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樺太に関する研究 多賀城碑

2020年10月27日 08時25分00秒 | シベリア抑留の記録

樺太に関して勉強している。

660年に秋田にも蝦夷征討に来た安倍比羅夫が樺太の蝦夷と交戦したかもしれない記録が日本書記に記されている。
726年に陸奥国の国府である多賀城に修造された多賀城碑には、「去靺鞨(まっかつ)国界3千里」と書かれている。
 
この石碑は、日本三古碑で、国の重要文化財である。2年前にマラニックしながら写真を撮ってきた。

国界とは国境の事である。去靺鞨とは、中国、の時代に、中国東北部から朝鮮半島北部に住んでいたツングース系諸族の中国側からの呼び名である。
去靺鞨との国境は、多賀城碑から北へ1600kmでアムール川である。よって、奈良から平安時代の朝廷は、樺太は日本の領土であった事を意味している。
 
多賀城へマラニック←クリックしてね!
 

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