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「客観」 (シュリーマン旅行記清国・日本(シュリーマン))

2006-10-03 00:41:27 | 本と雑誌

 シュリーマンは必ずしも恵まれた少年時代を過ごしたわけではありませんでした。14歳から食料品雑貨商のもとで働きはじめ、その後、独学で数ヶ国語をマスターし、貿易商から考古学の道へと波乱万丈の生涯を送ることになります。

 トロイア発掘にかけた情熱、それを支えた強靭な意志、突き進むことを止めない探究心。それらの一端が、この本に記された日本訪問にも表れています。

 とりわけ、「日本」の観察・描写において、シュリーマンの素晴らしいところは、対象に向かう「客観性」です。

(p83より引用) ところが日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気がついた。

 客観的な事実の観察と自らの感性を基軸に、「ヨーロッパの普通」と「日本の普通」とを素直に比較・評価しています。

(p84より引用) 寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それらぬきでもじゅうぶんやっていけるのだとわかったのである。もし、正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいござを用いることに慣れることができたら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。

 また、流石の「観察眼」も見られます。

(p141より引用) 日本の宗教について、これまで観察してきたことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級はむしろ懐疑的であるという確信を得た。ここでは宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っているのである。

 3ヶ月という短期間の滞在で、更には、幕末という外国人にとっては身の危険もあり行動するにも極めて不自由であった中、これだけの見聞記をまとめた原動力は、やはりシュリーマンならではの情熱溢れる探究心だったのでしょう。

シュリーマン旅行記清国・日本 シュリーマン旅行記清国・日本
価格:¥ 840(税込)
発売日:1998-04

コメント
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