毛頭無かったのである。
「拝謁記」の中で太平洋戦争への後悔として、「軍部を暴走させ無謀な太平洋戦争に走らせたのは、張作霖爆殺事件の処罰を曖昧にしたこと」を挙げて居られる。当時元老西園寺公望は犯人が関東軍参謀河本大佐であることを察知し、田中首相に対して断乎たる処罰を行うよう勧告、「仔細を明確にし、軍規を正せ」との天皇の言葉も踏まえ、田中首相も犯人を厳罰に処する方針を奏上していたが、閣内や陸軍の圧力に敗れ、有耶無耶にしてしまった。激怒した天皇は西園寺の反対を押し切って田中首相が事件の最終報告を奏上に来た席で(牧野内大臣・一木宮内大臣・鈴木貫太郎侍従長)を同席させ、田中首相を問責し釈明のための拝謁を拒絶された為、田中内閣は総辞職した。しかし関東軍は事件を公表せず犯人河本大佐を満鉄理事に就任させる等、この田中首相の情実がらみの処置が「国策上良かれとしてやったことで、裁かれる理由は無い」という傲慢な考えを陸軍内に定着させ以降暴走の原因となった。
更に大きな問題は元老西園寺が昭和天皇に「立憲君主は国政に関し決定的な発言をすべきで無い。」と天皇に釘を刺した為、以降天皇は国政や外交に関し明確な発言をされなく成り、昭和天皇の戦争反対・平和主義の意向が無視されて行くことになった。
西園寺は維新の際、同じ公家の岩倉具視 に取り上げられ、伊藤博文の腹心であったことから天皇親政は認めず、「君臨すれども統治せず」の薩長藩閥政治の基本精神を貫こうとしたのである。この事件で軍や政府内の強硬派は牧野ら宮中グループに対する反感を強め、昭和天皇は宮中グループに左右される弱い存在であるという認識が持たれるようになった。西園寺は、軍部の風当たりを避ける為、次第に事件処理問題から距離を取りこれを境に陸軍暴走に歯止めが効かなくなった。山縣元老と共に西園寺元老の責任も極めて重いと言わねばならない。言葉は悪いが維新政府にとって傀儡としての存在意義しか認めていなかった天皇に戦争責任など問いようもない。山縣に取立てられ男爵にまで昇りつめた田中義一はその優柔不断により陸軍暴走の火種を作ったがその病没により幕末期より勢力を保ち続けた長州閥の流れは完全に途絶え、出世・栄達の近道として職業軍人を目指す士官学校出のエリート軍事官僚・実戦経験の乏しい学力偏重の軍人達に移る事となった。東条のように学業成績は良かったと言うだけで、政治家に求められる大局観や洞察力の欠如した無能極まりない多くの軍人官僚が、天皇や日本政府、国際条約等も無視し「巨額の国家予算や徴兵制によって無理矢理集められた民間人兵士の人命」を湯水のように使って爵位取得等自己の栄達に目が眩んで国家滅亡への道を直走ることになった。1938年公布の国家総動員法の第一条には、「戦時国防目的達成ノ為、人的及物的資源ヲ統制運用スル」と謳い国民を資源扱いしている。
上記「拝謁記」、「昭和天皇独白録」その他昭和天皇や太平洋戦争に関する書籍を読むと、実質的に日本の行政を担い、憲法上もその責めを負うべき首相・国務大臣・統帥部に如何に人材を欠いていたと言う事が日本にとって大きな悲劇であったことが分かる。作家・保坂正康氏は対米敗戦の原因は日米国力の差が10倍以上という物量の差ばかりが指摘されるが,むしろ決定的なのは日米軍人の能力の差だと述べている。鋭い指摘である。

戦争責任者を特定することは中々の難事であるが軍人・政治家の内、“日米開戦責任”が重いと思う順番に列挙すると私見ではあるが下記の通りである。
① 東條英機(陸相・首相) ②松岡洋祐(外相) ③近衛文麿(首相) ④杉山元(参謀本部総長) ⑤永野修身(軍令部総長) ⑥木戸幸一(内大臣) ⑦伏見宮博恭王(軍令部総長) 
⑧ 嶋田繁太郎(海相) ⑨大島浩(独大使)⑩白鳥敏夫(伊大使) ⑪ 田中新一服部卓四郎―辻正信
 ⑫その他荒木貞夫―真崎甚三郎

① 東條英機 
*→ 満洲事変、日中戦争(シナ事変)、太平洋戦争に至る過程において、無能なるが故に自らの存在感を示すために極端な強硬論を唱え陸軍内を扇動した罪は極めて重い。昭和3年(1928年)中佐時代、一夕会の前身木曜会の研究会の締め括りで「日本民族生存と人口問題解決の為満蒙を取得する。これにより日ソ戦を引き起こすがその時中国を兵站として活用し、アメリカとの戦争準備も行う。」と既に戦闘モードで、そこには中国侵略や戦争に対する罪悪感の欠片も見られない。
*→ 1940年(昭15)ヒトラーの術中に嵌り米国を激怒させた「日・独・伊三国同盟」締結も東條が陸軍次官当時、外務大臣の反対を押し切って親独派の大島・白鳥を駐独・駐伊大使に任命、陸軍の同盟締結方針の足固めを行った。
近衛はこれに反対し退陣、平沼・安倍に続き昭和天皇意中の海軍の良識派として知られる「米内光政(海軍大将)内閣」が成立、この内閣では同盟は米国との戦争に繋がるとして畑陸相を含め閣僚全員が反対であった。そこで武藤軍務局長を使って陸相辞任を画策し、軍部大臣現役武官制を悪用、後任大臣を拒否して内閣を流産させたのである。続く第2次近衛内閣では東條自らが陸相に、野心家の松岡が外相に就任、最悪の内閣となった。仏の対独敗北により同盟締結論が盛り返し陸軍嫌いであった松岡が首相就任を夢見て陸軍に迎合し同盟を成立させてしまった。東條等同盟推進者が考えた同盟締結による効果・メリットは何もなく対英米関係悪化を齎すだけに終わったのである。
*→ 更に陸相時代に「支那事変の解決が遅延するのは支那側に英米とソ連の支援があるからで、事変の根本解決のためには、北方に対してはソ連を、南方に対しては英米との戦争を決意し準備しなければならない」との東條の主張が新聞に報道され、近衛内閣の開戦強硬姿勢が世界に知れ渡った。アメリカから突き付けられた和平案検討会議で日米衝突を回避しようと近衛文麿首相が示した妥協案に「中国での駐兵は心臓である。色々な譲歩に加え、心臓まで譲る必要はない。それ程の譲歩では外交ではなく降伏であり断固として受けられない」「清水の舞台から飛び降りろ」。この様ないちかばちかの恫喝まがいの発言で、近衛を窮地に追い込み退陣させて仕舞った。しかし陸相東條の強硬姿勢は天皇から首相就任を言われた途端、180度方針転換し、天皇の意向に沿った和平案を主張し始め、今迄の国策の全面見直しを下命した。しかしこれは自己の栄達の為に取った上辺だけの行動であり、東條が首相になれば軍部を抑えてくれるだろうと言う天皇や木戸内大臣の期待は東条の本質を見抜いていない浅慮であったとおもわれる。アメリカは東條を信頼していなかった。
*→ 東條の罪過の一つは、恐怖政治と人事権の乱用である。その恐怖政治は憲兵を用いて一般民衆まで含め監視し恫喝・投獄するという独裁・恐怖政治的な手法をとり、何も言えない監視社会を作ってしまったことである。更に自分を批判した将官を要職から外し、戦死する確率の高い第一線の指揮官に送ったり、わざわざ(兵役徴集年齢)引き上げ法案を作って気に食わない高齢者の官僚等に対し「懲罰召集」を行う等など、兼務していた陸軍大臣の権限を最大限悪用し、私情による強権的な政治手法を用いた。片や自分の周りに耳障りな発言はしないような人物ばかりを集め重用した為、「東條の三奸四愚」等と称される様な曰く付きの人間が集まった。東條の腰巾着と称された富永恭次 (陸軍中将)は東條の陸軍大学・教官時代の教え子で、東條陸相時代に仏印進駐の責任問題で他の2人の将官が予備役編入されたが、富永だけは半年後に人事局長に栄転し陸軍次官も兼任、その後フィリピンで特攻指令を下し、自らも特攻に参加すると訓示しながらも、自身は胃潰瘍を理由に台湾島へ移動して温泉で英気を養うなど、帝国陸軍最低の将官との評価を受けている。
更に東條に繋がる牟田口廉也司令官、日中戦争拡大の端緒を作ったという汚名の名誉回復の為、直属の上官や現地参謀、師団長の反対にも拘らず、東條に懇願し兵站を軽視した無謀なインパール作戦を強行、3万人に昇る戦死者を出した。本人は戦線から4百キロも離れた保養地から前進あるのみの指令を次々出し「白骨街道」という修羅場を作っても「弱腰の師団長が悪い、彼らの無能が原因」と言い続け、戦後も含め自己弁護ばかりで反省の弁は一切なかった。もう一人、海軍内で東條の「男娼」と呼ばれた嶋田繁太郎、常に東條の顔色を窺い東条の嫌う不利な情報を一切上げず資料の改竄や粉飾を平気で行い、東条内閣の海軍大臣に取立てられた。今の政界・官僚の世界と変わりない光景である。
*→ 東條はロクな実戦経験がなかった事もあり、精神論が多かった。リーダーに必須の大局観が無いため、戦争の行く末に関して具体的なビジョンや指針を示すことが出来ず、代替案を提示することもなかった。「当面の最大の課題は、戦争に勝つこと、それに集中する」「勝つまでやる」と繰り返し強調するだけの無能な軍人であった。昭和16年(1941年)その精神論重視は悪名高き「戦陣訓」生み出した。有名な「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残す勿れ」の一文は降伏し捕虜になることを明確に否定しており、自決等多くの兵士の無駄死に繋がった。「神州不滅』「一億玉砕」等のスローガンの下アッツ島守備隊2650人が略全滅、グアム、サイパン、硫黄島、沖縄と壮烈な戦死者が続いた。
しかし東條自身は戦後、自決に失敗し思いっきり虜囚の辱めを受けた。軍人の最高位をきわめた陸軍大将が、商売道具のピストルを射ち損じ、敵の縄目にかかって世界にその醜態をさらした。戦陣訓は兵士には強要されたが指導部は別格だ、一事が万事これが昭和陸軍の実態である。更に捕虜扱いについても「日露戦争の時は文明国として認知して貰う為,捕虜優遇策をとったが今はその必要が無い、労力として活用しろ」と条約違反を訓示、泰面鉄道建設現場等各地で多くの捕虜の死者を出し司令官や現場責任者が戦後BC級戦犯として920人が処刑された。(勿論戦勝国ソ連の日本人将兵シベリヤ抑留も国際法違反であり糾弾されるべきこと当然である。)
*→ 日米開戦前の和平交渉で提示された「ハルノート」を見てドイツ信奉者の東條は「開戦しかない、特に三国同盟の破棄は国際信義にもとる」として拒否反応を示したが、ドイツ信奉者の東條には彼等の信義を無視した身勝手な行動には何ら疑問を抱かなかった。ドイツがソ連と交戦を始めた時点で、更には真珠湾攻撃の直前にドイツの対ソ戦敗北の情報が伝わっており、これらの時点で全てを見直すべきだったのである。しかも「ハルノート」は「Tentative and without commitment」 (暫定的かつコミットメント無し)と記載されており、最後通牒では決して無く、その容も十分受け入れ可能、少なくも交渉余地のある内容であったが東條始め陸海反米派には早期開戦しか頭に無かったのである。「日本が勝手に始めた日中戦争で20万人の死者を出した、従って撤兵出来ない」彼等の勝手なエゴイズムが日本を破滅の道へ導いたのである。
*→テロリスト・自爆テロのモデルとなった特攻隊。昭和19年(1944年)6月,サイパン等マリアナ諸島が米軍の手に落ち日本の敗色濃厚・本土空襲が現実味を帯びて来たため起死回生策検討の御前会議が開催された。席上「伏見の宮海軍元帥」から戦況悪化の対策として特殊な兵器を迅速に使用することが必要との発言を受け、海軍は新兵器を考究中(体当り戦闘機)と回答、陸相・参謀総長の資格で出席していた東條は陸軍では風船爆弾3万個をアメリカに飛ばす案,他にも研究中と回答した。東條は7月には海軍を真似て陸軍の特攻隊編成を指示している。上記腰巾着富永のフィリピンでの特攻指令は東條首相が参謀総長として決定したものに従ったものである。兵隊を人間ではなく戦闘人形としか考えず無駄死にさせた東條始め高級参謀達はまこと万死に値する。米国は1945年7月マンハッタン計画により世界で初めて原爆実験を成功させていた。
*→ 東條の出陣学徒への訓示抜粋「……諸君のその燃え上がる魂、その若き肉体、その清新なる血潮総てこれ、御国の大御宝なのである。この一切を大君の御為に捧げ奉るは皇国に生を享(う)けたる諸君の進むべきただひとつの途である。諸君が悠久の大義に生きる唯一の道なのである。諸君の門出の尊厳なる所以は、実にここに存するのである。」 無謀・無策な戦術で将兵不足に陥り学生迄駆集められた。漢詩等借り物の美辞麗句で大君の名を騙るアホ丸出しの演説である。全国で20~30万人の学生が学徒兵として徴兵され、特攻パイロットには意図的に学徒出陣組が充てられた。学徒兵として召集された朝鮮人は4385人、このうち640人が戦死 した。
*→ 真珠湾攻撃の直前、昭和天皇の要望により作成された「終戦構想」は(①極東の米英蘭の根拠地を殲滅し自存自衛体制を確立、②中国国民党政権の転覆 ③独伊との協力により英を屈服、米の継戦意欲を喪失させる)と云う幼稚極まりない希望的観測で出来ており、自らが戦争を終結させるという発想も意欲も無かった。
開戦時から近衛や山本五十六がこの戦争は長期化すれば負ける、多少とも有利な時に和平工作をすべきであると述べており,皇族の東久邇宮稔彦の和平工作開始の進言に対し東条は「この調子ならジャワ・スマトラは勿論、オーストラリアも容易に占領出来る」と言い放ち、憲兵隊を使って和平推進者の弾圧を行ったのである。
*→ 敗戦前年の4月、小磯内閣総辞職に伴い開かれた重臣会議の席上、多くの反対にも拘らず東条は戦争が愈々本土決戦に入るので後継首相は現役軍人が必要であると頑強に主張、そうでなければ若手将校が黙っていない、クーデターになると昔ながらの手法で重臣を脅迫しにかかった。日本が既に焦土化していた時点で何と言う発言だとたしなめられ、流石に実現しなかった。
終戦の日を15日に控えた12日の日本経済新聞は、終戦直前の数日前に東条元首相が書き残した手記が発見されたと報じた。同紙によると東条元首相は「その最後の一瞬においてなお帝国として持てる力を十二分に発揮することをなさず敵の宣伝政略の前に屈しこの結果を見るに至る」「国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ」と当時の指導者や国民を批判している。 また政府の降服について、「新爆弾におびえ、ソ連の参戦に腰をぬかし一部条件を付し在りといえども、全く『敗戦者』なりとの観念に立ちたる無条件降服を応諾せり」との印象は、敗戦状況に拍車をかけると警告している。  戦争の目的については、「東亜安定と自存自衛を全うすることは大東亜戦争の目的なり」と記し、「幾多将兵の犠牲国民の戦災犠牲もこの目的が曲りなりにも達成せられざるにおいては死にきれず」と書き残している。
東條の部下の多くが失敗の理由を「部下の無能」に責任転嫁したが、最後に彼らの親分・東條自らが敗戦の理由を国民の臆病に責任転嫁したのである。ここに昭和陸軍の実態が集約されている。
又広島・長崎に続いて大阪等大都市への原爆投下やソ連の北海道占領を許していたら如何なっていたか,東亜安定・自存自衛といった手前勝手な御託を並べて、竹槍で国民最後の一人迄戦えと言わんばかりの発言、このような愚かで自己名誉欲に凝り固まった情けない人物が日本のトップにいたことだけでも驚嘆すべき事である。
東條には開戦責任と同時に終戦責任も存在していたことがこの手記で明白になったのである。

戦争責任(10)…太平洋戦争の原因は日本の中国侵略にあり…(5)

2019年08月18日 | 国際政治

戦争責任(10)…太平洋戦争の原因は日本の中国侵略にあり…(5)
        ……日米開戦を進め亡国への道を走らせ者達

「諸君狂いたまえ」と言う吉田松陰の教えに沿って一時「狂介」に改名した程の松陰信奉者であった山縣有朋は松陰の覇権主義・植民地主義を推進する為に、日本を軍国主義国家に仕立て上げた。プロイセンのビスマルクに感銘を受け、藩閥政治を支える官僚制度と統帥権の独立を導入、更には治安維持法、天皇の神格化(国民統合の精神的中核としての現人神思想)、軍人勅諭、教育勅語等全てが軍国主義に繋がるものであった。
ビスマルクや山縣の衣鉢を継いだのは、ヒトラーや東条英機等といった一種狂的な軍人達であり、彼等がドイツ・日本を滅亡に向わせたという意味でビスマルク、山縣の罪は極めて重い。
太平洋戦争は満州事変が発端であるが、その間の事跡は下記の通りである。
…→1930年(昭5)浜口内閣がロンドン海軍軍縮会議で海軍の反対を押し切り条約調印、幣原外相協調外交、軍部・右翼・対外強硬派野党の立憲政友会から「天皇の統帥権干犯」非難、浜口首相が右翼の狙撃を受け退陣
…→1931年 第2次若槻内閣 満州事変(関東軍による柳条湖事件)、関東軍の暴走止められず幣原協調外交終焉 閣内不一致で総辞職、犬養内閣に 
…→1932年満州国建国宣言 5.15事件で犬養首相暗殺され内閣総辞職、斎藤内閣 
…→1933年国際連盟脱退    …→1934年斎藤内閣総辞職、岡田内閣   
…→1936年陸軍皇道派による2.26事件、岡田内閣総辞職、広田弘毅に組閣命令 日独防共協定締結 
…→1937年1月(広田内閣)閣内不一致で総辞職(寺内寿一陸軍大臣の幼稚な切腹論争が原因)、同月(宇垣内閣)流産(参謀本部石原・田中の軍部大臣現役武官制を悪用した策謀) (林銑十郎内閣)議会の賛同得られず総辞職、(第一次近衛内閣)成立、盧溝橋事件・支那事変(日中戦争)勃発 国際連盟日本非難決議 
…→1939年(平沼内閣)成立、ノモハン事件で日本大敗 独ソ不可侵条約締結(日本は広田内閣以降の親独政策の根拠消失)平沼内閣欧州情勢複雑怪奇として総辞職 (阿部内閣)成立、米国が日米通商航海条約破棄を通告 ドイツのポーランド侵攻(第二次世界大戦始まる)
…→1940年天皇の希望で親英米派・日独伊三国同盟反対論者の(米内光政内閣)成立 即時陸軍による倒閣運動開始(畑陸相辞任・後任者拒否) 7月(第2次近衛内閣)成立 日独伊三国同盟締結 北部仏印進駐(米英仏の中国援助ルート遮断目的) 米制裁として対日屑鉄・工業機械禁輸
…→1941年 日ソ中立条約締結(松岡外相調印) 南部仏印進駐(資源不足解消) 米国の対日制裁(在米日本資産全面凍結、石油の禁輸)英・オランダ同調、ドイツのソ連侵攻、松岡外相一転ソ連との参戦主張 松岡外しの為内閣総辞職、(第3次近衛内閣)成立・豊田海軍大将外相就任、近衛・米大統領に直接交渉を申し入れるも拒否される、 御前会議で帝国国策遂行要領決定(米と交渉するも10月下旬目途に対米戦争準備)、ゾルゲ事件に近衛の側近が関与・近衛退陣、10月(東条内閣)成立・東郷外務大臣、天皇・東条に組閣条件として国策遂行要領の白紙撤回を命じたが、東条は再検討に留める。11月26日ハル・ノート提示され、田中等陸軍参謀は、これを飲めば日本は満蒙の権益を失ってしまうので到底我慢できない。アメリカと戦えば長期戦になり勝ち目はほぼないが、ドイツ次第では万に一つの勝機があるかもしれないと軍幹部や東条政府の鼻ずらを引き回した。12月8日陸軍マレー半島、海軍真珠湾奇襲攻撃、米英に宣戦布告…→太平洋戦争

太平洋戦争の原因を作った満州事変の責任者
1931年6月、建川美次参謀本部第二部長を委員長とし、陸軍省の永田鉄山軍務局軍事課長、岡村寧次人事局補任課長、参謀本部の山脇正隆編制課長、渡久雄欧米課長、重藤千秋支那課長からなる、五課長会議が発足し、一年後をめどに満蒙で武力行使をおこなう旨の「満洲問題解決方針の大綱」を決定した。8月には山脇に代わり東条英機編制課長が入り、今村均参謀本部作戦課長と磯谷廉介教育総監部第二課長が加わって、七課長会議となった。陸軍中央部では永田鉄山、鈴木貞一、関東軍では石原莞爾、板垣征四郎によって満洲事変の準備が整えられ、一夕会系幕僚が陸軍中央、内閣を引きずって満洲事変を推進していった。
満州事変直前に、奉天総領事からの電報で軍事行動発生の情報を得た外務省が陸軍省に通報。建川が、関東軍の行動を引き留めるため奉天に派遣される。9月18日の奉天到着後に料亭で板垣征四郎ら関東軍幹部と面談するが、その夜に事変が発生。持参した大臣書簡を本庄繁関東軍司令官に渡す暇もなかった。これは、満州事変そのものが板垣と建川自身を含む参謀本部中堅の意見一致で始めたことであり。引き留める積りなど全くなく、南・陸軍大臣および参謀総長から戦闘勃発阻止を正式に命ぜられた建川は、作為的に命令の伝達を遅らせることで消極的側面支援を行ったのである。更に関東軍は朝鮮軍に応援を求め、朝鮮軍司令官・林銑十郎が独断で満州に軍隊を派遣した。(指揮者・小澤征爾は当時関東軍に深く関与していた父親が満州事変の首謀者、板垣の征と石原の爾を貰い受けて命名したとNHKの番組、「ファミリーヒストリー」で報じられた。)
満州事変は陸軍の関東軍が天皇統帥権と日本政府の統治権を奪ったクーデターそのものであり、陸軍刑法、国家反逆罪に照らし関与した人物は全員死刑、勿論陸軍上層部は監督責任を問われ懲役若しくは退役が当然である。実際には処罰するどころか賞賛し異例の昇進をさせる始末で、結果良ければ全て好しの風潮を生み、以降参謀達が政府の方針を無視し指揮官を思い通り動かして戦線を拡大する幕僚統帥が常態化し国家滅亡に邁進したのである。
1937年盧溝橋付近で中国軍と小競り合いがあり,連隊長の牟田口廉也・連隊長の攻撃命令が発端で日中戦争が始まった。(牟田口は一夕会メンバーで石原莞爾の一期後輩、多くの戦死者を出したインパール作戦責任者)
日中戦争の長期化を懸念し慎重論を唱える参謀本部作戦部長の石原莞爾に対し部下の武藤章・作戦課長、田中新一・軍事課長(共に一夕会4期後輩)が上司を無視し、中国軍は一撃で倒せると拡大論を唱え、関東軍参謀長の東条英機もこれを後押しした為日中戦争の泥沼にのめり込んでゆくことになった。石原は満州国経営をめぐり東条や軍首脳と対立し予備役となった為、極東裁判で訴追されることは無かった。
1939年日中戦争の泥沼で藻掻いていたさなか、満蒙国境でソ連・モンゴル軍と衝突,ノモハン事件が勃発した。関東軍作戦主任参謀・服部卓四郎、参謀の辻正信の二人がソ連兵力を過小評価し参謀本部と陸軍省の事件不拡大の方針を無視して戦闘を続行・拡大し2万人近い戦死者を出して大敗した。日本陸軍の北進論者の多くは、ソ連軍の実力を思い知り、以後、「日本の生命線は南方にあり」と言わんばかりの南進論者に転向、米国を敵に回すことになる。尚この事件で関東軍司令官らは責任を取らされ現役を退いたが二人の参謀は大きな処分を受けず、大本営の作戦課長や参謀に昇進、日中戦争の責任者武藤・田中も軍務局長・作戦部長に昇進していた。日米開戦時の陸軍の作戦は過去に大きな失敗を犯し日本に大打撃を与えた(作戦部長・田中)―(課長・服部)ー(参謀・辻)のラインで行われ日本を滅亡に導いたのである。
上記日本滅亡の発端となった日中戦争の首謀者の内、【永田】は暗殺され【板垣・東条・武藤】は極東軍事裁判で絞首刑(南京虐殺事件に関しては略)、【本条繁】は板垣・石原に唆され朝鮮軍の越境応援を得て政府方針に反し占領地を拡大し続けその功績で男爵の爵位を得た。又娘婿が2・26事件反乱部隊の協力者で天皇に十数回に亙り事件首謀者達の弁護をするなど事件の事前了解をしていたとみられている。戦後戦犯に指定され壮絶な自決を遂げたが、堂々と責任を取る事は無かった。
【鈴木貞一】は一夕会で石原の一期後輩、東条の取巻き「三奸四愚」の3奸の一人とされ独断で満州政策を進め、白鳥敏夫・森恪と共に国際連盟撤退論を強硬に主張、また日米開戦論の急先鋒であった。終身刑を言い渡されたが途中で釈放され、岸信介等自民党幹部と親交を深くし、A級戦犯に指定されたことのある人物としては、唯一平成まで存命し、百歳で没したが生涯責任をとる事は無かった。【南治郎元陸軍大臣】も終身刑を受け途中釈放されたが責任を取る姿勢は無かった。【林銑十郎】常に周囲の最強硬論を鵜呑みにするところがあり、陸軍部内では革新派のロボットと言われていた。無能総理、1943年(昭和18年)2月死去。勿論自身の責任に言及することは無かった。【田中新一】、宇垣内閣を流産させ日中戦争を拡大させるなど陸軍暴走の牽引役、 松岡洋右外相と提携して近衛文麿内閣を日独伊三国同盟・南部仏印進駐へと誘導、「国家総動員体制」も実現、 慎重論を抑えて南進政策を強行し、早々にナチス・ドイツとの同盟で対米英妥協を放棄、戦争ありきの強硬策を推し進め東條英機内閣に対米開戦を決断させた。 太平洋戦争の帰趨が決しても「負けを認めない」田中新一は強硬姿勢を貫き、ガダルカナル島撤退に猛反発して佐藤賢了軍務局長と乱闘事件を起し東條英機首相を面罵、前線のビルマ方面軍に飛ばされインパール作戦に関与したが失敗、終戦直前に予備役編入となり無事に生還した。東京裁判では、天皇の温存を図るGHQが統帥権(参謀本部)関連の訴因を外したことが幸いし、田中新一は起訴を免れ、1976年まで83歳の長寿を保った。
石原莞爾・田中新一は訴追を免れたが極東軍事裁判とは別に日本で裁判が行われておれば当然死刑判決が下りて余りある人物であり、その他の人物も死刑、終身禁固刑等厳罰に処すべきと考えられる。
戦争責任(10)…太平洋戦争の原因は日本の中国侵略にあり…(6)
        ……日米開戦を進め亡国への道を走らせ者達 へ続く