放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

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北陸新幹線建設拒否の新潟 もっともな言い分

2009年11月30日 06時31分06秒 | Weblog
地方再興―官と族議員は地方の敵にまわるか
金子 仁洋
マネジメント社

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 2014年に新潟を通り金沢まで繋がることにんばっていた北陸新幹線が、追加の負担金を新潟の泉田裕彦知事が拒否したために遅れそうだという報道があった。
 
 【新潟の拒否で完成に遅れも=北陸新幹線建設現場を視察-前原国交相】

前原誠司国土交通相は29日、富山、石川両県を訪れ、2014年度の完成を目指す北陸新幹線(長野~金沢)の建設現場などを視察した。国交相は視察後、新潟県の泉田裕彦知事が工事の負担金の支払い拒否を表明していることについて「新潟の要望にはしっかりとお答えしていくが、それでも支払わないのであれば完成時期が遅れることになる」と述べ、知事が拒否を続ける場合は完成が遅れる可能性があるとの考えを示した。石川県小松市内で記者団の質問に答えた。(時事通信) 

 これに対し、今年の2月21日 臨時記者会見で泉田裕彦知事の意図が、新潟県のホームページに掲載されている。これを読めば、泉田知事の拒否は至極もっとも。
かつて橋下徹大阪府知事の「国交省はキタのクラブよりぼったくり」発言に通じる憤りが伝わってくる。

●建設費が当初計画に比べて総額で2,200億円増える。ので、地方負担がも約220億円の増額
●なぜ、突然約220億円が増えるのか説明しろ(まったくその通り!)
●増額したというのに県内の建設業はむしろ収益が減っている(金はどこに消えた?)
●直轄事業負担金制度「事実上作ってしまったから、足りない分を過去に遡ってお金をください」と、請求書だけ回ってくる制度(そもそも論だが、変だ!)
●事前に相談があるべきではないか。(ごもっとも)

 しかも、増額分の詳細の説明はないのである。
 ある種、頑固で融通がきなかいと思うほど、堂々と正論を通す前原誠司国土交通相が直轄事業負担金制度に疑問を抱かず、GOを出したことに疑問。

■新潟県 泉田裕彦知事 臨時記者会見 詳細 

http://chiji.pref.niigata.jp/2009/02/post-033d.html

 先般、北陸新幹線建設費の負担金について、増額が必要であるという話がありました。当初計画に比べて総額で2,200億円増えるということで、地方負担が1/3ですが、本県についても約220億円の増額という話が来ています。並行在来線について30年間で380億円をどうしようかという議論をしている中で、突如建設費が約220億円増えるということは、地方財政の運営上大変大きな問題が生じるということだと認識しています。積算しているのが「独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構」というところですが、なぜ突然約220億円が増えるのかということを、しっかり説明していただきたいという申し入れを本日行いたいと思っています。
 実際問題、建設費を見てみますと、材料費の高騰というのもありますが、同時に落札率の低下等がありまして、特に県内の建設業一般にそうですが、むしろ収益が減るという形で厳しい環境に置かれている。数字面でも確認できるところですが、それが一般的な感覚だと思います。一方で、建設費がかなりの額で増えていくというのは、「いったいどうしてなんだ」ということがなかなか理解しきれないということです。
 そして、そもそも論ということになりますが、直轄事業負担金制度というのはどういうものかと言いますと、「事実上作ってしまったから、足りない分を過去に遡ってお金をください」と、請求書だけ回ってくるという制度になっているわけです。例えば「値上がりするかもしれない」ということであれば、「どうしましょうか」と事前に相談した上で、「工事をするならする、設計を変えるなら変える」ということをしなければいけないと思いますが、地方側には事後的に請求書が回ってくるという制度になっており、今回の大幅な増額ということを見ると、「直轄事業負担金制度のあり方自体おかしいのではないか」と感じざるを得ないと思っています。
 これは「法律で負担額を決められているんだからどうしようもないじゃないか」と言われることもありますが、進度を調整するということはあり得るわけで、今後いくらかかるのか、どう設計するのか、十分協議した上で建設を進めていくということもあってもいいのではないかと思っています。いずれにしても、まず十分な説明を(機構側に)求めたい。この協議が整わない場合については、(平成21年度当初)予算に影響が出てくるのかなと思っています。

企業不祥事が止まらない理由
村上 信夫,吉崎 誠二
芙蓉書房出版

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犯罪心理学者 花見小路珠緒の不思議事件ファイル (グラフ社ミステリー)
村上 信夫
グラフ社

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一番、一番!真剣勝負
朝青龍 明徳
日本放送出版協会

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歌舞伎の発祥を訪ねる「歌舞伎ロード」

2009年11月30日 02時23分54秒 | Weblog
歌舞伎手帖
渡辺 保
講談社

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歌舞伎の源流 (歴史文化ライブラリー)
諏訪 春雄
吉川弘文館

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 歌舞伎の発祥「歌舞伎ロード」に関する一考察。

 歌舞伎は、17世紀のはじめに出雲のお国が京都で始めたかぶき踊りからその歴史が始まり、それから400年の時に磨かれ、独自の世界を構築してきた。
 しかし、歌舞伎は一人の天才の力で誕生したものではなく、お国以前の能や狂言、猿楽、田楽などの芸能に範をとり、さらに、それらの芸能は、大昔から伝わる、祭の儀式、神事、民俗風習から始まった。
 それでは、その祭の儀式、神事はどこから来たのか?歌舞伎のルーツ、日本の芸能や祭祀儀礼のおおもとは、どんなものだったのか?

 比較芸能史の研究(※諏訪春雄学習院大学教授などの研究)によると歌舞伎のルーツ、それは稲作と共に日本にやってきた。
 原始の歌舞伎、歌舞伎の原点は、アジア各地に伝わる<来訪神の祭>・・・文化を人々に授けた神々が再び訪ね、文化を与えたときのことを思い出させる・・・この祭の儀式にその形を見ることができるという。
 日本に伝播した来訪神の祭の跡こそ<歌舞伎ロード>。
 歌舞伎ロードは、東アジアを大きく東西に二つの道があり、やがて、中国の長江中流、湖南省にその源を訪ねることができる。
 湖南省で稲作とともに始まった神に対する儀礼<来訪神の祭>は、朝鮮半島を経由し日本に伝わります。その過程で、各地の演劇を形成し、やがて歌舞伎へと繋がっていく。
 これが、歌舞伎ロード、東の道。
 一方、西の道は、雲南省や貴州省などの少数民族世界や東南アジアを伝播しやがて、海の道<黒潮>をたどって日本に広まる。来訪した神々への祈りは悪鬼退散の祈りを交えた神事・民俗行事へと変わっていった。それは、今も日本各地に残る、例えば、秋田のナマハゲなどにみることができる。
 歌舞伎とナマハゲは、遠く中国の長江中流に始まった同根の兄弟。  
 歌舞伎は、その発展の途中で、これら神々への儀式を再び取り入れ、洗練させながら今の形なっていったのである。

企業不祥事が止まらない理由
村上 信夫,吉崎 誠二
芙蓉書房出版

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犯罪心理学者 花見小路珠緒の不思議事件ファイル (グラフ社ミステリー)
村上 信夫
グラフ社

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一番、一番!真剣勝負
朝青龍 明徳
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女の記憶はマイレージ

2009年11月30日 01時39分43秒 | Weblog
 
女脳はまっすぐしか走れない (リュウ・ブックス アステ新書)
米山 公啓
経済界

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 妻や恋人と喧嘩になって、突然、大昔のことを言い出され絶句した経験が、男性なら必ずあるはずだ。喧嘩でなくても、初めて会った日のファッション、自分でははや言ったことさえ忘れた「XXX嫌い」「XXX好き」好きな女性タレントの名前など・・・。
 過去の話を持ち出すのは圧倒的に女性。
(飲んで、昔はよかったとクダまく親父は時折いるが)
 僕は、これを「女の記憶はマイレージ」と呼んでいる。マイレージのポイントのように蓄積され、ある時、突然、使用可能となる。利用明細が克明に残っているのもマイレージと同様である。

 これについて書いた「AERA」の記事「女はなぜ昔を忘れないか」を読んだ。
 ライターの野村昌二さんが書いた記事で、取材先のコメントなどはこの記事から引用している。

 野村さんの奥さん(33)も、過去の出来事をびっくりするほど記憶しているらしい。■たとえば、二人の出会い。6年前に私たちははじめて会ったが、妻はその場所はもちろん、当時の私の髪形にメガネのデザイン、ベージュのパンツにオレンジ色のTシャツを着ていたこと、自分は、上は赤いペイズリー柄のTシャツで下はジーンズ、靴はシルバーのミュールだったこと、その夜は、友だち3人で新宿にイタリアンを食べに行ったということまで記憶しているから恐れ入る。一方の私は、覚えているのは、出会った場所ぐらい。
 妻は断言する。
「女は、どうでもいいようなことを覚えているの」

 東北大学大学院の山元大輔教授(脳機能遺伝分野)によれば、脳に性差はあるが、それが記憶とどう関係するかはよくわかっていない。
 一般的には、大脳皮質の左半球(言語)と右半球(空間認知)の機能の違いは、男性のほうが女性より目立っているとされている。つまり、何かをしたり考えたりするとき、男性はどちらか一方の脳に負担をかけているが、女性は両方の脳を使っているということらしい。
 脳の機能的な性差として、だいたいどの研究者も同意していることは、「言語能力テスト」では女性が優位、「空間的能力テスト」では男性が優位、数学の成績は男が平均では上、といったこと。さらに出来事を時系列で覚える「エピソード記憶」は、女性のほうが男性より得意といわれる。だが、これもまだ研究はされていないという。女性は色々なことを覚える際、具体的なモノや事象との関連で捉えて記憶する傾向がある。対して、男性はより抽象化、一般化する傾向があるという。
 そのため、男性は事の細部を覚えていられずに忘れてしまう。そのため細部の話になると「そうだったかな」となりがち。だという。

 心理学の観点では、女性心理に詳しい精神科医ゆうきゆうさんは説明する。
「生物学的に女性は子どもを産み育てる性。だから、『いつから今の男性とつき合いだしたか』とか『いつ子どもがハイハイしたか』など、過去の情報を把握しておく必要があるのです」
 記憶は、情動(怒り、悲しみ、喜びなど)と関連を持つ場合に強固に保持されるという。「男性は物事を事実で記憶し、そこに感情が付随する。一方、女性は感情で記憶して、そこに事実がくっついているのです」

 男は細部を覚えていられず、女性は細部の記憶が残る。しかも、経験とタグで整理されているので、喜怒哀楽、特に怒りとともに記憶のライブラリーから突然、貸し出される。そして、「あの時と同じ」となるものらしい。

企業不祥事が止まらない理由
村上 信夫,吉崎 誠二
芙蓉書房出版

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犯罪心理学者 花見小路珠緒の不思議事件ファイル (グラフ社ミステリー)
村上 信夫
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朝青龍 明徳
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東京裁判の陰にひとつのハンコがあった。

2009年11月29日 07時12分16秒 | Weblog
紫禁城の黄昏 (岩波文庫)
レジナルド・フレミング ジョンストン
岩波書店

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歴史の陰にハンコがある。
今年、その番組を書いた。
その時に調べた、近代史の謎をひとつご紹介する。

清王朝滅亡後に誕生した幻の帝国、満州国。
1932年に建国し、1945年には解体されてしまった中国北東部にあった国家である。
そんな時代に1冊の本が出版された。
タイトルは、「紫禁城の黄昏」
ラストエンペラーと呼ばれた愛新覚羅溥儀が満州国皇帝になるまでの間に彼がどのように考え、どんな発言したかなどを溥儀の側近が記した唯一の資料である。
この本には序文が書かれており、溥儀の皇帝印である宣統帝印が押され、この本に書かれたことは真実であるとを保証していた。ここに押されたハンコが問題となる。

舞台は東京市ヶ谷にある旧陸軍士官学校の講堂で行われた「東京裁判」。
この裁判は、先の大戦における旧日本軍の戦争責任を問う裁判。
この裁判の中で東洋と欧米とのハンコに対する認識の違いが浮き彫りとなった。

主人公は愛新覚羅溥儀。
清王朝で最後の皇帝をそして満州国でも皇帝を務めるという2つの国家で2回皇帝となった世界でも稀な人物。先のハンコを押した人物だった。

昭和21年8月16日
溥儀がいよいよ証言台に立ち法廷は開廷する。

キーナン検事「生い立ちとこれまでの経歴を話してください」
溥儀「私は北京で生れました。名前は溥儀。本来の満州姓は愛新覚羅です・・・」

この裁判の中で争点となったのが満州国の建国について、皇帝溥儀が日本軍によって満州国の傀儡皇帝となったのか、あるいは、自らが望んで満州国の皇帝となったのかという点だった。
日本の戦争責任を問う部分として、連合国も日本も絶対に譲ることの出来ない点だった。
このことについて発言を求められた溥儀は、日本側から見れば「偽証」とも取られかねない内容の証言をはじめ、被告人席に座っていた日本人たちを絶望させる。

キーナン検事「板垣関東軍高級参謀にどういう役について欲しいといわれたんですか?」
溥儀 「私が満州人であるから、この国の首領になって欲しいと言った。その時彼は「拒絶したら断固たる処置をとる」と脅かしてきました。だから私は首領になったんです」

だが、事実はこの通りではない。溥儀が日本側に積極的に接触し、”溥儀”が満州国建設をもちかけた気配すらあるのだ。少なくとも日本人たちの前ではこのような発言はなかった。
溥儀の発言に憤りを感じていた日本人弁護団の反撃が始まった。
溥儀の家庭教師レジナルド・ジョンストンの書いた、先に紹介した「紫禁城の黄昏」を証拠として提出しようとした。
この本には、満州国が建国し溥儀が皇帝に就任するまでの半生を、彼の身近に家庭教師としていたジナルド・ジョンストンが、つぶさに観察し細かく描写されたもの。その中には、「皇帝に返り咲きたい」という趣旨にも取れる部分が多数含まれており、溥儀が自らの意思によって満州国皇帝になったという証拠である。
日本側の弁護団にとっては、証拠として採用させたい欲しい本だった。
問題となったのはその序文。
中身はこのように書かれている。

『この真実の記録は身をもっての体験と観察に基づいているだけに、あの時代の悲哀や秩序かく乱を回想する者にとってすこぶる価値あるものとなろう。』

この本の内容が事実であることを証明し、ここに皇帝溥儀の自らの印である「宣統帝印」が押されていた。
皇帝が使っている判、これをすべて玉璽というが、玉璽が押されているものであれば、これは皇帝の口から出たものあるいは皇帝が書いたものと同質の意味を持つわけだ。

弁護士 「序文を鄭孝ショウ(溥儀の側近)が書いたのは認めている。問題は宣統御筆とある印鑑だ」
溥儀 「印鑑は数が多く、鄭孝ショウも時によっては使っていた。どの印鑑か覚えていない」
裁判長 「証人は質問に答えなければならぬ!印鑑は証人のものか?」
溥儀 「序文と署名は自筆ではない。印鑑については知らない」

この後の溥儀はどんな質問が来ても「知らない」を続ける。
現代の日本の社会では「印鑑が押してあるんだから」となるはずなのだが・・・。
基本的にアメリカ人はハンコがなにので、アメリカでハンコの証拠性が認められることはなく、溥儀の証言が優先された。

『証拠能力なし。本書に重要性なし。』

ハンコ文化・サイン文化それぞれの国の文化の違い。
国家元首であった皇帝のハンコが捺印された文書が証拠として採用されなかった瞬間であった。
これにより、満州国建設は日本軍による一方的な陰謀として処理された。

企業不祥事が止まらない理由
村上 信夫,吉崎 誠二
芙蓉書房出版

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犯罪心理学者 花見小路珠緒の不思議事件ファイル (グラフ社ミステリー)
村上 信夫
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一番、一番!真剣勝負
朝青龍 明徳
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ミステリー 宮城の山中にカンガルー その続報。

2009年11月28日 04時55分18秒 | Weblog
どうぶつの赤ちゃん カンガルー (ちがいがわかる写真絵本シリーズ)
増井 光子
金の星社

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宮城の山奥のカンガルー騒動。その続報!です。
地元の新聞の記事 見つけました。
いるとすれば、逃げ出したペットかあるいは・・・。

カンガルーよりすごいのは、人間。
地元では関連グッズやむらおこし商品が準備されたとか。


【山あいのミステリー …カ、カンガルー生息!? 岩出山】
2009年11月26日(木)09:00(河北新報)

http://news.goo.ne.jp/article/kahoku/region/20091126t15017.html

 宮城県大崎市岩出山の真山地区や周辺で「カンガルーを見た」という住民の目撃情報が相次いでいる。当初は「キツネに化かされたのでは」と笑い話にされていたが、その数は年々増加。撮影に成功した例がないため、本当にカンガルーかどうか真偽は不明だが、山あいの小さな集落では「カンガルーでまちおこしをしよう」という声もちらほら出ている。

 真山地区は栗原市一迫との境に近く、水田や畑、牧場が広がる農村地帯。住民によると、目撃者が出始めたのは7年ほど前で、周辺の下一栗地区なども含め、これまで10人以上が「見た!」と名乗り出た。

 「カンガルー」の体長は1メートルから1.5メートルで、目撃は夜や朝方に集中する。「道をぴょんぴょん跳ねていた」「田んぼの中をすごい勢いで移動していた」と話す人がいれば、「親子2頭が山からひょっこり出てきた」という証言もある。

 地元の主婦笠森君子さんは10月24日夜、車で帰宅途中に耳の長い動物を目にした。「前脚を立てて道路沿いに座り、車のライトに照らされても逃げなかった。毛の色は薄いベージュで、体長は軽トラックの荷台ぐらい。本当にいたんだと驚いた」と語る。

 山あいの真山地区には野生動物が多く、カモシカも出るため、「見間違いでは」と疑問視する声もあるが、数年前に見たという男性(51)は「耳がべろんとしており、カモシカとは明らかに違った」と言う。

 カンガルーは、オーストラリアなどに生息する。厚生労働省結核感染症課によると、検疫などの手続きを取れば個人も輸入可能という。

 アカカンガルーを飼育する仙台市八木山動物公園の担当者は「冬の寒さや餌の確保を考えると、野外での生息は難しい。全く否定はできないのだが…」と首をかしげる。

 真山地区では「『カンガルー保護区』として売り出しては」という機運も生まれつつある。人への危害や農作物被害は報告されておらず、多くの住民は「そっと見守りたい」と話している。

企業不祥事が止まらない理由
村上 信夫,吉崎 誠二
芙蓉書房出版

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犯罪心理学者 花見小路珠緒の不思議事件ファイル (グラフ社ミステリー)
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村上 今気になる「宮城の山奥に野生のカンガルー生息情報!」

2009年11月27日 06時32分14秒 | Weblog
 このニュースが気になる。
 もし、本当に宮城の山奥に野生のカンガルーがいたら?
 普通に考えると、ペットか何かのカンガルーが逃げ出し野生化ということになるのだろうが、オーストラリアを何らかの理由で追放されたカンガルーの一族が、長い放浪の果て、日本に辿り着いた。山中には、カンガルー一族の隠れ里があり ・・・ なんだか平家の落人伝説のようになってしまったが。あるいは、亀田兄弟の秘密特訓が山中で行われて、その相手がカンガルー!
 オーストラリアで見たカンガルーは愛嬌のある顔をしながら、意外と凶暴なやつだった。これで、内藤危うし!(なわけないか・・・)空想が広がる。

 なんと言っても、ぴょんぴょん日本の山の中を跳ねていると考えたら、愉快。でも、日本中、カンガルーだらけになったら、それはそれでアライグマのように生態系破壊の心配もあって笑ってばかりもいられない。


【宮城県にカンガルー生息情報! 「道路ぴょんぴょん跳ねてた」?】

2009年11月26日(木)19時36分配信 J-CASTニュース
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-54823/1.htm

東北の山あいに「カンガルーが生息しているのではないか」と噂になっている。7年前から目撃情報はあったが、こんなことを口にしたらバカにされる、と住民は口をつぐんでいた。しかし、テレビ取材をきっかけに20人もの目撃証言が出た。「親子2頭がひょっこり出てきた」「車の横をカンガルーに追い越された」といったものだが、本当にカンガルーは生息しているのだろうか。

噂になっているのは宮城県大崎市岩出山の真山地区。430世帯1400人が暮らす山に囲まれた地域だ。冬は20センチから30センチの積雪があり、夜行性のカンガルーは昼、山に潜み、夜に街に降りてきて道路や農園の近くに出没するのだという。
話すと「バカにされる」と語らずにいた目撃は7年ほど前からあった。しかし、真山地区では一部の人しか知らない情報だった。話しても信じてもらえるはずはなく、バカにされると思っていたからだ。住民がカンガルーについて語るようになったのは、朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」の取材があったため。地元の宮城県の2人の男子中学生(中3)が番組に、
「中学の理科の先生から真山という地区に野生のカンガルーがいるらしい。道路をピョンピョン跳んでいるところを見た人がいるというが、僕たちは絶対にウソだと思う」
と、調査依頼をしたことがきっかけだった。撮影クルーは2009年11月1日に現地に入った。
 大崎市役所真山地区公民館の担当者によれば、撮影クルーが目撃情報を得るため、街ゆく人に聞いて歩いた。すると驚愕の事実が明らかになった。
「バカにされる」と語らずにいたが、自分以外もカンガルーを見た人がいると知り、驚く人が続出した。クルーに目撃したと語ったのは20人ほどいた。カンガルーだと思われる動物は、体長が1メートルから1.5メートル。「道をぴょんぴょん跳ねていた」というものから、「田んぼをすごい勢いで移動した」「カンガルーに車を追い越された」というものまであったという。

野生のカンガルーが冬を越すのは難しい?
真山地区公民館の担当者は、
「鹿やイタチなどの野生動物と見間違えたのではないか、と思っていたが、目撃した人が相当数いて、しかも信じるに足るような情報もあるため、あながち嘘だと言えなくなっています」
と打ち明ける。
仙台市にある「八木山動物公園」の専門家はどう見ているのだろうか。問い合わせてみると、
「動物園にいるカンガルーは、冬も日中は外に出しますが、夜は暖房のある部屋にいます。暖かい場所を見つけていないかぎり、野生のカンガルーが冬を越すのは難しいと考えられます」
ということだった。カンガルーが本当に生息しているのかどうかは「謎」のまま。大崎市が今後、カンガルーが生息しているかどうか調べる予定は今のところなく、
「仮に生息していたとしても、そっとしてあげてほしい」
という要望も真山地区公民館にきているのだそうだ。

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妻からの三くだり半 発見! … 江戸時代のハンコ

2009年11月24日 06時30分55秒 | Weblog
はんこと日本人 (日本を知る)
門田 誠一
大巧社

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 新潟で、妻からの離縁状「三行半」が見つかった。
 この夫は婿養子だったようで、庄屋の家か何か身分の高く、お金のある家だったのだろう。なにせ、慰謝料には百両もつけている。
 この時、ハンコはどんなものが押されていたのだろう?

 日本がハンコ社会となったのは、江戸時代。平和な時代となって、行政が整備され、あれやこれや文書が必要になったことや、商業の発達によって、契約書や帳簿などが整備されたことで、ハンコの使用が必要となった。
 今でも、役所であれこれハンコが必要とされるが、今も昔も、同じ。
 一説には、字を書けない人が多かったからだとも言われている。

 兎に角、江戸時代、ハンコは大ブーム。
 苗字のない農民や町人は、栄えるの「栄」や「宝」などの縁起のいい文字一字を使った吉祥印や自分の名前の一字を取った一字印が使われた。
 やがて、ハンコは家そのものを示すものとなり、苗字印が、名主や庄屋など、苗字を持つ者の間で使われるようになったが、これは、特権意識をくすぐったらしい。

 この時代、農民や町人は、ハンコを名主や町役人に届け出ることが義務付けられていたが、必要に応じて照合することができるように「印鑑帳」が作製され、届けられハンコを「実印」と呼んだ。
 普段使いには「裏印」といわれる、
 今の認印のようなものが使われた。
 このようにして、日本のハンコ社会の原型は、江戸時代に完成した。

 さて、江戸時代の離婚状、離婚の理由を三行半(さんぎょうはん)書いたので、俗に三行半(みくだりはん)という。
 本来は自筆が建前だが、ハンコを押すことで正式な書類となった。
 しかし、ここで問題が生じた。
 朱肉が、原料である水銀の産出の減少により不足したのだ。そこで、庶民は朱肉を使用することが許されなかった。
 代わって、庶民が使ったのは「墨」
 武士や身分の高い者、また幕府の安堵状などは朱印、農民・町人は墨印だった。
 三行半の多くにも、墨印が使われている。
 果たして、新潟で発見された三行半は・・・?

【雑記帳 妻から三くだり半…江戸時代の離縁状見つかる】
       11月17日20時10分配信 毎日新聞

 江戸時代に妻から夫に出された離縁状が見つかり、所蔵する新潟県十日町市の十日町情報館で17日、公開された。男尊女卑だった当時、妻からの三くだり半が確認されたのは全国初とか。29日まで。

 離縁状は1856(安政3)年、旧貝野村安養寺(現十日町市)の妻「ふじ」が婿養子の夫「萬平」にあてた。病気で当主の務めができなくなったので離婚し、慰謝料100両を払ったなどと書かれている。

 鑑定した専修大の高木侃(ただし)教授は「例外的に養母が書いた離縁状は確認されているが、妻が書いたものは見たことがない」。夫婦間のことは、いつの時代も円満に解決したいもの。【神田順二】

企業不祥事が止まらない理由
村上 信夫,吉崎 誠二
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ルーズベルトがジョン・万次郎の子孫に送った一通の手紙

2009年11月23日 08時27分22秒 | Weblog
ファースト・ジャパニーズ ジョン万次郎
中濱 武彦
講談社

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ジョン・万次郎という名をご存じだろうか。
土佐の漁師の息子で、1841年、14歳の初出漁で鳥島に漂着した。
仲間とともにサバイバル生活150日後、米捕鯨船ジョンハウランド号に救出されたものの、当時、鎖国中の日本では外国人との接触は大罪。日本の島影を見ながら帰国を断念する。
ジョン・万と呼ばれ、船長のホイットフィールドに可愛がられ、アメリカ・ニューベッドフォードに渡る。進学し航海術を学ぶと捕鯨船の船員となって活躍する。
しかし、帰国の想い諦めがたく、上海行の商船に乗り、琉球近海から小舟に乗って上陸した。帰国を果たしたものの、鎖国の禁を犯したとして、長崎奉行所で1年間の取り調べを受け、その後、故郷・土佐で半ば拘禁状態にされる。
当時としては、これでも寛大な処置である。
国際情勢をにらみ、何かあれば使おうとした知恵者がいたのか。
幕末の風雲急な状況はジョン・万次郎を放っておかず、1853年、ペリー来航に備え、幕府に召し出されると中濱万次郎として通訳に取り立てられる。
だが、水戸藩徳川斎昭からスパイ嫌疑を掛けられペリーとの交渉の場から外される。
万次郎はその命に背き、江川英龍とともに横浜に出向き、幕府全権林大学頭と面談する。通商までも飲もうとしていた林に、開港だけに止めるよう説得した。
ペリーとの交渉では、隣の部屋に待機し、陰ながら通訳を務めた。万次郎の活躍で、交渉は終始幕府ペースで進み、1854年日米和親条約を締結する。

歴史は、人間にある役目を与え、その役割を果たすと舞台から去らせるもののようである。
例えば、坂本竜馬は大政奉還を果たした後殺害され、西郷隆盛は討幕を果たすとやがて西南の役を起して敗れる。
ジョン・万次郎は、ペリーとの交渉を終えると、歴史の表舞台から去った。

その死後、脚光を浴びるのは、太平洋戦争直前のことだ。
万次郎の子孫あての一通の手紙が、当時のフランクリン・ルーズベルト米大統領から送られた。
それは、緊迫した日米関係を憂慮し、戦争を回避したいという願いがこめられていた。紹介する。

「親愛なる中浜博士 ・・・私は、あなたの父上をフェアヘブンにお連れした捕鯨船の株主の一人、ワレン・デラノの孫であります。あなたの父上は、私の祖父の家の道をはさんだ向かい側のトリップ氏の家に住んでいらっしゃったそうです。私のまだ幼かった頃、祖父は、日本の少年がフェアヘブンの学校に通ったことや、私の家族といっしょに協会に行ったことをよく話していました。中浜の名前は、私ども家族にいつまでも記憶されることでしょう。もしあなたかあなたのご家族がアメリカを訪問されることがあれば、お目にかかれる日を楽しみにしています。 フランクリン・D・ルーズベルト」

最後に もう一ついい話。
万次郎を助けた船長ホイットフィールド家と万次郎の子孫・中濱家との交流は、今も続き、五代目の時代となっている。また、万次郎の第二の故郷ともいうべきフェアヘーブンでは、住民主催による「ジョン・マン祭り」が毎年10月に開催されるという。

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村上 信夫,吉崎 誠二
芙蓉書房出版

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開高健の水風景

2009年11月21日 07時19分12秒 | Weblog
オーパ (集英社文庫 122-A)
開高 健
集英社

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ロマネ・コンティ・1935年 (文春文庫 127-4)
開高 健
文藝春秋

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「河は生きている」
 奥只見湖に流れ込む沢の一つ「北之岐川」。その川岸に立つ、その石碑は立つ。
 文字は、開高の直筆からとったものだ。
 奥只見湖は、福島県と新潟県にまたがり、豊かな自然と、天然記念物イヌワシなど希少動物が生息する山々があり、国内最大の60センチを越す大イワナが釣れる湖としても有名な川だった。
 小説家、開高健も奥只見湖の釣り宿に滞在し、大イワナ釣りを満喫していた。

湖畔にはスモッグもなければ農薬もなく、
水は水の味がし、木は木であり、雨は雨であった(「白いページ」)

 しかし、密漁による乱獲で、川は汚れ、1974年には完全にイワナの姿が消えた。
 開高はそれを聞くと、‘75年、自ら発起人となり「奥只見の魚を育てる会」を発足させます。禁漁期間を延長し、稚魚放流を続け、密猟者と戦った。
 開高は、奥只見の豊かな自然と厳しい現状をエッセイに書き、世間に呼びかけた。
 やがて賛同者が集まってきた。
 開高が、かつて宣伝部員として勤めていたサントリーもまた、大きな支援者だった。
 開高たちの訴えが実り、‘81年、ついに保護区域に指定された。
 日本で初めて、魚をはじめ一切の水産動植物の採取が禁止「永久禁漁」となった。川には、大イワナやヤマメ、サクラマスなどの姿が復活した。

   ピルを溶かした東南アジアの泥田ンぼの
おしる粉のむんむん、ツンツンとくる悪臭と悪味、
そして何がなんでもそれをゴクゴク飲みこんだ渇えの心(「生物としての静物」)

 開高が“水”にこだわった原点は、ベトナム戦争での体験がある。
 南ベトナム軍に従軍し、最前線のジャングルで攻撃され、生き残ったのは200人中わずか17人。
「生と死」と向かい合った。
 開高にとって、「生命の水」とは、文字通り、生死の狭間から生き残った体験から出たものである。
 彼の壮絶な戦争体験は、救出された直後に録音されたテープに、肉声として残っているという。

 また、旅をして水を飲み、その水がうまいと「なにかいいことがありそうだ…」と嬉しくなる開高は、日本各地、あるいは世界中で、水の味、水の風景を絶妙に描いている。

 純潔だが冷たそうな青灰色の水があちらこちらの大岩のうえにとろりとした大渦をつくってゆっくりと流れている。(「オーパオーパ」モンゴル)
 
 水さえあれば魔法使いの婆さんが棒をひと振りしたみたいに緑野があらわれる。(「オーパオーパ」中国)

 開高が描いた水と水の風景。
 そう言えば、開高、「人間には味のわからない2つの味があると言っている。おわかりだろうか?

人間には味のわからない二つの水がある。
一つは生まれたとき、はじめてガーゼに含ませられて唇を濡らしてもらう水の味、
もう一つは末期の水である。(開高道子「父開高健から学んだこと」)

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村上 信夫,吉崎 誠二
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開高健と新潟県奥只見・北之岐川

2009年11月21日 07時05分43秒 | Weblog
ベトナム戦記 (朝日文庫)
開高 健
朝日新聞社

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フィッシュ・オン (新潮文庫 草)
開高 健
新潮社

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「日本三文オペラ」「オーパ」などで知られる芥川賞作家・開高健が亡くなって20年。
美食家として知られる開高は、文学と同じくらい飲み、食うことに執着し、日本中を、世界を旅しました。飲み、食い、それを開高の感性は、饒舌に、煌めくように、時にトツトツと語り尽くします。その究極は、水の味へのこだわり・・・。

旅をしていて、新しい国に入って、水をちょっと飲んでみて、その水がうまいと、
「なにかいいことがありそうだ…」そんな気持ちがしてくる。(「小説家のメニュー」」

 ベトナムの地獄の戦場を経験し「水は生命」と思うようになった開高は、やがてひとつの水風景と出合い、それを守るために奔走する。深山に降った一滴の水が地に浸み、数十年もの時間を経て地に湧き出し、幾筋もの流れとなってやがて縒りせせらぎとなり川となり、数多の生命を育む。その地を、開高は「河は眠らない」と書いた。
 開高健が愛した“水風景”、新潟県奥只見・北之岐川。

ここではすべてがそれぞれの位置にあり、それぞれの質を持っている。水は水の味がし、ヤマウドはヤマウドの味がする。……雨のあとではいっさいの物音が吸いつくされて、広い盆地には廃墟の静寂がたちこめる。北之岐川だけが潅木林のかなたで鼓動をうちつづける。(「フィッシュ・オン」)

 しかし、その川はやがて人間の手により汚され、川の象徴だったイワナは絶滅しする。開高健は川の復活に奔走、やがて日本初の永久禁猟区に指定され、全ての水生動植物の採取が禁止された。自然に敬意を払い、自然との共存を筆と行動で示した開高健。新潟県奥只見・北之岐川の姿は、没後20年、稀代の美食家、芥川賞作家・開高健が愛した“水風景”、開高が残したメッセージである。

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村上 信夫,吉崎 誠二
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