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シベリア抑留1(父の手記より)

2020年09月15日 12時44分21秒 | シベリア抑留の記録

私が昭和20年8月15日の終戦を迎えた時、樺太東海岸の大泊から30キロほど離れた三ノ沢という所におりました。私たちは、一期の初年兵教区を大泊の教育大隊を終えて三ノ沢で一期の検閲を受けるための訓練に日夜張り切っていた時でした。
  終戦と同時に私共が大日本帝国軍隊の最後の初年兵になったのです。私共がソ連参戦を聞いたのは17日頃だと思います。後で分かったことですが実際に参戦したのは、8月8日だったそうです。連隊本部との連絡が取れなかった約10日議に私共の部隊に連絡が入ったのでした。

 18日は朝早くからソ連兵の上陸に備えて陣地の構築に入ったのです。10時頃だと思いますが、土地の人がやってきて、日本はソ連にも降伏したというニュースを今聞いてきたと言いました。小隊長がそのニュースを確認したところ本当でありました。後は陣地も何も必要ありません。暗い気持ちで兵舎に戻りました。その晩は、無礼講で夜遅くまで酒宴が開かれました。
 翌朝8時起床・点呼も終わり体操をしていると海上を2隻の軍艦が走っていました。和つぃたちのバート愛は海岸のすぐ近くにありました。小隊長が双眼鏡で確かめましたがどこの軍艦かは分かりませんでした。

   朝食の準備を終えて、2階の自分の部屋の窓から外を見るとソ連兵が立っていました。手を上げて外へ出ろと言っているようでした。私共は朝食もとらずに大泊港に連れて行かれ15時頃大泊女子高等学校に収容されたのです。

続く


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