昨年末から急激な景気悪化の波を受け「雇用」問題が大きくクローズアップされています。
アメリカ流資本主義を説く宮内義彦氏の「雇用」についての考え方です。
まず、宮内氏は日本的雇用の代名詞である「終身雇用・年功序列」について、以下のような基本的な考え方を示しています。
(p182より引用) 日本的経営の特徴の一つは、終身雇用と年功序列といわれるものでした。・・・
どちらも従業員のその時々の能力、あるいは企業への貢献とは直接関係しない制度です。後者の年功序列はすでに消えていく存在ですが、終身雇用にはこれからの知識社会に応用できる要素も含まれています。
今後の知識社会では、企業内の「知の創造と継承」が重要になります。
(p183より引用) 知識社会では、たゆまぬ創造性を発揮しなければ企業は存続できないでしょう。このため、コア社員には長い期間、従来の日本型雇用のように定年まで働いてもらう必要があります。連綿とした知識創造のノウハウを「暗黙知」として組織内で継承して、そうした作業の継続を企業の社風にまで高めるような役割が求められます。
宮内氏は、知識社会における企業内の人的資産の流動は柔軟でなくてはならないと主張します。
(p184より引用) さらに重要なのは、知の創造をするコア作業に個々の社員が参加する自由を組織が持っていることです。たとえパートタイマー(=外辺社員)として働き始めたとしても、「意欲を持って知の創造に参加しているうちに、いつのまにか知の創造の中核機能を担うようになり、本人の希望次第でいつでもコア社員へと転換できる」といった柔軟な仕組みを持つことは、これからの企業組織にとって必要なことです。それを許す社風作りも同様です。
と、このあたりまでの主張は、私としても首肯できるものです。
さて、こういった「知識創造企業」における人材(人財)戦略を、「コスト」という側面から見たとき、少々雲行きが変わってきます。
(p188より引用) これまで固定費と見なされていた人件費を変動費にすることができれば、経営に弾力性が加わります。・・・
たとえて言えば「鉛筆型の人事戦略」です。つまり、コア社員の数を鉛筆の芯のように細くする一方、その周りを取り囲む木の部分は成功報酬型の社員、さらにその周りにパートタイマーやアウトソーシング(外部への業務委託)で編成します。そして必要に応じて、芯を囲む木の厚さを調整できるようにしておくわけです。
「固定費の流動費化」という手法は全く間違いだとは言えないでしょう。
考え方が分れるところは、「流動」の振れ幅です。「流動」ではじき出されるのは、生活基盤の脆弱な「雇用弱者」です。
(p195より引用) 弱者に対するセーフティネットの必要性は当然ありますが、これは働く人の19%を組織している労働組合の役割というよりは、失業者対策や転職訓練、シビルミニマムの整備など働く人々すべてに共通のインフラを社会全体が作るべきでしょう。
宮内氏の基本的な考えによると、労働力は数ある経営資源のone of themに過ぎません。
企業は労働力を利益創出のために都合よく活用するが、不要になって放出したその後の対策は、「社会」が担うべきだということのようです。
この「社会」には、当事者である「企業」も入るはずですが、どうも宮内氏の議論からは、そう聞こえてこないのです。
経営論 (日経ビジネス人文庫) 価格:¥ 680(税込) 発売日:2007-12-03 |
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
TREviewブログランキング