放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

X-Japan hide 仮面の下のやさしさ

2009年07月05日 08時03分37秒 | Weblog
フジテレビ「とくダネ」(MC:小倉智昭)で「新・温故知人」(プレゼンター:柳家花緑)を今年の3月まで2年半担当した。同時に、夕刊フジでも調べた先人達のエピソードを連載した。
例えば、X-Japan hide。復活したバンドの活躍をみるにつけても、彼の死が惜しまれる。そのhideの知られざるエピソードを紹介する。

 hideが33歳の若さで突然、この世を去って約10年。バンドが今年、活動を再開した。彼の死の衝撃を受け止めるのに、それだけの年数が必要だった。小泉純一郎元首相のテーマ曲として、若いファンだけでなく、広く知られるようになったX-Japanのギタリストして、また、ソロ活動でも、カリスマ的な人気を誇っていた。
 音楽活動だけではなく社会活動も積極的に行い、特に、1996年に骨髄移植のドナー(提供者)登録を行ない、「骨髄バンク」の存在を世間に認知させた。記者会見で、hideは、「言葉じゃうまく言えないから、行動するだけ」と言葉少なに語っている。
 子供のころのhideは肥満児で、毎日のように「デブ!」と言われ、辛い日々を送っていた。太っているコンプレックスからか、自分の殻に閉じこもる内気な少年。体重を減らすために昼休みも必死に校庭を走っていた。弱い者に対する本能的なまでの優しさは、こうした子供時代の体験が背景にあるかもしれない。
hideがその少女のことを知ったのは、1995年の年末近くのことだった。和歌山県の中学3年生の貴志真由子さんは、世界で2,3例しかない先天性代謝異常の難病のため、成功率30%の危険な手術を目前にしていた。hideは大みそかのコンサートに真由子さんを招待した。コンサート終了後の午後10時、東京ドーム内の真由子さんが待つ部屋にステージ衣装のまま駆け付けたhideは、真由子さんが一生懸命編んだマフラーをプレゼントされるとその場で首に巻いた。hideは、年越しの打ち上げパーティーに招待し、その会場まで真由子さんと手をつないで歩いた。その手のぬくもりは、どれほど真由子さんに力を与えただろう。真由子さんは手術を受ける決心をした。
2週間ほどしてhideから手紙が届く。「あの夜、君と手をつないでドームの中を同じ歩幅で歩いた。そして、真由子が真剣に生きていることを知った。オレはいまの自分を当たり前のように思ってたけど、真由子のおかげで、10年前の自分を思い出し、もう一度、初心に返ってがんばらなくちゃと・・・」
出会いは、hideにも大きな力を与えていた。

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