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終わりの始まり (ローマ人の物語 29/30/31(塩野七生))

2008-09-07 12:00:00 | 本と雑誌

Marcus_aurelius_kiba  塩野七生さんの本は、以前にも「マキアヴェッリ語録」「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」等を読んでいるのですが、今回手にした本は、塩野さんの代表作「ローマ人の物語」の中の1冊です。

 第1巻から読み通すパワーがないので、まず選んだのは個人的に最も関心のある「マルクス・アウレリウス」が登場する巻でした。
 彼の「自省録」は私の読んだ本のなかでも印象に残っているもののひとつです。

 マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius Antoninus 121~180)は、在位161~180年、ローマ五賢帝の最後の皇帝で、ストア学派の哲学者としても有名な人物です。

 五賢帝の時代は「ローマの平和」の最盛期でした。トラヤヌスの拡大政策により最大版図となったローマは、次のハドリアヌスにより防衛策への転換がなされました。

 
(上p68より引用) 一般の市民が誰でも雨傘を用意するくらいならば、指導者などは必要ないのである。一般の人よりは強大な権力を与えられている指導者の存在理由は、いつかは訪れる雨の日のために、人々の使える傘を用意しておくことにある。ハドリアヌスが偉大であったのは、帝国の再構築が不可欠とは誰もが考えていない時期に、それを実行したことであった。

 
 従来の定説は、ローマ帝国の衰退は五賢帝の最後マルクス・アウレリウスの死後はじまったというものでした。
 確かにアントニヌス・ピウスの時代は、大きな外征も不要なほど平穏な時代だったようです。

 
(上p104より引用) 「秩序ある平穏」のアントニヌス・ピウスの時代から一転して、難問山積の時代に変わるのがマルクス・アウレリウスの治世であるからだった。

 
 しかしながら、本書で提示された塩野さんの問題意識は、ローマ帝国の衰退は、マルクス・アウレリウスの在位中、さらには先代のアントニヌス・ピウスの時代からその萌芽はあったのではないかという考えでした。

 
(上p105より引用) 皇帝マルクスの直面した「難問の数々」なるものを分析してみれば、四分できると思うからである。
一、天災のように、誰にとっても予測は不可能である問題。
二、アントニヌス・ピウス治世下の23年間もまた問題意識が持続していたならば、予測は可能ではなかったか、と思われる問題。
三、もしもマルクスが、次期皇帝であった18歳から40歳までの間に実地の体験を積んでいたならば、こと起った後にしろ対処の方策も変わっていたのではないかと思われる、戦略と戦術上の問題。
四、時代の変化。

 
 二、三に分類される難問については、マルクス・アウレリウスの対応次第で結果が変わっていたのではないかという仮説です。

 マルクス・アウレリウスに対する批判は、マルクスに対し謀反を起こしたカシウスの手紙にも表れています。

 
(中p91より引用) 哀れなローマ帝国よ。すでに持っている資産の保持しか頭にない者どもと、新たに資産家になることしか考えない者どもに苦しまされているのだ。哀れなマルクスよ。偉大なる徳の持主ではあるが、寛容な指導者という評判を欲するあまりに、貪欲な者どもが闊歩するのを許している。

 
 

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