よく言われることですが、「わかる」という状態にも様々な形態があります。
長尾氏は、「3つのレベル」に分類します。
(p116より引用) 「わかる」ということには、いくつものレベルがあることが想像できるだろう。
第一のレベルは、言葉の範囲内で理解することであり、第二のレベルは、文が述べている対象世界との関係で理解することであり、さらに第三のレベルとして、自分の知識と経験、感覚に照らして理解すること(いわゆる身体でわかる)というレベルを設定することが必要であろう。
そして、昨今の科学的トピックスを踏まえると、「科学」の立場から今後重視すべきは、「第三のレベルの理解」であると述べています。
(p116より引用) 科学技術の文章においては、第二のレベルまでの理解でよい。しかし、第三のレベルの理解ということが必要な場面も出てきつつある。たとえば遺伝子操作、クローン生物、臓器移植、脳死判定といった問題になると、理屈の世界でわかっただけでは私たち人間は納得できず、感情的体験的世界においても納得することが必要であり、これを避けて通ることができなくなっているのである。
長尾氏は、別の章でも、科学的理解以上のものとして「感情的理解」「感性的理解」の重要性を指摘しています。
「理解」に「優劣」があるとは思いませんが、「理解の質的な違いを意識する」という視点は大事だと思います。
「頭ではわかるんだけど、どうしても納得できない・・・」という、いわゆる「普通の感覚での納得感」の問題です。
(p174より引用) 論理的な理解のほかに身体的レベルにおける理解、心の底から納得できる状態というものがあって、これはかならずしも論理的なものかどうかはわからないが、個人にとってはむしろこの納得のほうがはるかに優位にある理解といってよいだろう。客観的真理が絶対的なものでなく、それを超えた理解の状態の大切さということにもっと目を向けるべき時代にきているのではないだろうか。
科学者として、さらには科学者を育てる教育者の立場からの主張であるだけに、なおさら注目すべき指摘だと思います。
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