黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

常廣院殿の真実

2019-05-01 16:11:21 | 竜骨伝記

今朝は雨が上がって、みんなで元気に南の方にお散歩しました。
ひめちゃんは、獅子丸とコンビです。





赤城山は雲が沸き立ってます。
あまりすっきり晴れない一日になりそうです。






4月のある日、常廣院殿の位牌があると聞いたお宅を訪問しました。

常廣院殿は、本橋院殿とならんで常廣寺の開基とされています。
しかし、獅子丸家では、「常廣院殿は坊主だ。開基は本橋院殿だ。」としています。
つまり、開山が常廣院殿という解釈です。
3世住職の戒名と常廣院殿の戒名が「明巌鑑察」の部分が共通すると指摘されています。

旧勢多郡粕川村の村主神社(すぐろじんじゃ)の少し東になります。
途中、大きな赤城塔があります。



指標や説明板はありませんが、かなり大きな物です

西にはまだ雪を戴いた浅間山、北には春の雰囲気の赤城山が見えます。






突然の訪問でしたけど、理由を話して、位牌と対面がかないました。






位牌自体はさほど古くはありません。
けれど、戒名はずーっと伝わったものだそうです。
戒名が伝わっているだけで、ほかには何も伝わっていないとのことです

この世の名前が牛蒡帯刀(ごぼうたてわき)なのですね。
場所的に女渕衆(おなぶちしゅう)かなと思いましたが、そうでもないようです。

そして、常廣寺で、開基としている常廣院殿と違う戒名です

一つのお寺で常廣院殿が二人いるということはあり得ません。
それに、命日が元亀3年8月15日、つまり天正以前に亡くなっているのです
本橋院殿が東上州を闊歩する20~30年前に亡くなっているのです。
二人が協力して常廣寺を建立したということはあり得ません。



そうすると、どんな物語ができるのでしょうか?

次回は「常廣寺縁起」です






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