1936(昭和11)年、二・二六事件が起こった年の4月、加藤氏は第一高等学校に進学しました。
理科の学生でしたが、文芸に対する関心は益々高まります。
加藤氏は、当時すでに文壇にて一定の地位を築いていた横光利一氏を講演に招きました。
講演の後、横光氏を囲んでの有志の集まりがあり、そこで、氏と学生との間で激しい議論が交わされたそうです。学生たちは自己増殖的に興奮していきました。
(p158より引用) そのとき横光氏には、徒手空拳、拠るべき堡塁が、文壇の名声と、権力のつくりだした時流以外には何もなかった。信念-それにちかいものはあったかもしれない。しかしほんとうに信じていることと、信じていると信じようとしていることとは、ちがうのであり、誰よりも横光氏自身がその違いを感じていたにちがいない。
後になっても、横光氏はその時の議論を気にやんでいたといいます。
後年、それを伝え聞いた加藤氏は、自らの未熟さに自責の念を感じていたようです。
(p159より引用) 無名の学生が、あれほど高名な「大家」に、何らかの傷手をあたえ得るだろうとは、想像もしていなかったのである。傷手をあたえることができたとすれば、それは相手が傷手をあたえる必要のない人間だったからであろう。・・・傷手をあたえる必要のある人間に傷手をあたえることは、私たちにはできなかった。
横光利一氏は駒場に招かれた客であった。ヒトラー・ユーゲントの一隊は、招かれざる客であった。私たちはみずから招いた客と激論したが、招かれざる客には白眼を以て応じ、相手にもしなかった。
本書の最終章は、「八月一五日」。
この日は、加藤氏の人生の中でも特別の日でした。
(p221より引用) 私にとっての焼け跡は、単に東京の建物の焼き払われたあとではなく、東京のすべての嘘とごまかし、時代錯誤と誇大妄想が、焼き払われたあとでもあった。・・・しかしもはや、嘘も、にせものもない世界-広い夕焼けの空は、ほんとうの空であり、瓦礫の間にのびた夏草はほんとうの夏草である。ほんとうのものは、たとえ焼け跡であっても、嘘でかためた宮殿より、美しいだろう。私はそのとき希望にあふれていた。
その他、高等学校時代の追想の中で、微笑ましく印象的だったのは、真面目な学生でなかった著者たちに対する独作文のペツォルト教授の怒りの台詞です。
(p126より引用) 老人は英独日本語を混ぜて「おまえたちは偉い人ではない」といった、《You are nicht erai hito! 》
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