いつも利用している図書館の新着本リストで目に付いた本です。
著者の成田悠輔さんは、最近活躍が特に目立つ研究者&実業家です。
私自身、いままでは時流に乗った著作にはあまり関心がなかったのですが、やはり“食わず嫌い”は良くないと思い手に取りました。読んでみると、流石になかなか興味深いコメントが満載で、その中から2・3、覚えとして書き留めて置くことにします。
まずは、「第一章 故障」の章から。
成田さんは「21世紀に入ってからの経済を見ると、民主主義的な国ほど、経済成長が低迷しつづけている」と指摘し、その原因についてこう語っています。
(p61より引用) 21世紀の最初の21年間の一体何が、民主国家を失速させたのだろうか? ・・・ インターネットやSNSの浸透に伴って民主主義の「劣化」が起きた。閉鎖的で近視眼的になった民主国家では資本投資や輸出入などの未来と他者に開かれた経済の主電源が弱ったという構造だ。
“劣化” というのが、重要な傾向ですね。政治家、官僚、マスコミ、そして、私たち国民の“劣化” です。
その国民の劣化をもたらしている要因のひとつとして、成田さんは「情報流通やコミュニケーションの過激化・極端化」を挙げています。そして、それを防ぐ対策はこうです。
(p102より引用) まず考えられるのはSNSなど公開ウェブでの同期コミュニケーションの速度規模への制約である。Twitterのように誰でも参加できる双方向多人数のリアルタイム公開コミュニケーションを、災害・テロなどの一部の領域を除いて、課税したり、禁止したり、規模・人数制限を入れたりする方向が考えられる。双方向の大規模リアルタイムコミュニケーションが熱狂や同調・過激化、つまり前章で見た民主主義の劣化 の触媒になっているからだ。
なかなか大胆な提案ですが、確かにTwitter空間でのやり取り、特に匿名でのものは、実名ではとても言えないような悪意に満ちた過激なものが目につくのも事実です。それが少なからず「知的劣化」に結びついている点は首肯できます。“反知性主義”が頭を擡げているともいえるでしょう。
そういった現状にあって、成田さんは、「民主主義」の再生に向け今の社会水準を基点に“0ベース”で民主主義を構成し直しました。
(p164より引用) 民主主義とはデータの変換である。・・・民主主義とはつまるところ、みんなの民意を表す何らかのデータを入力し、何らかの社会的意思決定を出力する何らかのルール・装置であるという視点だ。民主主義のデザインとは、したがって、(1) 入力される民意データ、(2) 出力される社会的意思決定、(3) データから意思決定を計算するルール・アルゴリズム(計算手続き)をデザインする ことに行き着く。
これは、とても面白い考え方です。民主主義といえば、多数決とか選挙とかが不動の前提のように考えていた“思い込み”が見事に覆されましたね。
成田さんの提案する“民主主義の再構成案”が「無意識データ民主主義」です。
(p204より引用) 無意識データ民主主義は、投票(だけ)に依存せず、自動化・無意識化されている。その結果、多数のイシュー・論点に同時並行対処できる。意識的な投票・選挙が作り出す同調やハック、分断も緩和することができる。
とのことですが、この新たな民主主義的方法の成否のポイントのひとつは、「いかにして、人々の意思を反映したイシュー・論点を提示できるか」という点にあると思います。間接代議制民主主義は否定しているのですから「代議士(立法府・政治家)」がその提示役になれないとすると、「行政府(官僚?)」の役目になるのでしょうか。
本書が提示した「民主主義再生議論」は、近未来的なソリューションの提示として、とても面白いものです。
もちろん、実施までの道程は一筋縄ではいかないでしょう。
(p133より引用) 選挙の勝者は今の民主主義の既得権者である。既得権者がなぜ自らの既得権の源を壊そうという気になれるだろう?
まさに、成田さん自身もこう指摘しています。
とはいえ、今の“非知性主義的社会状況”を鑑みるにチャレンジする意義は十分ありますね。
こういったアイデアを “自分の頭で考えてみる” だけでも大きな進展です。