黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桐生川紀行総集編(水没した飛駒今倉から移転・大慈山碧雲寺)

2019-08-29 13:52:16 | 桐生川紀行
タバサねーちゃんが動きません。
小次郎パパも付き合います。



しばらくすると、ひめちゃんと獅子丸がやって来ました。



パパ&タバサねーちゃん、ひめちゃん&獅子丸の4名の大軍団(?)で堀之内を西に出て、諏訪神社の向こうの高台をお散歩します



西の方に、かすかに榛名山が見えます
榛名山の姿が見えるのは、本当に久しぶりです

赤城山は青く見えています



もうキャベツの苗が植えてありました



秋の足音が聞こえます






栖松寺の墓地に地続きという感じで、大慈山碧雲寺(だいじさんへきうんじ)があります。

桐生市仏教会のHPによると、
もともとは上野国山田郡梅田村字二渡の戦場(いくさば)にあった。後に栃木県安蘇郡田沼町大字飛駒字今倉に移った。県境変更により、群馬県桐生市になり、ダム建設により昭和55年現住所に移転した。(非常にわかりにくい記述なので概略です。)


桐生川のこちら(右岸、西側)にあったのが、あちらに移り、またこちらに移転したのですね。
戦場(いくさば)は、桐生川ダム(梅田湖)のほとりにあります。



ここを左に上り県道66号線に出ると、戦場(いくさば)というバス停がありました。
バス停があることは、とてもすばらしことです
新里は桐生市に合併してから、バス路線が廃止になり、それに伴ってバス停も消滅しました



碧雲寺は山の側面をうまく利用して建てられています。






石造物も、持ってきたのでしょうね。




六地蔵は新しそうでした。
不動堂(?)に新旧の不動像がありました。
中央の新しい不動像です。



「桐生川ダム建設移転記念」とあります。
ねずみ取り用の毒団子がおいてあります
まさかお不動様はお菓子でできてるわけではないですよね


本堂には、大わらじが奉納されていました。



桐生市仏教会のHPによると、これは平成6年3月に奉納された、2mのわらじということです。
わらじを奉納することは、足腰の健康、ひいては体全体の健康を願うことのようですね


ご本尊は釈迦牟尼仏ということです。





本堂脇には、白山さまがありました。



それなりの歴史がありそうな白山さまです。

すぐ近くに根本山神宮も引っ越してきてるのですけど、まあ今の時代心配いらないのでしょう。
根本山信仰、白山信仰、ともに修験道だったと思いますけど。
御朱印をいただこうと声をかけましたが、誰もいないようでした



近くを少し散策してみました。



何年か前に柄杓山の本丸跡に登りました。
もしかしたらここを上ったのかな?
城山入り口はここですものね。
でも、根本山神宮も栖松寺跡石仏群も碧雲寺も、まったく記憶にないのです
何年か前でも、やっと通れる感じでした。
車を止めて、あるかなきかの山道を登りました。
何が出てもおかしくないです

桐生市にとって、柄杓山は大切な史跡だと思いますが、ちょっと忘れられている感があります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 桐生川紀行総集編(栖松寺跡... | トップ | ひめちゃんちの真夏の花々コ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

桐生川紀行」カテゴリの最新記事