今、フィンランドは教育関係者の視察ラッシュのようです。
OECDの学習到達度調査(PISA)で学力世界一になったことが原因ですが、当のフィンランドは周りの過剰な反応に戸惑っているとのことです。
そこには、国際経済競争力調査等の際にも示されたこの手の国際調査に対する冷静な評価があります。
(p128より引用) 「実際の競争率はアメーバのようなもの。個人間、法人間、業界間での競争は存在しますが、スポーツ大会を除けば、国と国の間での競争とは、いったい何を言うのでしょうか。国際的に高い評価を受けることは、フィンランドにとって有り難い宣伝にはなりますが、それを本当に信じてしまうのは危険です」というフィンランド産業研究所の研究長のコメントを引用して、ランキングに対する警告を発していたそうだ。
こうした冷静な判断とブレない姿勢を、いったい日本はどのように受け止めるべきなのだろうか。
その意味では、日本の対応姿勢は「ブレ」まくっています。
「ブレ」が外的刺激に対する反応であって、プラスに作用するのであれば全面否定すべきものではありません。が、その前提には、更に上位あるいは内部にしっかりした「基軸」がなくてはなりません。
(p136より引用) もちろん、そういう迷いやブレがあったりすると、新しいものを生み出そうという原動力にはなると思う。けれども、それがどういう形で続くかによっては、ポジティブな面だけでなく、ネガティブな面も出てくる。
この本を読んで、フィンランドの教育に対するブレない軸を支えているひとつの要素は「教師の質」のように感じました。
(p217より引用) 大学の教員養成学部は全国九つの大学に設置されているが、どこも人気が高く、入試の競争倍率は10倍にもなる。その難関を突破して学生となり、この学校で教育実習を行うためには、さらに書類選考、グループ討議、面接、筆記などの選抜試験に合格しなければ、実習生として教壇に立てない。・・・フィンランドでは、実習生を担当するガイダンス教師も、実習生を指導する技術を習得するための研修をうけなければならない。このように教師の質を維持していくためのシステムが何重にも準備されていることがフィンランドの特徴だといえる。
フィンランドの教師は、修士課程を修了しなくてはなりません。そののちも、上記のように教師になる道のりは極めて厳しいのです。
種々のハードを乗り越えた教師には、まさに「教えることのプロフェッショナル」としての自負と責任感を感じます。
ちょっとタイプは違いますが、先に読んだ「教えることの復権」の大村はま氏の気概に通じるところがあります。
欲ばり過ぎるニッポンの教育 価格:¥ 777(税込) 発売日:2006-11-17 |