俳人種田山頭火は、本当の自分の句を作りあげること、あれこれと厄介をかけないで、ころりと死ぬことが願望でした。その生活は無一物の乞食であり、いつも死を考えながら、死を押さえ込むための活力として、放浪し、俳句を作りました。彼の俳句は、どうしようもなく自由で、やさしくて、さびしくて、かなしい。
歩かない日はさみしい
飲まない日はさみしい
作らない日はさみしい
ひとりでゐることはさみしいけれど、
ひとりであるき、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。
十二月十四日 晴。
藤岡さんを局に訪ねて郵便物をうけとる、いずれもうれしいたよりであるが、とりわけ健からのはうれしかった、さっそく飲む、食べる、――久しぶりに酔っぱらった。夕方帰宿すると、留守に高橋さんが来訪されたそうである、新居の吉報を齎らして、――すみませんでした。
ぐっすり寝る、夢も悔もなし、こんとんとしてぼうぼうばくばくなり
十二月十五日 晴(重複するけれど改めて記述する)
とうとうその日――今日が来た、私はまさに転一歩するのである、そして新一歩しなければならないのである。一洵君に連れられて新居へ移って来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である、高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。京間の六畳一室四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏山から勝手に採るがよろしい、東々北向だから、まともに太陽が昇る(この頃は右に偏っているが)、月見には申分なかろう。
新居第一夜のねむりはやすらかだった。
新“風来居”の記
“無事心頭情自寂
無心事上境都如”(自警偈)
以後、山頭火は松山に腰を落ち着け、翌昭和15 年10月11日、脳溢血で亡くなった。59歳だった。
歩かない日はさみしい
飲まない日はさみしい
作らない日はさみしい
ひとりでゐることはさみしいけれど、
ひとりであるき、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。
十二月十四日 晴。
藤岡さんを局に訪ねて郵便物をうけとる、いずれもうれしいたよりであるが、とりわけ健からのはうれしかった、さっそく飲む、食べる、――久しぶりに酔っぱらった。夕方帰宿すると、留守に高橋さんが来訪されたそうである、新居の吉報を齎らして、――すみませんでした。
ぐっすり寝る、夢も悔もなし、こんとんとしてぼうぼうばくばくなり
十二月十五日 晴(重複するけれど改めて記述する)
とうとうその日――今日が来た、私はまさに転一歩するのである、そして新一歩しなければならないのである。一洵君に連れられて新居へ移って来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である、高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。京間の六畳一室四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏山から勝手に採るがよろしい、東々北向だから、まともに太陽が昇る(この頃は右に偏っているが)、月見には申分なかろう。
新居第一夜のねむりはやすらかだった。
新“風来居”の記
“無事心頭情自寂
無心事上境都如”(自警偈)
以後、山頭火は松山に腰を落ち着け、翌昭和15 年10月11日、脳溢血で亡くなった。59歳だった。
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