この手の本はプラトンの「ゴルギアス」以来約1年ぶりですが、忘れた頃に読みたくなりますね。
プルタルコス(Ploutarchos 46?~120?)は、「プルターク英雄伝」で有名なローマ時代のギリシャの伝記作家・随筆家です。
本書は、タイトルどおり、宴会の場での様々な議論を取り上げたエッセイで、「宴会の幹事はどういう人物であるべきか」「なぜ秋には空腹を感じやすいか」「鶏と卵ではどちらが先か」「山より海の方が珍味が多いか」「アルファはなぜアルファベットの始めにあるのか」・・・等々、そのテーマは種々雑多です。
その幾多の議論の中から、私の興味を惹いたものをご紹介します。
まずは、宴会での会話のマナー。
「冗談」を巡る話です。
(p51より引用) ちゃんとけじめをつけて、上手に、そしてここぞという時に冗談を言うことができない人は、冗談を口にすることをいっさい控えるべきだ。・・・そして、悪口を言われるよりは悪い冗談を言われる方が胸にこたえるということがある。悪口の方は怒りにまかせて、多くの場合、心ならずも言ったと見られることがあるのに対して、悪い冗談にはそういうやむをえない点がなく、むしろ無礼さとたちの悪さの結果だと非難される。そして一般に、無頓着に拙劣なことを言う人から何かを言われるよりは、言葉巧みな人から言われる方が腹立たしいもの、そこにはたくらみがあるからだ。
上手い「冗談」は場を和ませますが、拙い「冗談」は人間関係を壊してしまいます。
(p53より引用) あのすぐれたスパルタの国では、相手を傷つけないように冗談を言うこと、そして冗談を言われても平気でいられることが、人間が学ぶべきことの一つに数えられていた。もし冗談を言われた者が、言われっぱなしで黙っているようなら、言った方ではもうそれ以上冗談を言わないことにしていたのだ。そこでだね、相手を傷つけずに冗談を言うには一通りや二通りの経験や技では足りないとするなら、言われた相手にも気分がいい冗談を言うなど、やさしいわけがないじゃないか。
次に「公平」についての議論です。
ひとつに盛られたものを各々で好きなだけ取るのか、予め一人ひとりの分を取り分けてふるまうのかといった「宴会の料理」を材料にした談話は、「なにが公平なのか」というテーマに進んで行きました。
また、別の章では、「算術的比例」と「幾何学的比例」という概念で「公平」が論じられています。
フロルスの論です。
(p204より引用) 算術的比例は各員に同数を分配するのに対して、幾何学的比例はおのおのの価値に応じて比率を定めて分配するのだ。・・・各人が自分のものとして分け前を受けるにも、・・・各人の優劣の差に応じて受ける。・・・そしてそれが正義とか罰とかいうものなんだな、・・・そしてその正義は我々にむかって、正義は等しい(公正な)ものだが、等しいことが正しいと考えてはならぬ、と語りかけ教えているのだ。民衆が求めている平等というのは、あらゆる不正の中で最悪の不正であり、・・・神様は、価値によっての区別は守り通される。幾何学的比例に従い、それを法にかなった尺度とお決めになってね。
議論することは知的な楽しみでもあります。自分の頭で自由に思索をめぐらせ、その結果を説得力があると思う論理で発言します。
「なぜ新酒は酔いにくいのか」をテーマにしたハギアスとアリスタイネトスの議論について、プルタルコスは好意的にこう評価しています。
(p104より引用) この二人の若者の巧みな議論を我々は大いに認めた。ありあわせの説にとびつかずに、自分自身の考えをいろいろ試みているという態度だったからだ。
本書では、今と異なる生活習慣や社会的常識を背景にした立論だけでなく、今もまた何処も同じという話題も語られています。
最後は、「宴会の招かれざる客」について。
(p200より引用) 最悪なのは、支配者や金持ちや有力者のところへ、その人からじかに招かれたのではなく、別の人間に誘われて出かけてゆくことで、それでは恥知らず、野暮の骨頂、的外れな名誉欲の塊、などと評判をたてられても無理もなく、その評判から身を守ろうにも守りようがない。
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