気になっていた本ですが、いつもの図書館の新着書リストで見つけたので早速予約して読んでみました。
主人公落合博満さん、現役時代も監督時代もリアルタイムで知っていますが、当時からそのユニークなキャラクタには大きな興味と少しの共感を抱いていました。
本書は、担当記者だった鈴木忠平さんが、8年間にわたり中日ドラゴンズ監督を務めた落合さんの実像を描こうと試みたノンフィクション作品です。
本の作りは、落合さんとの関わりを通して大きな影響を受けた川崎憲次郎、森野将彦、福留孝介、宇野勝、岡本真也、中田宗男、吉見一起、和田一浩、小林正人、井手峻、トニ・ブランコ、荒木雅博の12人の方々の名前をタイトルにした章を立てて、彼らの証言や彼らにまつわるエピソードを通して落合さんの多面的な実像が顕かにされていくという仕掛けです。もちろん、著者が記者として落合さんへ直接取材して聞き知った特別なネタもしっかりと盛り込まれています。
その中から、いくつか私の興味を惹いたところを書き留めておきます。
まずは、落合監督の「投手起用」について。
(p186より引用) 「俺は投手のことはわかんねえから、お前に任せた」
落合はいつも森にそう言った。そして本当に何も口を出さなかった。
例えば、落合が先発ピッチャーを決めたのは、この四年間で一度だけだった。
(p188より引用) 「先発ピッチャーは、俺にも教えてくれなくていい。そうすりゃあ、外に漏れることもないだろう」
落合は本当にその日のゲーム直前まで、先発投手が誰なのか知らなかった。訊いてくることもなかった。
それは落合が、参謀であり右腕である森に寄せる信頼の証だった。
ピッチャーのことは森繫和ピッチングコーチに任せていたとのことですが、ここまで徹底していたとは驚きです。
そして、落合監督が選手時代から群れなかった理由。
和田選手が落合監督からの打撃指導で腑に落ちたことでした。
(p327より引用) そして落合の世界に踏み入って感じたのは、その理というのはほとんどの場合、常識の反対側にあるということだった。
(p330より引用) おそらく落合は常識を疑うことによって、ひとつひとつ理を手に入れてきた。そのためには全体にとらわれず、個であり続けなければならなかったのだ。
最後に、私が最も印象に残ったくだり。遠征先のナイター終了後、宿泊ホテルの食堂に一人向かった荒木選手は落合監督と会話を交わしました。
(p433より引用) ある夜、荒木はずっと抱えてきた疑問をぶつけてみた。
「使う選手と使わない選手をどこで測っているんですか?」
落合の物差しが知りたかった。
すると、指揮官はじろりと荒木を見て、言った。
「心配するな。俺はお前が好きだから試合に使っているわけじゃない。俺は好き嫌いで選手を見ていない」
荒木は一瞬、その言葉をどう解釈するべきか迷ったが、最終的には褒め言葉なのだろうと受け止めた。
「でもな……この世界、そうじゃない人間の方が多いんだ」
落合は少し笑ってグラスを置くと、荒木の眼を見た。
「だからお前は、監督から嫌われても、使わざるを得ないような選手になれよ――」
その言葉はずっと荒木の胸から消えなかった。
確かに、落合監督の生き様は、自問自答しつつも“自らの信念”“自ら拠って立つ価値観”に正直だったということです。
そして本書、“落合監督の実像を追った硬質のドキュメンタリー”であると同時に、“著者鈴木忠平さんの記者としての成長を綴った自叙伝”でもありました。