OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ワークライフバランス in パパラギ

2006-01-14 11:46:17 | 本と雑誌

 ふとっちょパパさんからコメントをいただきましたので、もうひとつ「パパラギ」関連のお話です。

(パパラギ p60-より引用) パパラギは、いつも時間に不満足だから、大いなる心に向かって不平を言う。
「どうしてもっと時間をくれないのです」
そう、彼は日々の新しい1日を、がっちり決めた計画で小さく分けて粉々にすることで、神と神の大きな知恵を瀆してしまう。柔らかいヤシの実をナタでみじんに切るのとまったく同じように、彼は1日を切り刻む。・・・
かりに白人が、何かやりたいという欲望を持つとする。その方に心が動くだろう。・・・
しかしそのとき彼は、「いや、楽しんでなどいられない。おれにはひまがないのだ」という考えにとり憑かれる。だからたいてい欲望はしぼんでしまう。時間はそこにある。あってもまったく見ようとはしない。彼は自分の時間をうばう無数のものの名まえをあげ、楽しみも喜びも持てない仕事の前へ、ぶつくさ不平を言いながらしゃがんでしまう。・・・
やっとひまができたときには、もう欲望は消えていたり、さもなければ、おもしろくもない仕事で疲れていたりする。こうしてパパラギはいつでも、明日しようと思う。時間があるのは今日だのに。

 ツイアビは自分で時間に追われているパパラギ(ヨーロッパ人)の姿を不思議な目で見ています。
 やりたいことがあるのに、自ら時間を切り刻んでそこに自ら楽しくもない用事を埋め込んで時間がないと頭を抱えている姿。今日の時間をなぜ今日のために使わないのかツイアビには全く理解できないのです。

(パパラギ p66より引用) 私たちは、・・・彼らに教えてやらねばならない、日の出から日の入りまで、ひとりの人間には使いきれないほどたくさんの時間があることを。

 時間はないのではないのです。確実にあるのです。粉々に切り刻むと、かえって時間は見えなくなってしまいます。
 時には、時間をそのままのかたまりとして、無造作に扱うことができればと思います。無為に過ごすのではなく、そのままに過ごすという感じでしょうか。

コメント (1)
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