放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

映画「君はノーサイドの笛を聞いたか!?」(3)

2009年07月03日 09時08分47秒 | Weblog
ブロウ・イデは、なぜラグビーにのめりこんだのだろうか。
オーストラリアの男の子にとって、ラグビーは最も身近なスポーツ。少し前の日本の男の子たちにとって相撲がそうだったように、生まれた瞬間から、ラグビーボールを握っているようなものだという。

■ブローの青春 

オーストラリアと日本の貿易で成功した井出秀一郎。その四男のWPJは、ホッペを膨らませる癖から「ブロウ」というニックネームで呼ばれ、やがて名ラガーと知られるようになる。
身長175cmのブロウは、写真で見る限り、外見は日本人そのもの。
葉隠れ武士の血を引く、秀一郎に厳しく育てられた。
やがて、ラグビーにその才能は現れ、新聞で「 A TOWER OF STRENGTH 」と絶賛されると、オーストラリア中で注目を集めるようになる。

5つ年下の恋人ヘイザーは、ラグビーファンだった。
裕福な商人の娘で、ブロンドの髪に、大きな瞳をした、町のマドンナだった。2人はたちまち恋に落ちたというが、ヘイザーの両親は、2人の交際に反対していた。

ブロウとヘイザーのデートは、ゴールドコースト。
今、ゴールドコーストは、日本人の若者で一杯である。彼らは、日本とオーストラリアが戦ったことも、60年以上昔、ここで愛を育みながら、結ばれなかった日本人とオーストラリア人の恋人の話を知らない。

やがて、結婚しようとするが、ブロウとへイザーの結婚はやはり叶わなかった。
前述のように、第2次世界大戦前夜。南太平洋に進出する日本に対し、オーストラリアの反感は高まり、反日運動が起こっていた。そのため、ハイザーの両親が反対したのだった。

■ワラビーズとオーストラリア

1938年、ブロウは「ワラビーズ」のメンバーに選ばれる。
「ワラビーズ」は、オーストラリアの誇り。
オーストラリアで、「ワラビーズ」のメンバーは、日本では想像できないほどステータスが高い。選手たちは伝説の英雄という感じである。が、その理由は、テストマッチを闘い、祖国オーストラリアに栄光とプライドをもたらす男たちだからである。日本では、真剣勝負と訳される“テストマッチ”と言う単語の背景には、イギリス本国に対するオーストラリアの意地と誇りがある。

1939年、ブロウは、オーストラリア初のイングランド遠征選抜チーム「ワラビーズ」に選ばれる。
英国の自治領であったオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどが、経済や文化では勝てない本国に対して唯一対抗できるのがラグビー、クリケットであり、自治領だった国々が母国英国に対してこの二つのスポーツによって力を試す場という意味から「テストマッチ」と呼ばれるようになった。

ブロウが選ばれたのは、初めての本国遠征。
オーストラリア中が熱狂した。そのメンバーに選ばれるのは、例え、反日ムード高まる中でも、強いものは強いと評価するオーストラリアの「フェア」の精神。そして、選ばれた晴れがましさ。
しかし、チームを乗せた客船モールタン号が英国に到着した5時間後,英仏はドイツに宣戦布告した。第2次世界大戦の始まりだった。
それにより、ブロウの運命は一変する。一試合もなく帰国したブロウは、AIF・オーストラリア帝国軍に入隊する。
恋人へイザーも、ブロウを追い、婦人部隊に志願した。

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