放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

飲酒死亡事故で4回目の不起訴、岡山地検不当

2008年01月30日 03時06分27秒 | Weblog
この事故、というより、これ殺人だろうと思う。
それがなぜ不起訴?なのか、飲酒事故の認定に必要な要件って、一体なんなのか、これは、地検の問題だけど、司法・裁判と現実の乖離を、福岡の飲酒事故の判決と併せて、考えてしまう。
もっとも、裏には、裁判官の人数のあまりに不足で、裁判官は事件を抱えすぎ、事故の内容を裁判のやりとりで初めて知る ・・・ 書類を見ていないってことがあるんだそうですが。
あと、加害者の元女子高生のバックに・・・という噂もあるのだけど。そのせいで、地検が送致しない、しかも、不服申し立て4回でも、と、なると、この噂、信じたくなる。誰か!真相をご存知の方がいれば!?

2007/12/20-23:49 飲酒死亡事故で4回目の不起訴=21日時効、検審不当議決に-岡山地検
 岡山市で2002年12月、自転車に乗っていた女子短大生=当時(19)=が飲酒運転の車にはねられ死亡した事故で、業務上過失致死容疑で書類送検された当時高校生の女性(23)について、岡山地検は20日、嫌疑不十分で不起訴処分とした。これで4回目の不起訴となった。
 村瀬正明次席検事は「女性の酒気帯びが、事故の決定的な原因となったと認めるに足る十分な証拠がない」と結論付けた。
 岡山検察審査会が12日、短大生の両親からの再審査申し立てを受け、3回目の不起訴不当を議決していた。21日を過ぎると公訴時効(5年)が成立する。

犯罪心理学者 花見小路珠緒の不思議事件ファイル (グラフ社ミステリー)
村上 信夫
グラフ社

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フジテレビ「とくダネ」「新・温故知人」は木原光知子

2008年01月30日 02時00分18秒 | Weblog
一番、一番!真剣勝負
朝青龍 明徳
日本放送出版協会

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おはようございます。
僕が構成を担当する、昨日のフジテレビ「とくダネ」(MC小倉智昭、笠井信輔、佐々木恭子)「新・温故知人」(柳家花緑)は、「木原光知子」でした。
東京オリンピックのアイドルスイマー、女優、モデル、ミミスイミングスクールの社長。黒沢映画にも出た彼女は、46歳の時に、腹心に裏切られ、さらに、更年期障害となり、自殺まで考え苦しみ、49歳まで、鬱状態だったそうです。そんな話を。
次回は、鉄腕アトム、リボンの騎士、ブラックジャックの父、手塚治虫です。


1992 バブル崩壊中山美穂「世界中の誰よりきっと」

2008年01月29日 19時34分53秒 | Weblog
現代日本経済論―「バブル経済」の発生と崩壊
奥村 洋彦
東洋経済新報社

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中山美穂の「世界中の誰よりもきっと」がヒットした1992年、平成4年、バブル経済がはじけ、全国平均の地価は75年の調査以来はじめて下がった。
東京証券取引所1部上場企業629社の、9月中間決算は、17年ぶりに減益。デパートの売り上げも、初めて、前の年より減るという谷間の始まりだった。
経済だけではなく、5月一ヶ月、警視庁管内で起こった殺人事件は8件を記録し、66年9月のワースト記録を抜く。殺人ばかりではなく、誘拐・大型経済事件が続発、警視庁が設置した特捜本部は11月までで29件。これまた66年を抜き、過去のワースト記録に並んだ。子どもの世界でも、登校拒否が増えて5万人を突破し、少年犯罪の凶悪化が進む。
日本全体が自信を失い、模索した谷間の始まり、これが、2000年まで続く長い谷間だったとは、この年、まだ誰も想像していなかった。

前田美波里に夏目雅子、アグネス・ラムの時代

2008年01月29日 03時25分25秒 | Weblog
アグネス・ラムのいた時代 (中公新書ラクレ 238)
長友 健二,長田 美穂
中央公論新社

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おはようございます

かつて、小麦色の肌が健康的で、魅力的だった。
今もまあ 日焼けしていると精悍には見えるが、高橋克典さんの只野係長かホストかと思ってしまう。
・・・ と、いう僕も、我が家の真下、隅田川テラスでの日向ぼっこが大好きで
    随分 真っ黒だった。

さて、日焼け美人の始まりは、1961年5月、真夏を前に、資生堂が「サンオイル」を発売したことによる。
価格は一瓶400円。
「積極的に太陽を浴びて小麦色の肌になるのは、新しい時代の健康美」というコンセプトは、江戸時代から続いてきた<色白が美しい>という女性美の価値観に対する挑戦だった。
結果は、「太陽に愛されよう」というキャッチコピーが大ブームとなり、以後、前田美波里さんの「夏は愛されよう」夏目雅子さんの「クッキーフェイス」、これはカネボウ、さらには、アグネス・ラムと、続き、小麦色の肌は健康美としてもてはやされるようになる。
高度経済成長の「イケイケドンドン」の気分とともに、太陽で肌を焼く欧米の習慣が日本にも普及していった。

余談だが、タイでは色白ほど美人。お金持ちの多いタイの大学生は、みんな色白。色黒でバタ臭い純タイ風ナンプラー顔は、例え美男子でも「ハンサムだけど、田舎の歌謡芝居の主人公みたいなのよねぇ」と言われちゃうんだそうで・・・。

しかし、日本でも、1985年、オゾンホールの発見以来、紫外線の害が叫ばれるようになって日焼けブームは沈静化。時代は、再び、美白・・・。
でも、小麦色の肌にビキニが懐かしい!

朝青龍 VS 白鵬 決戦に燃えた!

2008年01月28日 07時33分52秒 | Weblog
一番、一番!真剣勝負
朝青龍 明徳
日本放送出版協会

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おはようございます。
昨日の大相撲千秋楽 朝青龍と白鵬 大変な大一番。
思わず力が入った。
・・・ 朝青龍、残念。
モンゴル出身の横綱同士が優勝を争う大相撲は、もはや国際競技。君が代と一緒に
モンゴル国歌をかけたらいいのに。バランスをとるのなら、日本人には大学や高校の校歌でもいい。盛り上がると思うけどな。

昨日の千秋楽打ち上げは、取材で 大関魁皇のいる友綱部屋へ。
ここは、珍しく部屋での打ち上げ。
昔はどこの部屋でも行われていたというが僕は初めて、なかなか手作り感があっていいもの。


カレイが運んだ手紙 異聞

2008年01月27日 10時04分03秒 | Weblog
おはようございます。
ここ数日「カレイが運んだ手紙」のニュースが話題になっている。・・・で、思ったこと。カレイの長寿とカレイのその後。
まず、カレイは15年も生きるんだ!とビックリ。その人(魚)生の大半を、迷惑な紙と一緒に暮らしたとしたら、ホント!ギョッ!とする一生。・・・なにか?
折角、手紙を守ったカレイだが、その後は、競り落とされていずこかの腹の中。
・・・ 人間ってヤツは。

ちなみに、当日の夕方ニュース枠での扱いは、これまた異常。
面白いニュースだし、扱うことに異論はないが、殆ど冒頭の時間帯に10分程度もOAする。・・・他にニュースはないんか!


<手紙>「カレイに運ばれるなんて」15年経て筆者の手に
1月25日22時59分配信 毎日新聞

君野さん(左)から手紙を受け取る白髭さん=銚子市の銚子漁港で

 千葉県銚子市の沖合で取れたカレイの背中に張り付き、発見された15年前の手
紙が25日、筆者の川崎市宮前区の早稲田大学2年、白髭(しらひげ)奈津実さん(21)の手に戻った。白髭さんが銚子漁港を訪れて発見者の漁師の君野喜好さん(52)に会い、思い出の品を受け取った。

 手紙は、当時通っていた川崎市立宮崎小学校創立120年記念で風船に付けて飛ばされ、拾った人に連絡を求めていた。白髭さんは「普通なら捨てられる紙切れのような手紙が、深海のカレイに運ばれて手元に戻るなんて。不思議な縁としか言いようがありません」と感無量の表情。懐かしい文面を声を出して読み上げ、「友達が出した手紙の返事が朝礼で紹介され、自分の手紙はどこへ行ったのかなあと思った記憶があります。宝物として大切にします」と君野さんにお礼を言っていた。【新沼章】

静岡 寒~い、恐怖の一夜 

2008年01月25日 18時54分18秒 | Weblog
寒い
昨日は、静岡で仕事でした。静岡朝日のドキュメンタリーで、一年がかりの大きな企画。その途中で、これまでの取材した映像を見ながら、ディレクターと打ち合わせし、番組全体の構成を作り、今後の取材方針を決めるのだが(構成は、今後も何度となく作り直すので、最終的なものではなく暫定的なもの)、映像の量も膨大なため、終わったのは夜中の2時。名物!静岡おでんを食べることもなく、ホテルに帰った。

そのホテルは、駅に近い、綺麗なホテル。これまでも、静岡の仕事では、何度か泊まっているいわば、静岡の定宿だった。
昨日は、シングルが満員のため、ツインに部屋に。
ホテルに戻ったら ブルッと強烈な寒気を感じた。
そのまま、身体に寒気がまとわりついて、風呂に入っても消えないのだ。
エアコンの設定を31度にしても一向に温まらない。
・・・何かいる!
とは、思ったものの、画をひっくり返して お札貼っていないか 確かめる勇気もないし、兎に角、くたびれていた。
ベットに入ったものの、身体にまとわりついた寒気は消えず、ズンズン身体の芯まで冷えていく。と、何か物音が聞こえる。一回目、気になって目を開けると、カーテンがレースのみだったことに気がつき、厚いカーテンをひいた。
再び、ベッドの中に入るが、身体の寒さは同じ、芯まで冷えて行く感じのまま、また物音が聞こえる。
・・・ 何かいる。
電気を全部つけ、隣のベッドの毛布も併せ、本を読んで朝まで・・・。
エアコンの設定は31度だったものの、一向に部屋は暖かくならなかった。
そのホテルは、旧藩時代、領主の別邸だったとか。

東京都知事公邸 売却に一言。

2008年01月23日 06時37分00秒 | Weblog
おはようございます
寒い ・・・。

東京都が知事公邸を売却することにした。旧会津松平家の屋敷を、鈴木俊一知事が企画し、青島幸男がゴーサインを出した建物である。この2人の責任は、きちんと追及されるべきだろう。・・・特に青島知事は、都市博だけではなく、これも中止すればよかったのだろうが、資料には、「本人は嫌がったが。もはや止められる状況出なかった」とある。都市博問題で、警備上の問題もあったのだろう。
現在の石原慎太郎知事は使わず、現在は職員の研修施設などとして利用されている。が、2006年度は20回に満たない。しかし、年間コストは、約550万円。これを売却するのは、大賛成である。

本日の日経BPネットに猪瀬直樹東京都副知事が、
「猪瀬直樹の「眼からウロコ」 東京・松涛の知事公館の“失敗”を検証する」
として、その辺の事情を書いている。一部 抜粋して紹介する。

   失敗を検証するために、見に行ってきた。東京でも屈指の高級住宅街に、明  らかに違和感のある建物が現れた。約670坪の敷地に鉄筋コンクリートの2階建  て。1997年に総工費約12億円をかけて建てた。一目みて、なぜ12億円もかけて  こんなひどいものをつくったのか、と愕然とした。センスがない。石原都知事  も入居しないわけだ。
   一時期は民間に貸し出しレストランとして利用したりもしていた。また、外  資系企業の役員向けの高級賃貸住宅や、建て替え中の大使館の代替施設として  貸し出す案もあった。外資系企業の役員向けに貸し出せば月100万円以上の家  賃はとれるだろう。
   しかし、高級物件としての魅力に乏しく、いずれも上手くいかなかった。主  が住む邸宅部だけで、メイド部屋もない。民間の目線でみたら、使い勝手が悪  いことこのうえない。その後、都民などを対象とした研修・交流の会場として  利用するのだが、これも失敗に終わる。

   こうした設計が、公益性を充実させた結果なら仕方ないが、外国の大使や要  人が訪れたときにパーティーを催すこともできない。大理石の床は、一見した  ところ豪勢なのだが、天井が低く動線もよくない。中途半端なのだ。建物に関  する思想が感じられず、底冷えしてくるような感じがする。

 大枠において、猪瀬さんの分析に反論はない。都知事公邸を「どう使うのか」「なんために必要なのか」という根本思想を詰めていないから、こんなことが起こる。「作る」ことが先にあり、あれこれ理由をつける「官僚発想」が見え隠れする。だが、気になったのは、次の一文である。

   担当を聞いて、合点がいった。設計したのは都庁営繕部の職員だった。都営  住宅を設計している部署である。安藤忠雄氏や隈研吾氏などの建築家ならば、  こうはなっていなかっただろう。石原都知事も入居しなかったが、僕だってお  金をもらっても住みたくない。
   北朝鮮の高官もこのようなセンスがない宿舎に住んでいるのではないだろう  かと想像する。

 僕の指摘は2点。一つは、都営住宅ならこんなもんでいい。と、いう猪瀬さんの
発想が見えること。・・・それは断じて違う。こんな中途半端なものを作るようでは、人が住む。何のために住む。その目的を快適に全うする。その発想のない人たちが、営繕部ならば、都営住宅自体をつくる能力もないということになる。そこまで指摘してもらわなければ、猪瀬さんの指摘は、「安い都民住宅ならいいが・・・」としか聞こえない。副都知事の発言としては、いかがだろうか?
 第2点は、公邸などを作る部署はどこなのか?実は、公邸があるのは、都知事だけでない。警視庁、消防庁など都の幹部には皆、公邸がある。その機能性と豪華さと必要性のバランスに疑問があるが、これも営繕部なのだろうか?
 公邸を作る・維持する部署は、本来、住宅行政とは別なのではないかと思うのだが・・・。

来週の「新・温故知人」は、木原光知子

2008年01月22日 19時26分58秒 | Weblog
僕が担当している「とくダネ」(MC;小倉智明、佐々木恭子、笠井信輔)「新・温故知人」(プレゼンター;柳家花緑)、今週は「海老一染太郎」でしたが、来週は
東京オリンピックのアイドル 水泳の木原光知子さんです。
去年、急死した木原光知子さんの一途な、しかし、それだけに人に騙されたりという生き方を・・・。

水を得た女たち
木原 光知子
法研

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おめでとうございます!一代 正月芸人の執念 海老一染太郎

2008年01月22日 19時19分04秒 | Weblog
今日の「とくダネ」(MC:小倉智明 佐々木恭子 笠井信輔)「新・温故知人」(プレゼンター:柳家花緑)は、「おめでとうございます!」の正月芸人 海老一染太郎師匠の壮絶な生き様。
 2002年に亡くなった師匠は、60年以上、弟の染之助師匠とコンビを組んで
「おめでとうございます!」あら始まって、「いつもより多めに回しております」「私が頭脳労働担当で、弟は肉体労働」と、自分は何もしないのに大声で合いの手を入れる、お笑いの用語では半畳(はんじょう)を入れる(=茶々をいれる)芸で一世を風靡します。
 オチが、染之助師匠の「これでギャラおんなじ!」

今回、初めて知りましたが、この兄弟、仲が思い切り悪かった。通夜の席で、染之助師匠が思わず告白したように、「染太郎を兄だと思ったことはありません」
芸風の違いからだった。
兄染太郎は、天才肌で何でもできるが、そこそこで止まる。一方、弟の染太郎は、不器用な代わり「人が10なら100、100なら1000」稽古することを厭わない、宴会に誘われても自分を律し、殆ど酒に口をつけず、早々と寝るが、兄は酒や賑やかなことが大好きで、いつまでも飲んでいる。
染之助染太郎の明るい芸風は、兄のこんなキャラによるものだが、生き方、価値観の違いは大きく、常に衝突。舞台の上ですら、大喧嘩だった。

これを聞いたとき、思い出したのは、貴乃花、若乃花の兄弟横綱のこと。天才肌で稽古嫌いの若乃花に対し、貴乃花は相撲馬鹿。時間さえあれば、四股を踏み、鉄砲を出し、ビデオの先人の取り組みを見る。・・・で、合わなくなったことはご存知の通り。

ある日、ついに染之助師匠は、兄に向い「舞台の上で何もするな!」と宣告する。
さすがに染太郎師匠も焦り、(・・・芸を捨てようか)とまで考える。その頃、
ある舞台で、「ありがとうございます」と言うところを間違えて「おめでとうごじあます」と言ったところ、大ウケ!
そこで、ハッと気がついた。(太神楽という芸は、伊勢神宮の神官が、布教の過程で祝いを伝えるための余興。おめでたいを伝える伝統芸だ!)
そこで、「おめでとうございます」を芸にしようと考えた。一生懸命、芸をする弟の脇で、血管が切れそうに絶叫する、熱血半畳芸が完成した。

正月にぴったりの芸と以降大うけ、正月に欠かせない二人となった。染太郎師匠が亡くなった2002年1月1日、最後のテレビ出演となったのが、元旦のナマ番組、フジ「ヒットパレード」の出演だった。
染太郎師匠は、癌で余命3カ月と宣告されていたが、やせ細った身体に肉襦袢を羽織り、テレビ出演する。殆ど意識朦朧状態だったにも関わらず、点滴を打ちながら、出番ぎりぎりまで、「おめでとうございます」を繰り返し、稽古していた。
正月芸人海老一染太郎師匠は、正月が終わった2月2日、旅だった。
その凄まじいまでの芸人魂に、書きながら、僕は泣いた。

道ゆく大神楽―獅子舞と曲芸の芸能史
宮尾 与男
演劇出版社

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