放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

役者バカ一代 藤山寛美

2009年07月12日 07時58分37秒 | Weblog
 その借金、数億とも12億ともいわれる。昭和41年に破産したときの金額は、当時の金で1億4千万円。すべて酒と女と、人のために借りた金だった。酒はボトルで1本、いくら飲んでも酔わなかった。女は「母親と尼さん以外は」といわれ、妻がキーホルダーを確認したら、見知らぬマンションや家の鍵が40ほどもあったという。大卒初任給が2万円の時代に、4800万円といわれた高額のギャラも右から左へ借金返済。それでも遊びは止めず、自分がそれほどの借金を抱えているのに、タレント月亭八方が借金で困っていると聞くと、皮の鞄に現金で1千万円突っ込み、まっさきに駆けつける。
 役者バカ、アホ役一代、喜劇王藤山寛美である。
 気風のいい遊び方だった。銀座のクラブへ行けば、その場で店を閉めさせ、従業員一同つれてハシゴ酒。間違ってホステスの着物に酒をこぼすと、ホステス全員に着物を新調して詫び、従業員にはバイトの端まで一万円札を配った。惚れ惚れするほど、豪快な遊び方だった。
「借金は芸人のこやし」寛美にそう教えたのは、母キミである。父親は、新派の二枚目役者だったが巡業先で倒れ、46歳の若さで亡くなる。キミは、5歳の寛美に役者の道を歩ませ、初舞台を踏ませる。「表で一万円札を紙クズみたいに使っても、家に帰ったら10円玉を数えとる。それが役者やで」母や幼い我が子に、役者の心得を教育した。
 それだけではない。豪快な遊びは、寛美独特の哲学でもあった。
「役者というのは、昼間お客さんから入場料をもらう商売。夜はそのお金を飲んだり食ったりして使う。お金を皆さんに返して、また芝居にきてもらう」
 だから幾ら借金が増えても気にしない。使えば使うほど、お客さんが来てくれると信じていた。また、寛美はこうも言った。
「役者は夢を売るのが商売。夢が売れなくなったら役者やない」
 夢を売るため重ねた大借金。借金取りの姿が楽屋に溢れるようになったため、ついに昭和41年4月、松竹新喜劇から除名される。だが、寛美のいない舞台は不入り、僅か8ヶ月で寛美は復帰する。初日の11月2日、中座の緞帳が上がり、寛美が姿を見せると満員の客から一斉に声がかかった。「よ、寛ちゃん、お帰り!」
 客は寛美の“夢”を待っていた。

企業不祥事が止まらない理由
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