この本も、先に紹介した「〈数学〉を読む」で薦められたものです。
(p157より引用) 暗記とは、「思考を一時的に停止させる忍耐の時間」である。「記憶する」とは、「脳が情報を自分の中に定着させる」なのであって、脳はその作業に全力を費やしている。つまり、脳がそれをしている間、情報収集はストップさせられるのである。
(p157より引用) つまり、情報の収集は無意識を動員してするものなのである。そうして、脳の中になんでも囲い込む。整理とは、その記憶のゴミの山に入り込んで、ゴミの山から、ある道筋に従って、意味のあるものを拾い出す作業である。
このあたりの記述は、ショウペンハウエルが「知性について」で述べている「記憶のふたつの様式」と基本的には同じような趣旨です
特に「暗記」については、ショウペンハウエル流には「故意に記憶に刻みつける場合」にあたります。
もう一方の記憶≒情報の収集については、両者の考えは微妙に異なっているようにも思えます。橋本氏の「無意識を動員して」という点と、ショウペンハウエルの「客観的関心に基づく」という点の差です。
その点につき我田引水的に整合性をとろうとすると、以下のような感じかと思います。(もちろん、あえて整合性をとる必要もないのですが、私自身の理解のすわりの悪さを少しでも解消したいので・・・)
すなわち、ショウペンハウエルのいう「客観的関心」は主観的でないという意味で「(強く)意識されないで」という状態になる、その結果「無意識」という状態に極めて近くなると言えるのでは、という考え方です。
ショウペンハウエルも、(客観的関心を抱くことにより)「多くの物事がこのようにおのずから記憶にとどまる」と言っています。橋本流には「脳の中になんでも囲い込む」ということかも知れません